インターネット検索の限界
インターネットは便利である。
調べたいものが検索一発で何でも出てくる。
一時代昔だったら辞書や百科事典で苦労して調べるために、図書館へ足を運んだりもした。
それが自宅にいながらパソコン一台で、はたまた携帯端末ですぐに調べられる。
便利さとは諸刃の剣で、インターネット上には有益な情報もあれば偽りの情報もあり、すべてを鵜呑みにするのは危険なのも事実。
あふれる膨大な情報の中から有益で必要なものだけ選び出すスキルが必要でもある。
しかしこの便利なインターネット、何でも調べられるということにも限界がある。
以前の記事で、金山駅近くの線路沿いに見える謎の石碑のようなものは何なのか?
色々と検索したが結局判らなかった。
おことわり・・・検索した当時の結果であり、なおかつ「しぶーのの稚拙な検索方法では見つからなかった」と言うほうが正しい。
いつも見ている河川のライブカメラの映像。
日ごと時間ごとに移り変わる川の水位やダムの様子が見れて飽きることがない。
そんな中、黒部河川事務所防災情報システムの音沢橋付近の映像。
(黒部河川事務所防災情報システムより引用)
曲がくねった川は奥から手前に流れ、雪の多い地方だけに尖がった屋根など見える。
冬に見ると凄いことになっていることも
(黒部河川事務所防災情報システムより引用)
この音沢橋、どんな所でどんな橋なのだろう?
こんな興味を持った時でも、インターネットで検索すれば地図や橋の姿がすぐに出てくる。
凄いのは橋マニアのような人が自分のウェブサイト内でデータや写真をしっかりまとめていたりすることだ。
色々と調べると、この音沢という地名は音谷川の下に沢があり、ここに村を作ったのが由来ということらしい。
地図を見ると・・・。
(Yahoo地図より引用)
音沢の読みは「おとざわ」らしい。
ん?音澤大樹記念館?
(Yahoo地図より引用)
音澤大樹とは一体何者ぞ?
さて、記念館があるということは当然そこのウェブサイトもあり、一体どんなものが展示されていてどんな由来なのかが一発で判明する。
そう思っていた時代がありました。
しかしながら詳しい情報が見つからない。
誰かが訪れてサイトやブログにアップしていてもよさそうなものだが・・・。
記念館まで作られるこの音澤大樹氏とは一体どんな人物なのか?
地名に深くかかわりがあり、きっと有名人に違いないと思ったのだが。
もしかすると人名ではなく、そこにはとてつもなく大きな樹木があり保存のための記念館なのか?
はたまた個人の管理する記念館で、一般公開されていないので情報がないとか?
謎は深まるばかりであった・・・。
追記
(2015.8.22)
サイトをご覧になったseadog様より情報をいただきました。
音沢村出身の彫刻家、佐々木大樹(ささきたいじゅ 1889年〜1978年)氏の記念館だということがわかりました。
リンク→黒部市のwebサイト
昭和46年12月に名誉町民に推載され、昭和60年に記念館が完成と記録がありました。
リンク→黒部市旧宇奈月年表
恐らく地元では「大樹(たいじゅ)氏」と言えば誰もが知っている有名な方のようです。
地図にある「佐々木商店」、「佐々木たばこ店」も、もしかすると関係者なのだろうか。
貴重な情報をありがとうございました。
個人名を検索してもなかなかヒットしない。
今はプライバシーの問題があって、個人情報は公開しない世の中だからなのか。
今思えばちょっと前まで個人名や住所や電話番号が書かれた電話帳が普通に配られていた。
そんなものも悪用される恐れがあるからなのだろう、世知辛い世の中になったものだ。
某月某日、あるウェブニュースの写真。
豊田市のある場所で、砂利の採掘が行き過ぎて、すぐそばを走る県道が崩落の危険が出てきた、というニュース。
(Yahooニュースより引用)
この写真を見てしぶーのは思った。
ここは見たことがある。
この周りにほんの少し写っている道路、なんとなく見覚えがある。
豊田市は広い。
ここ近年合併を重ね、愛知県最大の広さを誇る市でもある。
道路は自治体が整備するので、ガードレールやミラーの位置など、その地方の特色が出てくる。
道を走っていてなんとなく景色が変わるのは県境を跨いだときかもしれない。
かつてしぶーのは「クルージング」と称して、やっと手に入れた中古の愛車を夜な夜な一人で走らせていた時期があった。
主にこの地方猿投山界隈の山道で、あらゆる道を征服する勢いで走り回っており、そんなことからかつて猿投王(さなげおう)と名乗っていたこともある。
なぜそんなことをしていたのか?
