管理人の独り言

ここは管理人しぶーのが日ごろ感じたことや気づいたことを徒然と書き綴るページです。

餌マニア

 遊園地や観光地にある動物ふれあいコーナーがあると、必ずといっていいほど餌をやらなければ気がすまない。
 そう、私は「餌マニア」なのだ・・・。動物が手から餌を食う、ただそれだけなのだが、餌の時間というものが平和的光景に感じられる。

 観光地の大きな神社を訪れた際、鳩の餌コーナーがあるとまず素通りが困難。池の鯉や水鳥、鹿せんべいなどもである。もちろん近年は鳩の糞害も問題視されているので、そこらじゅうむやみに餌をやるわけにはいかないのだが、合法的に用意されている所では楽しませてもらっている。

 天気や時間帯にもよるが、この鳩の餌やりは危険を伴うスポーツである。
 特に午前中や、前日まで雨が続いていた日はテキメン、つまり観光客が少なかった翌日の鳩たちは、普段以上に飢えている。おとなしく地面に撒かれた餌をついばむはずもなく、容赦なく手に持った餌に襲い掛かる。
 半そでだと腕は引っかき傷だらけ、雨上がりなら服は足跡だらけにされるので覚悟が必要です。

お呼びでしょうか?


刃物のお手入れ

 うちのオカメ太郎が余りに鋭く尖ったくちばしで、物といい人といい構わず穴を開けてまわるので、押さえつけてやすりで先端を丸くしてしまったことがある。
 先端をゴリゴリ削られるのはさぞかし嫌がるだろうなと思ったら、目を細めておとなしく削られていて、まんざらでもなさそうな雰囲気。
 すっかり丸くして「ざまあみろ、これでずっと安心だ」と釈放し、かくして平和な日々は訪れた・・・・かに思えたが・・・。

伸びてくるのは根元だから、先端を丸くしちまえば当分の間刺されることはない。
・・・そう思っていました。

そして数日後、再びキトンキトンに尖ったくちばしで攻撃を受ける。

 おかしい。あれほど丸くしたはずなのに。
再び押さえつけてさらに丸くする。
 確かにその後数日間は攻撃されずに済むものの、わずか数日足らずで元通り尖っているのは何故だ?

 その答えは夜鳥を寝かしつけてからにあった。夜、隣の部屋のかごの中から何やら「ゴリゴリゴリゴリ」と音がする。不審に思ってある時そーっと覗いてみたら、上下のくちばしをゴリゴリと摺り合わせていた。まさかあんな自己研磨機能があるとは思わなかった。

 かくしてシャベルの先端のように平らで鋭くなったくちばしで、更にいっそうの攻撃を受けることとなった。


フラッシュを焚いて撮影するとまるでターミネーター。


自動改札機

 昔の駅員さんと言えば、改札口で目にも留まらぬ早業で切符を切る姿が印象深い。人が来ない時分も切符切りをカチャカチャやっていたりくるくる回していたり、子供心にその姿はなかなかかっこよかった。近年はほとんどが自動改札機になって味気なくなってしまったが、大量に乗客をさばくには効率的に仕方がないのだろう。
この自動改札機、切符の他に定期券やプリペイドカードまで猛スピードで読み取るが、プリペイドカードの場合、残り金額を読み取り、裏面に通過した改札口の情報が印刷されて出てくる。
 カードを入れる方向は一応矢印が書いてあるが、違った方向に入れたところで、かつてのテレホンカードや銀行のキャッシュカードのように返品を食らうことなく読み取ってくれる。


例えばこのようなカード(本物と間違わないようにみほんと書いてあります)。

 → 
表向きで入れると→そのまま出てきます

 → 
表逆向きで入れても→そのまま

 → 
裏にして入れると→表になって出てきます。倒立した形。

 → 
逆裏にすると→表向きになって出てきます。

日付駅名スタンプの関係だろうか、あくまでも出てくる時は表向きになって出てきます。
試してみるのは構いませんが、裏向きに入れると出てくるまでに時間がかかるので、混んでいる時にはお勧めできません。     


未来服

 一年中快適な服というのはなかなか難しい。全身寒冷地仕様の私は冬の寒さにはめっぽう強いかわりに、夏の暑さにはすこぶる弱い。最大級の薄着(家の中なら素っ裸)でも暑いのだからこれ以上防ぎようがない。
 このまま地球温暖化が進めば、夏の暑さで人々はばたばたと倒れ、紫外線から身を守るために外出時には冷暖房完備の宇宙服のようなスーツに身を固める日が来るかもしれない。

 最近のTシャツの中には汗の蒸発を速め、着ているとひんやりするとうたわれる物もある。
 もちろん飛びつきました。確かにその効果はありました。しかし、全体的に厚手になってしまっているので、着ると普通のTシャツに比べ、まず「暑い」と感じる。なんとなく本末転倒で残念だ。
 休み休み汗をかくような環境では確かに涼しく感じるが、私の人間離れした滝のような汗にはどんなシャツでもすぐに飽和状態、焼け石に水である。

