ウクレレを始めたきっかけ


ウクレレとの出会い

 それは大学時代までさかのぼる。大学祭で大いに歌いまくろうと、昔ほんの少しかじったことがあるギターを再び手にする。しかしながら、宴会の雑踏で身軽に動き回るにはギターでもまだ大きく、ギターよりもさらに小型で手軽にどこへでも持ち運べる楽器(これぞコントラバスにはない魅力!)はないかと思い、小型のギターのような楽器、ウクレレに注目する。

 しかしながら貧乏学生だった当時買ったのは6千円のベニヤの楽器で、ろくにチューニングもできず、とても演奏に耐えられる代物ではなかった。
 その後その楽器は趣味の日曜大工の餌となり、フレットやブリッジの位置などを修正し、なんとか演奏に耐えうる音程までは改造したものの、ベニヤのボディからはぺちぺちと情けない音しか出ず、ウクレレとはこんなものかと思っていた。教則本の中のいくつかのソロの曲はマスターしたものの、貧弱なこの楽器にこれ以上期待することはなかった。

あ〜あ〜やんなちゃった!

 

当時失望した6千円のウクレレ。(プライバシー保護のため画像処理してあります。)
(下の画像のウクレレと同じでは?というツッコミはなしとして…)

 ウクレレから離れること数年、持っていることすら忘れかけていた時、ひょんなことから楽器店で手伝いをすることとなった。そこは地元では一番大きな楽器店、当然そこにはかつて自分が手にしたウクレレよりもはるかに立派な楽器が並んでいた。そんな中、店の同僚がウクレレを始めたのに刺激され自分も新たな一本を購入することを決意する。

 さんざん悩んだ末、決めたのが中西製のマーチン0型モデルだった。マホガニー単板のその楽器は期待どうり素晴らしい音色で、それまでのウクレレに対する悪い先入観を覆すのに充分な性能だった。
4弦をLowGに替えた太く甘い音色から「これは小型のギターだ!」と、この楽器の可能性を確信した。ウクレレを本格的にやってみようと思った。

初代中西のマーチン0型モデル

 持ち前の探り弾き根性を発揮して色々な曲を弾いた。ハワイアンだけではなくて、クラシックを弾いてもいいんじゃないか?とも思った。

 4本弦のウクレレはギターに比べても音域は狭く、ソロの曲を弾くにはそれなりのアレンジが必要だ。しかし音域が狭くても、工夫次第でそれらしく仕上がる。全くの我流だが、実に工夫のしがいがあって面白い。

 そんな中、本当のところ正しい奏法はどうなんだろう?他のプレーヤーはどんな風に弾いているのだろう?と疑問に思い、何か資料はないかと探したところ出会ったのが「ウクレレの神様」ことハーブ・オータ氏のビデオ「ミスター・ウクレレ」だった。

 衝撃だった。ウクレレは伴奏楽器ではない、立派なソロ楽器だ!これぞ自分の求めているスタイルだと思った。そして今まで試行錯誤して弾いていた奏法が間違っていなかったことも判った。
「ウクレレという楽器は柔軟な楽器なんだ、いい音、いい音楽であればどんな奏法もありなのだ!」ハワイアンにこだわることもない、可能なことならばどんな音楽も吸収できる!これが最終結論だった・・・。

ウクレレは面白い!

 オータサンのビデオは擦り切れるほど見た。弾きたい曲は自分でアレンジをして徐々にレパートリーを増やしていった。
 練習を兼ね、駅前の路上でギター少年に混じり、歌も歌わす黙々とソロを弾き続けたこともたびたびあった。ケースをあけて置いておくとよく小銭が入った
 昔ハワイアンをやっていたと言うおっちゃんに話しかけられて、数曲披露したら「これで何かうまいもんでも食え」と言って千円貰ったのも今となっては懐かしい思い出である。

 世間はやがてウクレレの大ブームとなり、楽器店でもウクレレは連日飛ぶように売れた。そこで名古屋を中心に幅広く活躍するハワイアンの大御所、レイ小原氏と出会う。

 その後押しもあり、様々なイベントやステージで演奏させてもらえることとなり、これがソロウクレレ奏者としてのデビューだった。

3代目ライブ楽器。自分でピックアップを取り付けた。


実は本当のウクレレとの出会いは・・・

 幼少のころ、まだ音楽も楽器もよくわかっていなかった頃、うちになんかあったのをおぼろげに覚えている。おかん曰く、トムとジェリーを見てバイオリンの真似をしてあごに挟み手近な棒でギコギコやっていたとの事・・・。完全におもちゃにされていたその楽器は血気盛んな破壊王だった兄弟によって千の風になってしまったらしい。
 今、こうして真面目にウクレレを弾いているのはせめてもの供養、宿命だったのかも・・・?


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