色金山歴史公園


すっかり寒さも緩み、気軽に出かけられる季節になりました。

といえば、暗く長い冬がようやく終わり、光降り注ぐ明るく楽しい季節。
のはずだが、最近では花粉症のせいで憂鬱に感じる人も多いことだろう。


幸いにしぶーのは今のところスギ花粉には反応せずに済んでいるが、その反面スギ花粉の季節が終わった頃に何らかの花粉にやられる。
そのおかげか、花粉症だと言うとほとんどの人から「もう終わっただろ」という冷ややかな反応が返ってくる。
花粉はスギだけではないのに・・・。





外は晴れ、少し風があるものの、冬とは比べ物にならないほど暖かい。
どこか遠くの山にでも出かけたいところだが、準備もなくいきなりはやめておこう。

まずは近場の行きやすい所で、春を堪能しに行こうとするが・・・




んより・・・



見事な春霞は遠く離れた大陸からやってくる黄砂の影響か。



風光明媚な長久手の景色、正面に見えるのが色金山
この山は色金山歴史公園として整備されている。


山というほど高い山でもなく、公園というほど広い公園でもない。
気軽にぶらりと訪れて散歩をするのに適した小さな丘。


いつもの流れからすると、果てしなくB級スポット的な名前に期待が膨らむが、残念ながらここはそうでもない。




長久手町というところは、1584年小牧・長久手の戦いとして歴史を学ぶと必ず出てくるほど有名な場所。
町のいたる所にその史跡があり、ここ色金山もその一つ、国指定史跡にされている。

かつて長湫(ながくて)村と呼ばれたこの辺りには、戦の後そこかしこに戦死者が横たわる惨状だったらしい。
見るに見かねて、この山の麓にある安昌寺の住職が遺体を集めて供養した首塚も、色金山から歩いてすぐのところにあり、歴史的に由緒ある場所なのだ。

とはいえ、日本史の弱いしぶーのにとっては単なる公園に過ぎない。





長久手役場のすぐそば、一本道を入ったところに看板はある。

平日の夕方ということもあって、駐車場にはほとんど車はなく、がらんとしている。
停めてあった数台の車の中には大抵人が乗っており、営業の途中なのか背広姿のサラリーマンらしき人が寛いでいた。



この図で左端の駐車場から上り坂をぼちぼち歩きます。


って、もっと近くに駐車場あるがな!

図では中央付近、愛知用水が暗渠になってその上が駐車場になっている。
つまり、ちょっと図が間違(まちご)おとる。


愛知用水はここから山の下を通り、サイホンで香流川の下をくぐっている。

「香流川、逆モルダウの旅」参照


遠くに見えるのが愛知用水。

愛知用水は岐阜県可児市から木曽川の水を知多半島まで運ぶ農業用水路。
その距離は幹線水路だけで112kmにものぼる。


いつ見ても、深さ2mはあろうかという水路に滔々と水が流れている。




整備された公園内には噴水らしきものがあったが、夏場限定なのか水は流れていなかった。

 

画像のいくつかに解き放たれた犬のように大喜びで暴れまわる人影(処理済み)が写っているが、心霊写真ではない。



慰霊碑がいくつもある。
すぐ隣には墓地もあり、夜には来たくない場所だ。

こんなことを書くと心霊スポットとして余計に人気が出てしまいそうだが、夜間はライトアップされているようなので不気味なところではない模様。
近くに民家や交番もあるので、懐中電灯の照射場所にも向かない。


長い階段を登るとそこは山頂。

解き放たれた犬のように大喜びで駆け上がったので全然苦にならなかった。
(おまえもかい!)


山頂には床机石と名付けられた石がある。

一言で説明すると「家康が座った石」。

天正12年(1584年)4月9日早朝、家康は約9千の兵を率いてここ色金山にたどり着き、
見晴らしのよい山頂のこの石に腰掛け軍議をめぐらしたとされています。








9000人!!









鎧兜のゴツい男達が9000人!




サントリーホールの総座席数2006席。
両国国技館の定員約11100人。
現在の長久手町の人口約51000人。




統率のできる範囲内に集結したのだから、馬だの人だの含めて、ここ色金山はぐちゃ混みだったわけだ。
飯だの便所だのはどうしたんだろう?




床机石から視線を左にやると木製の展望テラスがある。



高さはそれほどでもないが清水の舞台を髣髴させる広々としたテラスになっている。
展望櫓(やぐら)があり、まずまずの眺め。

 



眺め・・・




ど〜んより・・・


霞みまくっています。

夕陽が丸く見える・・・




当然この下がどうなっているのか気になるわけでして。



下には壁画があり、近づいたら電気が点灯したので少々驚いた。
センサーか。
意外に金かけてやがる。

 

櫓の真下はトイレになっていた。



それにしてもこの公園、駐車場から登り始めてから誰もいない

夕方のこの時間、犬の散歩の一人や二人いてもいいような気がするが、誰とも会わない。
意外に知られていないのだろうか?



奇妙な木馬。


登って遊べとでも言いたいのか?



この公園内には、愛知県犬山市の有楽苑にある国宝の茶室「如庵(じょあん)」の写し、兼公園の管理事務所でもある「胡牀庵」がある。


夕方の営業時間過ぎだったので閉まっておりました。




小さな公園なのでゆっくり歩いても一周20分ほど。
天気がよければ弁当でも持ってきて、長久手の風景を見下ろしながらプチ家康気分に浸るのも悪くはない。




中部地区には桶狭間(1560年)、長篠(1575年)、小牧・長久手(1584年)、関が原(1600年)と古戦場が多い。

 そしてこの地域には、愛知県の無形文化財とされ、室町時代より伝えられている「棒の手」というものがある。
 長い棒を持って踊る舞踊の一種だが、剣術や棒術、薙刀術などの日本武術がもとになったとされている。
やがて迫るであろう戦乱に備えて、農民達が自衛のために発達させたとも考えられ、関連があるのかもしれない。


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