 とはいえ「服を着る→涼しくなる」という発想自体が未来的ではなか。
 まるで皮膚の一部のように、着ている感じもなく保温、放熱、発汗が効率よくできるような服が完成するまで、今一歩のところまで来ているのかもしれない。メーカーさんはぜひとも研究開発に力を入れて欲しいものだと思った。


食えるもの食えないもの

 口の中に得体の知れない物が入っていることがある。さっき食べた物が歯の間に挟まっていたり、片隅に残っていたりした物が出てきた時など。もはやそれが何だったかすぐには判別が難しく、今日の献立でも思い出しながらしばらく噛んでいると、「あ、これはさっき食った○○の・・・」と思い出す。

 ところが木屑でも紙片でも糸くずでも髪の毛でもいい、食えないものが出てきたらどうだ?瞬時に「これはだめだ!」と感じて吐き出すだろう。それが何だか噛んで確かめようともしない。つまり噛む前から食べられるものなのかそうでないのか判断がついているのである。

 他の動物を見ていても、池の鯉は餌以外のものは一瞬で吐き出し、鳥は嘴で軽くついばんだだけで落とす。とても味わっているようには見えず、一瞬で判断がついているようである。

 実は生き物に備わった優秀な能力ではなかろうか?生存競争に打ち勝つには、一瞬で食べられる物なのかそうでないかを見分ける必要がある。もたもたしていた種族は食いっぱぐれて滅び、何でもかんでも食ってきた種族はとんでもないものを食って滅んでしまったのかもしれない。今生き残っているのは、瞬時に判断できる能力を備えた種族の末裔なのだろうか・・・?


トレーラーに乗れーらー?

 高速道路を長時間走っていると、どの車も同じ方向へ同じくらいのスピードで走っているので、景色だけ流れて周りの車はまるで止まっているように見えてくる。
 そんな時、前に車の運搬用のトレーラーがいて、新車などを運んでいると、「あそこに乗っけてもらってこのまま運んでもらったら楽なのに」・・・と思えてしまう。

 漫画などではネタになるかもしれないが・・・・前に走るトレーラーにそのままゆっくり加速して近づいてゆき、そのまま車ごと前のトレーラーに乗ってしまう・・・・両者同じくらいのスピードで走れば出来そうな気がする。

無理だ!

 難しい物理を無視して単純計算すると、時速100キロで走っている場合(タイヤが地面に対して100キロの速度で駆動しているので)、前のトレーラーに後ろの車の駆動輪が乗った瞬間、乗った車は時速200キロで前方に発射される。
 とはいえ実際には慣性の力によって惰性で走っている部分も大きいだろう。しかしトレーラーに乗った場合、タイヤの回転は0。走行中の接地した状態からいかにして0に持ってゆくか・・・?

 前のトレーラーの後ろの部分に後続車の前輪が触れた時に、まず回転する前輪とトレーラー間で擦れあう。やがてその摩擦でタイヤの回転は遅くなり、今度は地面とタイヤが擦れあう。そして回転が0になった時にはじめてトレーラーに前輪を乗せることができる。前輪が乗ったら後輪は動力を切り、トレーラーに引っ張られる状態(うわ、トレトレーラー?)にする。そして同じように後輪を乗せていくというのはどうだろう?あれ、それだと後ろの車の意思でトレーラーの荷台に前進してゆくことが出来ないぞ。前輪駆動なら可能だが最初に駆動輪を乗せるのは意外と大変かも・・・。

いっそのことジャンプして、その瞬間にタイヤの回転を止めて・・・

いや、もうよそう・・・。頭が混乱してくる。


コントラバスの困ったこと

 地方でコントラバスをやっている人々にとって困ったことと言えば、修理に持って行くところがない。弦楽器の工房と言えばバイオリン、ビオラ、チェロまでの所がほとんどで、広いスペースと特別サイズの工具と並ならぬ体力が必要なコントラバスはほとんどがお断りになってしまう。

 
魂柱と呼ばれる楽器内部に立っている柱。バイオリン用は鉛筆程度の太さ。バス用はまさに化け物的大きさ。

 コントラバスは他のバイオリンのような楽器と比べて単価が極めて安い。冷静に考えれば、使われる材木の量からしてバイオリンの何十倍もしてもおかしくない。しかしバイオリンはちょっといい楽器になると軽く数百万や数千万円してしまう。比べてコントラバスはそんなに高くはない。元の単価が高くないということは、それだけ修理代にもお金が掛けられないという場合も多い。

 取り扱いがよろしくないのもこの楽器の特徴。立派なハードケース入りのバイオリンに比べ薄っぺらなソフトケース入りがほとんど。歴史上多くの楽器が、運搬中の事故で壊れたり戦火で消失したりしていて、良好な状態で残っている物はバイオリンと比べ物にならないほど少ない。

 世間には吹奏楽部の部室などに、悲惨な状態のコントラバスが山のように転がっているはずである。各部活に一本ずつと見積もっても、部活の数だけあるとすればものすごい量である。そのほとんどが状態がよろしくないと考えると、出張修理や駒交換ができればそれだけで生計が立ちそうな気がする。

