名古屋の平和公園南地区は今
名古屋という都市には緑地地域が多い。
一人あたりの都市公園面積という指標があり、東京都は平均3.0u、大阪市内は3.5u、名古屋市内だと6.7u。
つまり名古屋は人口に対して公園面積が大きいということになります。
市内の至る所に○○緑地と呼ばれる大規模な公園があり、芝生広場や遊歩道が整備され、市民のウォーキングのコースとして親しまれている。
名古屋の平和公園は、戦後の大規模な区画整理の際に、墓地を郊外の丘陵地帯に集め公園として整備しました。
市内でも有名な桜の名所であり、様々なイベントも行われ、その中には動物愛護センターや東山動物園のコアラの餌になるユーカリの森もある。
そんな中、市内の東部にある平和公園の南の地域に、行政の手が行き届かずに未だワンダーな地域が残っているとの噂を耳にした。
そこは公園として整備されているわけでもなく、一般の人もほとんど立ち入らず、名古屋市の土地ながら自由人が農耕生活を営んでいるらしい。
ズームアップ!
航空写真で確認すると、確かに農耕のような形跡が見られる。
電気もガスも水道もないこの場所で、自由人が住んでいるらしい。
ということは、つまりそこには公園として開発整備された自然ではなく、手付かずの自然がそのままの姿で残っているかもしれない。
手付かずの自然。
外から一目見ただけで、このただならぬ異空間は何なんだ?
本当にここは市内なのか?
遠くにかすかに人工物が垣間見えるのだが、見渡す限り緑に囲まれている。
完全なる原生林や人と自然が共存する里山のような森の雰囲気とはまた違った何かを感じる。
この奥は一体どうなっているのだ?
(超好奇心!)
おりょ?
公園内の土壌調査?
そうか、一応ここも平和公園の一部なのか。
どうもあそこが入り口のようだ。
アナザーワールドへの誘い口。
ところで何か看板のようなものが立っている。
何やらたくさんのことが書かれていますが・・・。
つまりは、名古屋市が「この辺り一体を里山として整備しますよ」的な計画らしい。
入ってはいけない場所ではないようなので、恐る恐る入って行きます。
一歩中に足を踏み入れると、ここが都会の中ということを忘れそうなほど何もなく、視界に入る物の中に都会的なものがほとんどない。
この雰囲気、なかなかよいですねぇ〜。
一応、人一人が通れる通路があった。
道は整備されているので遭難する危険はなさそうだ。
通路に沿って真新しいトラロープが張られていました。
つい最近手が入ったようだ。
通路の外には畑だったような跡だが、雑草が生い茂っている。
随所に「耕作禁止」の立て看板がありました。
何やら怪しげな警告書が・・・。
「この場所は土壌調査の結果、基準値を超える鉛が検出されたので立ち入り禁止」との趣旨。
鉛っすか?
原子番号82、元素記号Pbの。
つまりこの辺り一体が鉛が多く検出された危険区域、ロープが張られた通路以外は立ち入り禁止になっていました。
恐らく人が住んでいただろう形跡。
「耕作地を森に復元する」運動が始まったらしい。
6月30日までに撤収の命令の看板。
耕作地跡には名古屋市によって花の種が植えられていました。
一足遅かったか。
立地的にここは南北を山に挟まれた谷間、谷底には水がにじみ出て湿地帯となっていた。
谷底には水田の跡があった。
ここにいた人は完全なる自給自足の生活を営んでいたのだろうか?
訪れたこの日、前日の大雨せいか、いたるところで滾々と水が湧いていました。
耕作の跡や人の住んでいた跡はあったが、建物はすべて壊され、すでに人の気配はなかった。
背景にマンションがなければ、ここが名古屋市内ということを忘れそうな景色。
さらに奥地へ進むと急に開けたところに出ました。
一面の芝生広場、かといって整備されていると言うわけでもなさそうです。
恐らくは何らかの大きな施設の跡地だったに違いない。
ここは四方を森や山に囲まれた場所、外界からはその存在すらうかがい知れない。
かつて軍事施設があったと言う噂も聞いたことがある。
土壌から検出された鉛もその関係だとすると納得が行くが真相は謎である。
「鉛玉が散乱しているので柵の中に入らないでください。」
実弾演習の跡だろうか?
これだけの広大な土地を今まで放置していた理由がなにかありそうな気がする。
航空写真では森の北側にも耕作地らしきものが確認できます。
西側の谷間にも痕跡が見える。
どうやらこの森に暮らしていた自由人は一人ではなく、分散して何人かいたようである。
ここは名東区から東山や本山に抜ける便利な道として車通が多い。
何度も通ったことがある道だが、運転中にはその存在に全く気がつかなかった。
通りから覗き込むと何やら大規模な農耕の跡が。
ここだけ見ると疑いなく誰かの農地だと思っただろうな・・・。
耕作地はそのままになっていました。
夏の日差しの中、たわわに作物が実っていましたが、そこにはすでに人の気配はありませんでした。
ここも名古屋市によってお花畑に変えられる日も近いのか。
古くから、山間の人々の暮らしは谷の部分で営まれてきました。
谷には川が流れ、水と人の生活は密接な関係があった。
電気ガス水道の整った都会的な暮らしではなく、自由人によるワイルドな暮らしぶりはその原点に近いかも知れない。
この平和公園の南地区、山の中には一応いくつかの遊歩道が整備されています。
尾根は思ったよりも標高があり、階段がキツイ。
「めじろの密漁はタイーフォ!」
微妙に意味がわからない文体から、感情が理性を上回ってしまった感じがよく伝わってくる。
森の北側では野鳥観察会と思われる人々にも出会いました。
この森に住む生き物も数多くいるのだろう。
真夏の風のない森の中、汗だくでゼイゼイ言いながら(ヘタレ)登るとそこは、昼間でも薄暗い尾根道。
この道は地元の人々の散歩コースになっているらしく、何人か犬の散歩の人々とすれ違いました。
山頂近くには大きな駐車場らしき広場がありました。
現在ここは車は入れない所。
広場のアスファルトにはチョークでコースを書いたらしい跡が、恐らくラジコンのコースにしていたのかもしれない。
周囲を見渡すと至る所に大量のBB弾が落ちていました。
人気のない公園や廃墟では特定の人々が愉しみまくっていた形跡がある。
もはや役に立たない案内板。
見晴らしのよいこの場所は、かつては観光の場所として使われていたのだろう。
ところでなんで穴が開いているんだ?
雲行きが怪しくなってまいりました。
神の怒りに触れないうちに撤収!
それにしても、名古屋市内でも、まだまだ知らないところはあるもんだ。
そこだけ開発から取り残されたような、都会の中の異空間。
まだまだ名古屋は面白い!