名鉄の車窓から見えるアレは何?


電車に乗っていて、いつもいつも眺める車窓からの風景


流れる景色の中で、視界に入っているようで入っていない、入っていても特にそれが何か考えもしない・・・。
ただただボーっと、音楽でも聴きながら流れる風景を目で追うこともなく見るでもなく。

やることのない電車の中での有意義な過ごし方でもある。


電車からの風景はいつも華やかとは限らない。

車窓から見えるように看板が多く掲げられている反面、騒音や鉄粉などの影響、常に不特定多数の視線が通ることに配慮して沿線の住宅は大抵線路に対して背を向けるような構造だ。

人々の生活の裏の一面も垣間見る車窓からの風景。






さて、そんな景色の中で奇妙なものを見つけた。



アレはいったいなんだろう?

ひとたび興味を持つと止まらない、しぶーのの好奇心。


早速写真に収めてみるか。

うん、よくわからねえ。



とととと・・・。


小さなデジカメはシャッターを押した時とタイムラグがある。
流れる風景を撮るには不向きなこと不向きなこと。

 

惜しい!

っつうか、全然だめじゃん!



場所は名鉄本線に乗っていて、神宮前から金山方面に向かう、金山駅に到着するほんの少し手前にある。


もしかすると金山駅のホームから見えるのではないか?



金山で下車してホームの端へ行ってみる。



ううむむむ、あと少しなのだが・・・。

ちょうど見えねえ!






というわけで、金山です。

改札出ました。
駅の外の路上より。



ひっきりなしに通る名鉄線の線路の脇にある石碑のようなもの。



アレは一体何?

建物の裏手にあるが線路から結構な高さがあり、なぜかそこだけしっかりと囲まれて手入れがなされているようだ。



いったい何の石碑だろうか?

金山橋の線路脇から狙ってみました。



それにしてもすげえ場所にあるな・・・。

いちおうアプローチのためのはしごまである。
いやいや逆だろ、線路に下りるための通路ではないか?



拡大すると何か書いてある。

「天下茶屋釜跡」と読める。

やっぱり何かの史跡と考えてよさそうだ。



しかし、ビルの上に祠というのはよく聞く話でではあるが、いわば完全にビルの裏手に当たるこの場所でひっそりと佇む謎の石碑。
この場所が線路に面しているおかげで電車からは絶賛丸見え中だが、本来ならば表通りからは完全に隔離された場所である。

かといって放置されているというわけでもなく、どちらかといえばしっかりと管理された安住の地に祭られたもののように見える。




あまり勿体ぶってもいけない。
実はこの石碑のようなもの、色々と調べてみたが結局は何かわからずじまいだったのだ。
天下茶屋というと大阪の地名で数多くヒットするが、この名古屋の地との関連性はない。




この石碑のあるビルは名鉄金山第一ビルというらしい。



なるほど、下り坂に立っているので、あの石碑の場所がもともとの地面の高さなのか。
このビルの建設によって何かが失われた替わりに、記念の石碑を設置した、そんな流れだろうか。

何か説明板のようなものはないか辺りを探してみたが見当たらず。




ビルの間を通る。

入っていいのだろうか?
当然ここは私有地ということになる。




おお、あの線路が見える。




ここはまさしく車窓から見たあの場所。

名鉄の車内から丸見えなので長居は禁物、手早く写真だけ撮ってあっという間に撤収!


あとで写真を見返してみると、画面の端に金山駅のホームが写っている。
複々線になっている豊橋方面行きのホームからならば何とか見えたかもしれない。




この場所は「名鉄金山第一ビル」の裏にあたる。

というわけで、名古屋鉄道株式会社のお問い合わせフォームよりメールにて、無断で私有地に立ち入ったことをお詫びしつつアレが何なのかきいてみた。



残念ながらその回答は名鉄の人もそれが何なのか把握していないとのお答えだった。





「金山橋由来」につづき「天下茶屋釜跡」とはっきり読める。

その左にも何か見えるがはっきりとは読めない。
なにか「康」の字のようなものも・・・。



あわててカメラに収めた裏側の文字。

なにやら色々彫ってあるが判読困難、人名だろうか「大澤政五郎」「水谷秀」まで確認できる。



もっと鮮明な写真でもあれば全部読めたかもしれない。
しかし画像を見ても解るように、本当に電車スレスレの所にある。

その向こうに写っているのは金山橋で、そこからも丸見えなのである。

ということは実際には予想よりも人目に触れているので、名のある史跡なのかと思われたが、なにせこれだけでは何も解らなかった。


どなたか名古屋の歴史に詳しい方、挑んでみてはいかがでしょう!?

(2014.9.8)


追記

(2014.11.1)

名古屋の歴史、金山周辺の歴史を研究されている熱田人様より教えていただきました。

いただいたメールによりますと、

「金山周辺に、初めて「駅」ができたのは、終戦間際、名鉄の金山橋駅でしたJR関係は、すべて素通り)名鉄第一ビルを下った所、東芝テックやニッポンレンタカーがある場所です。

その後、1989年に金山総合駅として現在の場所に移転するまで、名鉄金山橋駅利用者の100%が、坂をのぼって、当初は路面電車、その後は、地下鉄などに乗り換えるなど、されていました。

 金山橋駅ができた後、坂道沿いに商店街が形成されたのですが、それまでの間、何もなかったため、周辺の有志が茶屋なるものを設け、おもてなしをされたようです。」

熱田人様のブログ
名古屋史的定点観測:金山界隈

非常に詳しく、当時の写真も満載で圧巻です。

ありがとうございました。


追記

(2016.1.26)

名古屋、金山周辺の歴史研究家熱田人様より再び教えていただきました。

いろいろ調べているうちに、当時、誤った認識をしていたことがたくさんありました。
たとえば、あの坂は、市電専用の坂で、
名鉄利用客は、他のルートで次の場所に移動していたようです。
引き続き、調べてみたいと思います。

熱田人様のブログ

名古屋史的定点観測:金山界隈(1)・・総論
http://atsutajin.seesaa.net/article/405132992.html

名古屋史的定点観測:金山界隈(2)・・旧中央線沿線など
http://atsutajin.seesaa.net/article/419456684.html

名古屋史的定点観測:金山界隈(3)・・波寄界隈
http://atsutajin.seesaa.net/article/432336054.html

名古屋史的定点観測:金山界隈(4)・・東海道本線貨物支線
http://atsutajin.seesaa.net/article/432464514.html

名古屋史的定点観測:金山界隈(5)・・市電が急坂を登る!迂回線、天下茶屋など
http://atsutajin.seesaa.net/article/432470924.html

詳しい研究家のおかげで徐々に解明されきています。
ゆくゆくはきちんと史跡として公開されるようになるかもしれません。


ちなみに夜はちゃんとライトアップ。

大事にされているのやら放置されているのやら・・・?


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