 この楽器を扱う上で一番大事なこと、それは壊さないこと。これに限る。


慣れればかわいいもんですがね

実際のコントラバスの工房では、ベルトサンダーや糸のこ盤などの電動工具が多く使われています。駒の交換一つとっても、すべて手作業でやっていると丸半日がかりになってしまいます。


茶碗

 我が家では高級な食器、気に入った食器はなるべく使わないようにしている。
理由は簡単、割れたらショックだからである。

 
割ってもた。まああいや。茶碗というよりどんぶりという大きさ。

 今使われている食器のほとんどが学生時代に実家から持ってきたもの。実家の近くには食器を安く売っている店があり、いわゆるB級品、多少いびつだったり裏に黒い点があったりしたものがテープで束ねられて10枚100円とかで店先に山積みされて売っていた。おかげで実家の食器棚の中には、使いもしない安皿が大量に並んでいるありさま。
 従って、食器は少々割れたところで、また出せばいいという程度の物だ。

 食器は割れる物、日常使うものなのでいつか割れて当然、しぶーの家の法律では、あやまって食器を割ってもなんの罪にも問われない。


電車の音

 電車に乗っているとガタンゴトンという音がする。改めて説明するまでもなく、レールの継ぎ目を車輪が通過する音。電車に乗ると走行速度に合わせたテンポでリズミカルで心地よい。
 電車の車輪は一両に4つ。正確には車軸によって左右が連結しているので4対というべきか。この車両がレールの継ぎ目を通過すると

「タタ−−−−−タタ」となる。

2両3両と連結されると
「タタ−−−−−タタタタ−−−−−タタタタ−−−−−タタ」になる。
の休符がきれいにおさまっている。車両間の連結部分か。

 これは線路の継ぎ目を主体にした考え方。実際に車内で聞くと前後の車両の通過音も重なって連続して聞こえてくる。

ちょうどうまい具合に「タタンタタンタタンタタン・・・(字の大きさ太さは音量を表しています)」と連続する。

 「タタ」のテンポは、一つの台車に付けられた車軸の幅、車輪の接近度合いによって変わる。間の延ばしの部分は台車と台車の間隔、つまり車両の長さで変わる。
 もしこのリズムが不規則であったり、微妙に人間の感覚とずれて予期したタイミングと異なるリズムだと、乗車していて妙に落ち着かなかったり、イライラする電車になってしまうかもしれない。逆に、間延びしたリズムであったなら眠くなる車両になったり・・・。

 車両に設計をしている人々は、意外とそんなところを研究して車輪を配置しているのかもしれない。などと、音楽家はしょうもないことを考えるものである。


苦手なリズム

 ウクレレの教室でたくさんの生徒さんたちを見ていると、ハワイアンで出てくる基本のリズムは、日本人の我々にとってはなかなか難しいのではないか?と思えてくる。ハワイアンでよく出てくるシャッフルのリズム、その基本形のダウンアップと繰り返す3連のリズム「チャンカ、チャンカ」ですが、付点のリズムと比べその切れは穏やかで間延びした独特のノリがある。


違った意味で独特のノリがある人。

 現地の人々の弾き方を観察すると大抵頭拍から入らず、裏拍から入ってくる。つまりダウンから「チャンカ、チャンカ」ではなくアップから「カチャン、カチャン」と弾く人が多かった。どうも感じ方、考え方からして違うようだ。この「感覚」の違いが音楽ではとても大事。

 どうも我々日本人の体内に流れているのは、日本の言語に合わせた「あんったがったどっこさ・・・」という頭拍を下に押さえつける手まり歌の感覚が強いのかもしれない。

(この歌も「せんばやまには・・・」と「それをりょうしが・・・」の部分は見事に裏拍から入っています。この感覚でしょうかねえ?)


Z起き

 どこの家にもその家庭内でしか通じない謎の掟や言葉ができあがっていたりします。それらは家庭外では通じるはずもなく、うっかり外で口を滑らせてしまうとその由来から説明する羽目になってしいます。得てしてどうでもいいような些細なことが多いのでわざわざ説明するのもはばかられます。

 さてこの「Z起き」もそんな言葉の一つ。この方法は学生時代に私が考案した画期的な起き上がり方。日中留守しがちな身にとって布団を頻繁に干すことが難しいので、出来るだけ湿気を飛ばして良好な状態を保つのは重要な課題。 

 布団から起き上がるとき、掛け布団を体に沿わせてめくって起きると二つ折になります。この二つ折りだと掛け布団が敷布団のほぼ1/2の面積を占有して、留守中の水分蒸発の妨げになりかねない。そこでまず上向きに寝たまま布団の中で両手を上に立て、そのままフォークリフトのような格好になりながら体を起こす。こうすることで掛け布団は三つ折になり、敷き布団上の占有面積を減らす上、次回に布団に入るときにきわめて容易に掛け布団がかけられる。

 説明するとややこしいが、その効能、目的が家庭内では「Z起き」の一言で片付くのである。
 つまり、そんなことを自信満々で説明されてもどうでもいいことである。


自然に出てくる不思議なリズム

 ご存知、プロレスで有名なあの人のテーマ、
「イ○キ!ボンバーイェー!イ○キ!ボンバーイェー!

