日進市の北高上緑地
広々とした田園地帯が広がるイメージの日進市だが、そんな中にぽつんとある小さな山。
画像はGooglemapより引用
標高は73メートルほどのこぢんまりした丘、それが北高上(きたこうじょう)緑地。
この山はもともと私有地だったが、平成17年に日進市に寄付されて、その後公園として整備されたとか。
きちんとした駐車場もあるが、日進市の管理の下、利用時間は厳しく定められている。
全体は大きな山ではなく、一周するのもあっという間だが、日頃運動不足の都会ッ子が休日に歩くにはちょうどよかろう。
公園内は火気厳禁なので得意の蚊取り線香は使えない。
電池式蚊取り器のお出ましである。
しぶーのは蚊が飛んでいるのを見ただけで痒くなるほど蚊が嫌いだ。
蚊取り線香の煙のように目に見えて拡散している様子がわからないので不安でもある。
民家のすぐ横を通って、階段から森の中へと突入。
林の中に入ると、鬱蒼と茂った木々で昼間でも薄暗い。
尾根まで登ると土ではなく白い砂、なるほど愛知の山だ。
ここは南尾根十字路という名前がついている。
案内板もあり、迷うことはない。
迷うほうが難しい。
ちょっと凹んだ広い場所に出た。
ベンチがあり、休憩所となっているようだが・・・。
ん?何だこりゃ?
これは洪水吐きではないか?
いつの間にわしらはダムの中になっているのだ?
よく見ると林の中に水路のような溝が続いており、その先にさらに古いレンガ造りの堰堤が眠っている。
大雨の際にはここが川となって水が流れるのか?
ここは西砂防広場と言う名前がついている。
この北高上緑地には砂防広場が2カ所あり、ひとつはここ西砂防広場。
もう一つは南砂防広場。
そこにはこのような謎の洪水吐きが森の中に残っている。
その正体は案内板に書かれているが、また後ほど。
画像は日進市のサイトより引用
タヌキのねぐら跡というのはこれだろうか?
大きさ比較のための足 ↑
木の根元に開いた不自然な穴。
ライトは持っていたが、残念ながら中はのぞき込まず。
そして写真がブレブレなのはヤブ蚊がすごいから。
ほんの数秒立ち止まっただけでも数カ所刺される。
虫除け上等ナンボのもんじゃい!と決死隊のような奴らが襲ってくる。
この緑地公園にはコバノミツバツツジやモンゴリナラなど書かれているが、あいにく植物には興味がないしぶーの、足早にスルーする。
竹林の中を横断するシマヘビを見かける。
小さいながら、なかなか自然豊かな森だ。
山頂付近のコナラの大木を遠目に眺め・・・。
山頂の鉄塔は真下から眺められるので意味もなくこんな写真を一枚・・・。
山頂近くにも広場や休憩スペースある。
こんな所に涸滝がある。
かつて水が流れていたのか、大雨時には水が流れるのか?
山頂付近にあり、今現在の地形からはあり得ないので、崖に思いをはせてそう呼んだのだろう。
眺めのいいとされているポイントからは、そこそこほどほどの眺めを見ることができる。
一周足早に歩けば20分ほどで歩けてしまう小山だが、期待せずにゆくと意外と見る物があって面白い。
さて、気になる森の中に眠る堰堤だが、案内板にはこうある。
日進市を含む 尾張地方の丘陵部は、燃料の採取などが圧力となって、江戸時代中期以降荒廃が始まり、土砂の流出が激しい地域となりました。
このような状況の中、土砂の流出防止対策や植林などの「はげ山の復旧事業」が、明治、大正、昭和の時代へと引き継がれてきました。
ここ北高上緑地でも昭和26年の砂防工事の記録が残っています。
現在の北高上緑地は豊かな緑で覆われていますが、谷筋で見られる石積みの谷止工や、下流部の土堰堤やレンガ張りの放水路など、役目を終えた砂防工事の跡を随所で見ることができます。
いまでこそ愛知の山は木々が豊かな森になっているが、江戸時代末期頃には木々の伐採ではげ山だったらしい。
たしか瀬戸の山や海上の森も、砂防の戦いだったと記されていた。
そしてそこには衝撃的な写真が。
って、よく見るとこれはここの写真ではなく恐らくこんな感じだったという参考写真ではないか。
つうか、長久手グランドキャニオンっぽいな。
気になったのは、砂防工がされているその先、最終地点だ。
現在この緑地公園は民家が隣接している。
実は入り口付近に見ることができる。
民家のすぐ横ですっかり森に埋もれた水路跡。
恐らく今では大雨時でも水が流れることはなさそうな砂防堰堤。
冒頭の写真で、森の入り口の階段横にあるのを思いっきりスルー。
すっかり見落としていた。
(2021.8.7)