当時下宿にはエアコンがなく、唯一の涼が車の中だったこと。
そして山の中で星を眺めたり懐中電灯を照らしたり、笛の練習をしたり・・・。
画像を見てなんとなくピンと来るが、気のせいかも知れない。
(Yahooニュースより引用)
県道が崩落の危険ということは、画像の左の道が県道で右にある道は不明である。
右の道は車線が減っていて合流のようなものがある、左に写っている民家の数々、この辺りが手掛かりだろう。
写っている影や建物の窓の位置から恐らく画面左が南ではなかろうか。
航空写真で虱潰しに探してゆけばきっと見つかるに違いない。
などと思っていたら新聞に同じ記事が出ていて現場の住所が出ていた。
(Yahoo地図より引用)
豊田市枝下(しだれ)付近、やっぱり見覚えのある場所だった。
名鉄三河線の廃線跡の枝下駅すぐそばではないか。
(Googleマップより引用)
確かに県道ぎりぎりのところまで採掘がされているのが確認できる。
ここで間違いない。
実際にこの付近を走っても、道路からは採掘の様子は見ることが出来ない。
(しぶーのが走り回っていたのが夜だったというのも一因だと思うが)
おう?
(Yahoo地図より引用)
別の地図サイトの航空写真では撮影時期が古いせいか、まだ採掘が進んでいない状態だった。
これもゆくゆくは更新されて見れなくなってしまう光景である。
ずいぶん大昔のことになるが、しぶーのは小学生から高校時代まで、地元の体育館の道場で合気道を習っていたことがある。
ふと伊東温泉の話題になり、そういえば昔合気道の合宿で訪れたことがあるなぁという気軽な気持ちで検索してみた。
そこで出てきた画像。
(養神館三島錬精会より引用)
おお、かつて合宿で行ったような場所で、今でも同じように合宿している人々もいるのか。
こんな風に早朝砂浜に集まって稽古があり、海(朝日)に向かって一列に並んでエイヤーと気合を入れていた覚えが・・・。
そうそう、先生方もこんな人たちで・・・あれ?
まさかこんな写真が残っているとは思わなかった。
そう、紛れもなくそこにしぶーのが写った、当時の様子の写真だった。
懐かしい先生方、友人、三島警察署の婦警さんの姿も。
検索からいきなり画像に行ってしまったので判らなかったが、養神館合気道三島錬精会のウェブサイトの中の「歴史」のところにありました。
当時泊まった小さな民宿の名前は忘れてしまったので、今はどうなっているのかうかがい知ることは出来ない。
果たしてこの場所は一体どこなのだろうか?
そして今現在この砂浜はあるのか、当時の面影はあるのだろうか?
手掛かりは後ろに写っている防波堤、建物や山並みといったところだろう。
某地図サイトで海岸線をくまなく探すとありました。
(Googleマップより引用)
海に面した国道は拡張されて昔の面影はなくなっていましたが、写真と一致する建物発見。
海岸線は公園になっていて、あの写真の背後に写る防波堤の位置が微妙に異なる。
長い年月で整備されたのかもしれない。
(2014.10.13)