 振り上げた拳を上下させて叫ぶのに適した掛け声、力強い2拍子のリズム、強い拍感は気分を高揚させ人間をますます興奮させてゆく。
 ところが試合中、ピンチに立たされたときに観客の中から自然に出てきた掛け声、これが実に4拍子の間延びしたリズムなのである。

「イー○ーキー(休符)!、イー○ーキ(休符)!」

何故に休符が・・・?

 これこそが日本人に流れるリズムではないだろうか。このリズム、まるで祭囃子。「ドンドンドン!(カラカッカ)ドドンがドン!」リムショットの部分には誰でも自然に「あそ〜れ!」と掛け声が入ります。 二文字の外国人選手でも2拍目に母音をのばして3拍+休符にしたり、4拍できっちり拍に収まるはずの4文字の選手名でもわざわざ2拍目を「タン、タータ、タン、(休符)」のように付点のリズムにして休符を付け足す。

 どうしても掛け声「あそ〜れ!」のタイミングが欲しいようだ。このリズム、人を高揚させるというより、まったりと宴会ムードでいい気分にさせるようなリズム。1拍目と3拍目に叩く手拍子も、左右から直線的に叩くのではなく、何故だか自然に「人」という字のようなカーブを描いているのではないか?

 農耕民族の日本人の暮らしは、昔から平和だったのでしょう・・・。


眺め実習

 趣味の木工なんぞをしていて、「これを接着して組み立てれば形になる!」「塗り始めたら最後まで一気に仕上げだ!」という重要な局面、このまま調子よく作業を続けて、とっとと完成させてしまいたい気持ちもあるが、ここはひとつぐっと耐えて、いざ完成してから「しまった」ということにならないように、一旦作業を中断して頭を冷却するようにしている。

 組み立て物ならいわゆる「仮組み立て」という過程になるのだろうか、一度冷静になって、この先の作業の計画を立て直す。

 後戻りできない作業の前にはなるべく行うようにしている。仮組み立てや作業途中の状態であらゆる角度から眺め、実際の使用感、完成後のイメージを膨らませる。
 これも楽しみの一つと思っている。


不名誉な命名

 便所バチと呼ばれる昆虫は、正しくは「コウカアブ」という名前があるにかかわらず、悲しいことに何故か一般的にはこの不名誉な俗称のほうがよく知られています。
 実際にはハチの仲間ではなくアブの仲間で、針もありません。「アメリカミズアブ」ともよく似ていてこちらは頭の前にかわいらしい二本の触覚がぴろぴろしています。ただし、どちらも同じような環境で発生するため両者は混同されていることも多いとか。

 調べてみると、コウカ・・・・後架・・・・とは便所のこと。ということは何といいましょうか、「便所バチ」でほぼ正解?俗称と正式名称と、どっちが先なのだか微妙である。


信じられない信じたい話

 予知夢という話をよく聞く・・・・・私の経験上、仮に当たっていてもほとんどの場合は単なる偶然の一致であると断言してもいい。しかしながら時には単なる偶然の一致として片付けられないこともある。いや、単なる偶然の一致として片付けたくないこともある。

 これは私の母親から聞いた、ある親類の本当の話である。

 病名は詳しく覚えていないが、その人は重い病で入院生活を送っていた。病状は悪化するばかりでちっともよくならず、次第に衰弱し、とうとう食べ物も飲み物も全く受け付けなくなってしまった。そしていよいよ命が危ないというところをさまよっていた。
 そんな中、遠い昔に死んだ母親が夢の中に出てきたという。

夢の中で母親は、「これを飲んでごらん・・・」
りんごをすりおろした絞り汁を布に含ませて口元まで持ってきてくれた。
飲み物すら受け付けなくなって絶望していたはずが・・・・・
不思議と飲めたのである。

 そんな夢を見たことを看病の人に告げ、もしや?と思い一か八か試してみると・・・・なんとそれが本当に飲めたのだった!
 その後、奇跡的に元気を取り戻し食欲も戻り、病状はみるみる回復し、命の瀬戸際から生還したのであった。医師にも「奇跡だ!」と言われたらしい。

 そしてその人は今でも語り継いでいる。「私はお母さんに助けられた!」と・・・。


ボクシングの階級

 やしのパートナーの矢橋さんとの合わせ練習の合間に雑談中、ボクシングの話題になった。矢橋さんはじつは元プロボクサー、二人とも格闘技は大好きなのだった。
 ご存知のとうり、柔道やボクシングなどは公平な戦いのために体重で階級分けがなされています。モスキート級(アマチュア)、ストロー級、フライ級、バンタム級、フェザー級・・・などそれぞれ名前がついているのですが・・・。

クルーザー級?ヘビー級?

 それにしてもだのだのだの羽根って・・・あまりにも悲しい名前ではないか?もうすこし何とかならなかったのだろうか・・・・。


新幹線の頭

 幼少の頃、自宅が新幹線の線路にほど近い所にあったので、学校の帰りなどに意味もなく新幹線を眺めていた。厳重な金網の向こうを、猛スピードで地響きと轟音を立てて走り行く新幹線を見て興奮していたものである。
 最近になってたまたま線路の近くを通りかかったので、なつかしさのあまりしばらく眺めてみた。

 いつの間にか凄いことになっていた。最近になって何度も乗っているので速くなったのは判ってはいたつもりだったが、あらためて全速で走る車両を外から眺めても速いこと速いこと!

