釈迦の骨が眠る寺〜覚王山日泰寺
名古屋の都心から東の、池下からさらに東に、覚王山という地名があります。
ここより東は丘陵地帯になります。
覚王とは「悟りを開いた人=仏陀」、つまりお釈迦様のことをあらわします。
なにやら地名からして凄い気がするが、ここに日泰寺(にったいじ)というお寺があります。
日本とタイでにったい寺。
・・・・・・。
本当だって!
日泰寺は、明治時代にタイ王国から寄贈された仏舎利(お釈迦様の遺骨)を安置する為、明治37年に建てられました。
旧名は日暹(にっせん)寺。
昭和20年(1949年)空襲によって全焼しています。
その後再建され昭和24年、日泰寺として改名されています。
この覚王山日泰寺、毎月21日は弘法様の縁日として大々的なお祭りが開かれることでも有名。
というわけで、とある21日・・・
名古屋市営団地下鉄東山線、覚王山駅を降りると、お年寄りの多さに圧倒される。
この日、覚王山は巣鴨のとげ抜き地蔵状態になる。
お年寄りの列に続いてぞろぞろと階段を登ってゆく。
シニアモードなので非常にゆっくりとしたペース。
地下鉄の階段を登って地上に出ると、いきなり出口で何か配っている人たちがいた。
人の多い場所につきものの、宣伝活動。
一般的なのはティッシュ、飲み屋のクーポンなど。
ところがここは覚王山。
配られていたのは尿漏れパットの試供品や旅行会社のパンフレット「祈りの旅」とか。
恐るべし覚王山。
お年寄り対象なので当然貰えなかった。
参道に入ると道の両側には出店が並ぶ。
確かここは車道、この日は特別に歩行者天国となる。
干物、仏具、刃物、健康まくら・・・普通の縁日とは一味も二味も違った店ぶれ。
元気なお年寄りたちがわんさか歩いています。
匂いに誘われて行って見ると、そこには焼きたてのパンの屋台が。
屋台なのに何故焼きたて?
後ろのワゴン車の中に窯があった。
すげー。
参道の途中にある、弘法様の祭られている所。
本来ならここがメインのはずなのでは?
ようやく正門が見えてきましたが、ふと横を見ると・・・
そこには名古屋名物串かつとどて煮の屋台が!
縁日の屋台では必ず見られる。
名古屋の名物料理、味噌カツ。
名古屋人は当然のようにとんかつに味噌たれをかける。
元はといえばこの屋台の串カツから始まったという説がある。
(この地方の串かつにはネギが挟まっていない。関東の串カツにはネギが挟まっていると聞けば恐らく名古屋人は驚くに違いない。)
必ず串カツとセットで売られているのがどて煮という味噌鍋。
どこの定食屋でも飲み屋でもあるありふれたメニューで、豚モツや牛すじを赤味噌でこれでもかというほど柔らかく煮込んだもの。
屋台では串に刺さって売られている。
客がひょいと串カツを手に取り、どて煮の鍋にドボンとつける。
これぞ名古屋ん味噌フォンデュ!
一応ソースもあるのだが、ほとんどの人は当然のように味噌をつける。
味噌が地面に滴るので屋台の前にはビニールが敷いてあることが多い。
手前のキャベツは食い放題。
串はカツもどて煮も一本100円。
上級者はお酒を呑みながら勝手に手を伸ばし、串の数を申告して後払い。
立ち飲みスタイル、名古屋ならではの光景。
この他に名古屋の屋台で特徴的なのは、色々なメニューが揃った複合スタイルで、椅子やテーブルを置いた擬似店舗のような大型屋台もある。
当然食います。
上級者。
ようやく近づいてまいりましたが、ふと横から得も言われぬ香ばしい匂いが。
みたらし屋さんでした。
あまりの誘惑の多さに、全然前に進みません。
ようやく正門に到着。
なんかいる・・・。
満面の笑みで迎えてくださいます。
立派な正門をくぐると、だだっ広い境内の向こうに、さらに立派な本殿が見えます。
本殿の屋根の左側に何気に写っている茶色いトンガリ帽子は東山給水塔。
レトロな給水塔としてマニアには人気がある。
本殿前には例によって線香を燃やす場所がある。
恐らくここも、焚いた煙を体の悪い所に浴びせるとご利益があるといったところだろう。
顔と頭にしっかりまぶしておきました。
本殿前から正門を振り返ってみました。
学校の運動場ほどもあろうかという広い境内にも出店があります。
漬物とか豆とか苗とか干物とか。
うなぎの肝とか。
もう食いまくり。
ちなみに朝の早いお年寄り向けのこのイベント、一般の縁日と違って夕方には早々とお片付けモードになります。
日泰寺の裏手に回ると覚王山八十八箇所巡りがあります。
どういう由来か知らないが、小さな祠や小屋のような建物があって、四国の八十八箇所巡りの超ミニチュア版となっているようです。
現実には移設があったりして順番には並んでいないので、本当に八十八あるのかは定かではない。
しかも開いてないところもあるし。
番外ってのもあるし。
住宅街の中に小さな建物が集まった不思議な光景。
時間があれば一つ一つ回って散策してみるのも楽しいかもしれない。
ところで仏舎利が納められているのはどこだ?
仏舎利奉安塔は日泰寺の北側、道を挟んだ離れたところにあります。
ここか?
違った。
階段を登るきると門があり、行き止まり。
遺骨が納められた塔はその奥の奥にあります。
一般には非公開。
門の外から台座の部分がちらりと見えます。
(門の横の案内板より)
それにしても参道の喧騒とはうって変わって静かな所だ。
(同じ日に訪れています。)
毎日世界中から偉いお坊さんが列を成して巡礼にやってくる、そんな所になってもいいような気がするが、現実はそんなこともなく静かなもの。
この地域の人々も皆、日泰寺の存在は知っているが、立派でエキゾチックなお寺という認識ぐらいしか持っていない。
ちょっともったいないような気がするが・・・。
お釈迦様の遺骨は1898年にインドで発掘され、これが考古学的にも本物とされている。
釈迦の骨が眠る寺、実は凄いことなのではないのだろうか?
そうだよな・・・ここは日本のガンダーラ。