犬山橋の今
愛知県犬山市と岐阜県各務原(かかみがはら、と読みます)市の間には、日本ラインと呼ばれる風光明媚な川、木曽川が流れています。
その清流には鮎が棲み、岐阜の長良川と並んで鵜飼のメッカでもあります。
鵜飼とは・・・鵜という鳥を使って鮎をとる伝統的な漁法。その様子は今日も受け継がれ、観光の目玉となっている。
そこには愛知県と岐阜県を結ぶ重要な道路があり、1本の橋が掛けられていました。
そこには名鉄犬山線が通り、犬山遊園駅から木曽川を渡り、終点新鵜沼駅へと向かう。
そこには1本の橋が掛けられていました。
そう、そこには道路と鉄道、大きな木曽川を渡る重要な交通手段、1本の橋が掛けられていました。
2本ではなく1本でした。
人と車と電車が同じ1本の橋を渡る。
全国にも珍しい橋が、かつてここにあったのです。
年末恒例餅つき大会の後、徹夜で車を運転して名古屋にたどり着いたしぶーの。
正月に食う餅をしこたま手に入れ、無事我が家にたどり着いた安堵と疲れでボロ布のように布団の中で横たわっていると・・・。
「ぴろぴろぴろ」
1本の電話で起こされる。
12月31日。
世間ではこの日は大晦日というやつだ。
そうであった、大晦日の夜は友人の実家に招待され、そこで年を越してから初詣に行く予定だった。
その友人宅(実家)は犬山成田山より徒歩圏内、大晦日の晩に夫婦共々招待され、大変なもてなしを受ける。
美味な料理と美味な酒をしこたまご馳走になってから、夜明け近く、初詣に向かう為に、礼を言っておいとまさせていただいた。
犬山成田山。
真言宗、赤い建物が派手で立派なお寺。大きな駐車場があり、御祓いも兼ね車で来ている参拝客が多かった。
(正しくは自動車交通安全祈祷と言うそうです。)
赤い建物が暗くて見えん。
長い石段をゆっくり登って参拝する。
ここは隣接する鉄道が大晦日に終夜運転ではないのと、名古屋市内から遠いせいか、思ったよりも混み混みではなかった。
本殿前からは見晴らしがよく、犬山市から遠くは一宮まで夜景が広がっていた。
か、風が強くて寒い・・・。
初詣と言えば、毎年参道の出店で食いまくるのが習慣となっていたが、今年は満腹の為辞退させていただいた。
夜が明けてきた。
初詣を済ませ、下山するとふもとの犬山遊園駅のすぐ横にある犬山橋を訪れる。
→地図←
これがかつて全国に名を馳せた犬山橋。
今でこそ、2000年にすぐ南側にもう1本、自動車の為に新しい橋が掛けられ、かつての犬山橋は電車専用となり、その他の交通と交錯することはなくなりました。
2008年元旦未明。いつものように名鉄電車は走る。
かつてこの橋の面が平らに舗装され、平らなアスファルトの中に路面電車のような線路の溝がありました。中央に上下線の線路、その両外側に車道。車道と線路の明確な区分けはなく、電車の車体の迫る限界線が路面に白い点線で記されていただけだった。
車線は1車幅ギリギリ、ハンドルをどちらに切っても死ぬ。運転席の窓の外すれすれを、名鉄電車の巨大な車輪が通り過ぎてゆく恐怖は、路面電車の比ではなかった。
電車は警笛を鳴らしながら徐行していました。
名鉄独特のミュージックホーンと呼ばれるメロディーを走りながら鳴らしていたため、ドップラー効果により絶妙な音程の歪みが加わり、周りで見ている者たちを得体の知れぬ脱力感が襲った。
今では道路だった場所のアスファルトが剥されむき出しの鉄骨になっている。
別々だった車道と線路が合わさり、路面電車のように同じ面を走るということは、どこかで車が線路を横切らなければならない。岐阜から橋を渡って愛知方面へ向かう車は2回ほど、線路を横切る必要があった。
今はこのように遮断機が降りる明確な踏み切りとなっているが、かつて犬山遊園駅を出ると一面に舗装された路面電車の状態だった。そして橋を渡った向こう側でも同じように車道と線路が交錯していた。
当時一応、踏切警報機は立っていたが遮断機はなく、勝手がわからぬ状態でうかつに進入すると、突如迫る名鉄電車に度肝を抜かれることになる。
橋の袂にある有名なスポット。
帰りの名鉄電車の中で初日の出を拝む。
今年はなにかと電車に縁がありそうだ。