あんたこわいよ

 かつて丸顔の健気なヤツが「ゴゴンゴゴン」と地響きを立てて一生懸命走っていた記憶があるが、今では目つきの悪い強面の車両が線路上を滑るように走りに抜けてゆく。ひゅんひゅんと風を切る音がすごい。
 線路の継ぎ目の音もしなくなった。車両もずいぶん軽量化して、騒音も減ったらしい。確かに昔のようにパンタグラフから青い火花を出しながらジャージャーバチバチいわして(いわせて)走っていない。

 しかしあのユーモラスなカモノハシのような先頭車両のデザインは、空気抵抗を考慮した結果らしいが、新幹線の場合、あれが先端にもなれば最後尾にもなる。最後尾になったときの騒音まで考慮されてのデザインらしい。


大河のロマン?

 岐阜県を縦に貫く国道156線を走っていると、ひるがの高原へ登り切ったすぐのところに「分水嶺」というものがある。川の水はここを境に太平洋と日本海のどちらかに向かう。公園になっていて小川が出来ており、まさに分かれ道というところに石碑?が立っている。つまりここに立って眺めると右に流れてゆく水は日本海へ、左に流れてゆく水は太平洋へ注ぐ。

 
写真を撮ろうとしたらどこかの家族が占領中だった。

ここが分水境界線!まさに大河のロマン!

 いやまてよ。分水嶺というからには意味としては嶺を指す。だから、そこに都合よく2手に分かれる水がある必要はない。だからこの小川は分かりやすく整備された人工的なものなのだろう。(まさかもともとここに自然にあったものではあるまい!?)

 自然に分水が起こっているような都合のよい場所は、果たして国内にあるのだろうか?あるとすればどんな形になるか想像してみた。

 水が流れてくるということはさらに高いところが必要である。水は谷を流れてくる・・・流れてきた水が都合よく嶺の上に落ちて二手に分かれてゆく。あるいは山頂にある湖から二手に流れ出る・・・くらいだろうか?とはいえ現在偶然そのように分水状態であっても、長い年月の侵食によっていずれ低くなったほうだけになってしまうはずである。高さを保つ人工的な工事が必要になってくるだろう。

 ちなみに分水嶺には関係がないが、このひるがの高原界隈の道路の縁石はゲジゲジになっていた。きっと観光客の車が冬場の深い雪にうずもれた縁石に気づかずにヒットしてしまうのだろう。


動物園のえさ

 動物園に行った時に考えた・・・。
 幼少の頃、「保健所に引き取られたかわいそうな犬や猫たちは、動物園の動物の餌にされてしまう」というまことしやかなが流れていた。日々多量の餌を必要とする肉食獣を飼育するわけだから、餌の調達も大変、そんな時都合よく処分すべき肉というわけで、子供たちの間では都市伝説として案外今でも信じられているのではないだろうか?

 大人になって冷静に考えると、野良犬や野良猫など、そんな訳わからん素性のものなど食わかさす(「食わす・食わせる」の意)だろうか?
 動物園の動物はいわば大切な商品、変な病気にでもなってお亡くなりになったら大損害である。飼育係りは動物の健康に関しては非常に気を使っているはずで、案外人間よりもよっぽど安全な物が与えられているのではないだろうか・・・。


ゆっくり教えました

 オカメインコという鳥は、インコの類の中ではあまり言葉を覚えないらしい。ヨウムのような大型インコはかなりたくさんの言葉を覚え、根気よく教えれば質問に対する答えまで覚えて会話が成立するほど賢いらしい。それから比べたらオカメインコの覚える言葉の数も微々たるもんである。

 インコが言葉を覚えるのにはある一定の期間があり、その間に最もよく覚えるのだそうだ。それを過ぎたらなかなか新しい言葉は覚えてくれない。しかし一度覚えたらその言葉を一生聞かされる羽目になる。

 自分の名前は一番よく聞くのですぐに覚えた。正確な発音させようとゆっくり聞かせていたらゆっくりなバージョンも覚えてしまった。なかなかカゴに入ろうとしないので、しつけのためと思って言って聞かせていたら、数日後から「ハイルヨー」と言い出した。家に帰った時「おかえり」としゃべったらどんなにいいだろう、そう思って教えたら「火曜日」と言い出し、飼い主のや毎朝の目覚ましアラームも覚えた。

室内に干した洗濯物をすっかり占領してしまった。
どうしてくれる。

 こんなヤツでも感心なのは、毎朝決まった時刻になると、誰もいない部屋で聞こえるか聞こえないかくらいの小声でしゃべっているのだ。毎朝欠かさず朝練をしている。


びよーんめがね

発泡スチロールの円筒が2本あったので、こんな物を作ってみました。



(使用例)

「ぶまー」
アメリカンな驚きに効果的です。


まず降らないでしょう

 いつからか、天気予報で「降水確率」という言葉を使い始めて、今やすっかり馴染んでしまったが、使われだした当時は”うまいことハズレた言い訳作ったなあ〜”・・・と思った記憶がある(子供心に)。

 ところで予報での降水確率をどのように感じるだろうか?

10%・・・まあ降ることはないだろう。
20%・・・まず大丈夫だろう。でも降ったとしても間違ってはいないし・・・
40%・・・もしかしたら降るかも・・・傘は持っていこう。
60%・・・まず降るだろうな。
   
  と、こんな感じではなかろうか?

 降水確率80%〜100%に至ってはなんとなく土砂降りになるイメージがある。実際のところ降水確立は「1ミリ以上雨が降る確立」なので、降水量ではなく「降るか降らないか」どちらかの予想。判っているものの、感覚的にそう感じてしまう。まあ発達した低気圧や強い雨雲に対する予報だから、あながち間違ってはいないか・・・。
 降水確率が60%の予報が出ていると、ほぼ間違いなく降るだろうと思い、傘を持って出かける気になります。ということは降水確率40%の時は降らない確立が60%、というわけでまず降らないだろうということになる。

 というわけで降水確率50パーセントを超えるまで、傘を持っていく必要はありません。ただし自己責任でお願いします。


犬も食わん夫婦喧嘩

 日常そこら辺でよく見かけるには二種類いるのをご存知でしょうか?(調べるともっと多くの種類の鳩が生息しているらしいが)、一つはドバト。神社や駅や公園などに群れを作ってうじゃうじゃいます。いわゆる鳩。もう一つは早朝などに電線の上で「ゴゴック〜ク〜、ゴゴック〜ク〜」と低〜い声で鳴くキジバト。こちらは群れることはなく、夫婦で行動している姿を見かけます。

 さて、このキジバトの鳴き声ですが、古くからの喩えでは「デデッポーポー、デデッポーポー」と喩えられています(重要

 ところがうちの嫁にはそのように聞こえないらしく「ク〜ク〜ゴゴッ、ク〜ク〜ゴゴッ」らしい。強拍がずれている?

 さらに「ゴゴック〜ク〜」は4拍子だと思っていたのだが、嫁は「ク〜ク〜ゴゴッ」で3拍子なのだと言い張る。どちらも譲りません。

 

シンコペーションが芸術的なしぶーの作品、流暢な9/8拍子チックな嫁作品。(どうでもいいがな・・・)

 本当のところ、どちらの鳴き方が正しいのだろうか?実際のキジバトの中にもたまにリズムがおかしいのがいたりするからまた困る。しっかりしてくれ。


自分で書いたのに・・・

 電話番号などをメモしておく時に、うっかり番号だけで誰の番号か書いていなくて後になって困ったことがある。走り書きのメモで、あまりに達筆すぎて自分で読み返すことができなかったりすることもある。そんなことが何度かあったので、これでもかというほど未来の自分に親切なメモを書くように心がけている。

 ある時、買い物に行くのに「買うもの表」を書いたメモを持って行った。いつもの癖で、それは解読困難なほどの達筆だった。メモを見ながら順調に買い物をしていて・・・・ふと手が止まった。

「ホエボンド」

・・・・・・「ほえ??」・・・・・・

自分で書いていながら何だったのか、まったく思い出せない。う〜ん・・・店内をぐるぐる回りながら考える。確か必要だと思ったので書いたはずだが・・・。

結局思い出せずに謎のままその他の物だけ買って帰った。そして家に着いてから木工ボンドがないことに気がついた。冷静に見ればなるほど「木工ボンド」だ、何故気づかなかったのだろう?


花の季節

 毎年5月の連休も明けて爽やかな新緑の風が吹く頃、決まって花の季節がやってくる。いや、鼻の季節だった。そう、いわゆる花粉症ってやつ。スギ花粉には全く反応せず、春先多くの人々が苦しむ中、スンハーと春を満喫して爽やかに過ごし、スギ花粉の人々がすっかり開放されたあたりから始まるのであった。花粉症というと多くの人が笑いながら「花粉はもう終わっただろ」と言う。一説によるとイネ科の植物の花粉らしい。

 天気がよい朝、換気をするとしゃみ数連発、くしゃみは非常に体力を消耗するので日中だるくてしょうがない。この時期は昼と夜の寒暖さも激しく、とかく風邪を引きやすいのだが、風邪の症状と区別が付きにくい。

 鼻が詰まると食べ物の味がよくわからなくなる。夜寝る時に上下線とも通行止めの時、「このまま口が詰まったら死ぬ」と本気で思えてくる。音もよく聞こえない。一度反応が始まるとカビやハウスダストなどにも反応するらしく、梅雨時の室内はかなり悲惨なことになる。こんな鼻は梅雨明けと共に開通する。


フラミンゴに噛まれた女

 これは何かの喩えではありません。読んでそのまんま、フラミンゴに噛まれました。「カパッ!!」って。そう、うちの嫁は世にも珍しいフラミンゴに噛まれた女・・・。

フラミンゴ

 水の上に立つ細い足、ピンク色で美しいイメージのフラミンゴ、彼らにはとっても悪いが、近くで見るとかわいくありません。しかも優雅そうな外見と、このひん曲がったくちばしといい、そんなに戦闘力があるようには見えず、完全に油断しておりました(嫁談)。

 ここは掛川花鳥園。園内にはうじゃうじゃと鳥が放し飼いにされていて、上空にはカラフルな小鳥が飛び交い、地面には大きな鳥が我が物顔で闊歩しています。ついつい油断していたのか、すっかり舐めきっていたのか、無防備な状態でうかつに手を出したのでしょう。

 この写真を撮った次の瞬間、「グワーッ!!」っと雄叫びをあげて首を上下に振るやいなや、あのひん曲がったくちばしで嫁の右腕を「カパッ!!」って・・・。さいわい怪我をするほどの破壊力はないものの、結構痛いそうだ。


好奇心旺盛な鳥

 掛川花鳥園の敷地内、建物の外には水鳥の池の他、エミューという鳥がいる。鳥とは言うものの、なぜかこいつらのいる場所だけ「エミュー牧場」と名が付けられていて、小型のダチョウのような鳥。人は中に自由に入ることができ、触れ合うことができる。鳥のくせに「グルルルル・・・」と唸っているから一瞬入るのをためらったが、実際には凶暴な鳥ではなかった。この鳥やたら好奇心が強い上、非常に人懐こいので、違った意味で恐怖な体験だった。彼らにとってお目当ては手に持った餌のカップ。おまけに人を全く恐れないのでやたら近づいてくる。ふと気がつくと毛の生えた顔が目の前に集まっている。

やたら顔が近い(こえーよ)                   背が高いので逃げようがない

  

ちなみに走って逃げても彼らのほうが足が速い。わらわらとどこまでもついてくる。

  

カメラに興味津々。目がすごくでかい。

 決して人に対して危害を加えるような鳥ではないが、あまりの近さに恐怖を感じてしまう。手に持ったカップを奪われることもあるらしいが、彼らに悪気はまったくないらしい。


男性用は?

(食事中の方ごめんなさい)

 先日ライブを行った中津川のキャンプ場のトイレは意外にも近代的だった。
簡易水洗トイレ、要は水洗の皮をかぶったボットンです。

その名も「トイレーナ」。なぜ女性名詞?
男性用はトイレーノなのか?そのネーミングセンス、妙に気に入ってしまった。
やるなあINAX・・・。

 

真ん中の穴の部分がふたになっていて、レバーをひねると下方にパカンと開いてあとはボットン。
流れる水の量はすこぶる少なくて済む。

ライバルのメーカーはこんな素敵なネーミングに対抗できるのか?「ベンジョルノ」とか・・・


近くで見るとでかい!

 上空にあるがために、実際よりもかなり小さく見積もられてしまうものがある。特に日常よく見かける信号機は地上で見ると驚くほど大きいらしい。ある時街で信号機の付け替え作業しているのを見つけ、そんな話をしながら歩いておりました。

ふと足元を見ると・・・

なんとそこには付け替え前の信号機が横たわっているではありませんか!!
思わず記念撮影してしまいました。

旧式の携帯電話のカメラなので画像が荒いです。

やっぱりでかいです!

 信号機の灯器の直径は250mm、300mm、450mmとあり、標準が300mmだそうです。レコードのLP盤(12インチ)に匹敵し、顔よりでかいです。高速道路や大きな交差点に使われる信号機の直径450mmといえばバスケットゴールの大きさ、これも上空にあるので実感が湧きませんね。


偶然の産物

 深夜に車で田舎道を走っていると、いつも大抵決まった信号で引っかかる。信号のサイクルからそうなっているのだから仕方がない。これも不用意にスピードを出させない策なのだろう。
 そこはいつも引っかかる信号、夜中は他に車はほとんどいないので、ほとんどが停止線の前の決まった位置で止まる。信号待ちをしていて、ふと横の景色に目をやると・・・

縦に整然と並んだ街路灯。


あそこにはまっすぐな道があって街路灯が並んでいるのか?はたまた神社の参道でもあってそこに並んでいる街灯か?
一見すると何のことはない夜景。

 そんなことを考えながら、さして気にもしていなかったのだが、あるとき驚きの事実が判明した。それらの明かりの一つ一つは実は全く関係なく、遠くの明かりと近くの明かりがたまたまその場所から眺めると一直線に見えているにすぎなかったのだ。(なんか天体写真みたいになってしまいました。)


全くバラバラ。      →      直前までバラバラ。      →      じゃーん!      →      少しでも前に進むと・・・。

 わずかでも前後に動くとずれてしまい一直線にならなくなってしまう。偶然の恐ろしさ、ある意味芸術的ですらあると思った・・・。


黄色い声

 我がアパートは比較的繁華街に近いところにある。したがって、しかるべき季節になると多数の酔っ払いがたむろしているのが聞こえる。大学生のサークルか何かの飲み会なのか、店から出てから解散までの間店の前や近くの路地裏で大騒ぎしていて、静かな深夜とあって少し離れた我がアパートの方まで聞こえてくる。
 当然付近の住民にとっては迷惑なのだが、聞く人にとっては若い女の人の黄色い声でキャッキャと騒いでいるのがとてもうるさいらしい
 らしいというのは私は若い女の人の声をあまりうるさく感じない。それよりむしろ低い男の人の声が響くほうが耳に付いてしまうのだ。

 気になって、周りの何人かに聞いてみたが、女の人の多くは若い女の甲高い声をうるさく感じ、男の低い声はうるさく感じないという。男性に聞くとまったくその逆だった。興味の対象や親近感や敵対意識など色々な要因が絡んでいるとは思うが、人によってずいぶん音に対する感じ方に違いがあることに驚かされた。

 ということは、同じ音楽でも人によって感じ方がずいぶん違うのだろう、と思った。興味の対象であれば、どんな音でもいい音に聞こえるのだろうか・・・。


ドイツの銘菓「マリー・アマラス」??

 予知夢という話をよく聞く。夢の中のお告げが本当になるというやつだ。そんなことがもし本当ならすごいことではないか。私は眠りが浅いせいか、はっきりした夢をよく見る。現実と見間違うほどのリアルな夢だったりもする。よく男性は白黒、女性はカラーの夢を見やすいというが、私はたいていカラーの夢を見る。というより白黒の夢を見た記憶がない。

 ある時ドイツ人にお菓子をいただいた。なんでもドイツでは伝統的で有名な焼き菓子で、シナモンなどの香辛料をふんだんに使ったクリスマスのお菓子だそうです。詳しい方なら「あ、あれだ」と思われるかもしれない。そこまで説明を聞いておきながら肝心な名前をすかっり忘れてしまった。何しろドイツでは有名らしいので、調べる手がかりはある。まあいつか調べよう程度に思っていたのだが・・・・。

 そんなある日、夢の中で、知り合いの女性(物事にすごく詳しい)が出てきて「ああこれはドイツの・・・」と教えてくれた。カラーでやけにはっきりしていて、夢の中ながら感心してしまった。これはもしやと思った。目が覚めてもはっきり覚えていたその名前は「マリー・アマラス」。これがもし本当だとしたらまさしく予知夢!大いに期待しながら調べてみた。

 結果はドイツの銘菓「レープ・クーヘン」。う〜ん・・・惜しい?その後包み紙を発見、確認したらレープ・クーヘンで間違いなかった(メーカー名でも商品名でもなかった)。

 それ以来、悪夢や災難の夢を見ても気にしないことにした。まず100%当たらないでしょう・・・。


オカメインコの気になる毛

 我が家には一匹のオカメインコがいる。「オカメインコ」・・・・誰が名づけたのか絶妙なネーミングに感心してしまうほど、全く持って面白い顔をしている。性格はきわめておっとり、ちょっとの物音でもパニックを起こすほど臆病だが、すっかり甘やかして育てたせいか、人の手に対しては怖がるどころか容赦なく攻撃してくるという凶暴っぷりには困っている。

 ところでオカメインコはセキセイやコザクラインコと大きな違いがある。頭の上に生えている冠羽、すなわちびょろんってやつ。驚かすとまっすぐに立ち上がって緊張度合いが一目瞭然、ウソがつけない性分ですな。鳥的には先端が上へ大きく反り返っているほど立派なのだろうか?

↓        

びょろんってしてますね・・・

 飼うまでは特に気にもしなかったが、いったいどういう仕組みで生えてくるのか?だんだん生えていって最後に先端が上に反り曲がるのか?いや、ひとたび生えた毛が都合よく上に曲がるなんて無理なはず。

 冷静に考えると最初に上に反った先端が生えてきて、だんだん伸びてゆくにしたがって反った部分が後ろへ行き、最後に他のびょろんと並んで揃う。だとすると生えかけの状態では頭の上にぴんと角のような毛が立っているってこと?もしそうならば、それはすごく間抜けで笑える姿だ。鳥的にもそれはとってもかっこ悪いのではないだろうか?

本当のところはどうなのか?それは実際に飼ってみて、生え替わる途中を見るとよくわかる。

正解図

そのまんまでした。後ろと揃うまで10日位は一角獣になっています。笑える・・・


母親(おかん)が獣に変わった瞬間(とき)

 うちの母親は国内でも有名なBという服飾系の専門学校出身で、若き頃はそこの先生を勤めていたらしい。そして偶然にも嫁の実家の祖母はDというこれもまた有名な服飾系の専門学校の先生だったとか・・・。とはいえ男の私はそんなことは全く興味がなく、「女=裁縫が得意」という偏見に満ちた誤った認識を持っているに過ぎなかった。

 ある時嫁を連れて帰省した時、母親がどこからともなく漂うただならぬ手縫いの香りをフンフンと嗅ぎつけ、吊ってあった嫁の服を見つけた。「この服は・・・?」それは嫁の母親が作ったものだった。「ふ〜ん?・・・」

一瞬母親の目が光った。デザインや形ほとんど見ず、すかさずその服の裾をめくって裏返すと、隅々の縫い目や裏の形を見だした。しまったと思った。聞くところによるとBとDという専門学校は当時から相対する2大勢力で、ともに異なった方式で仕立てるらしい。これではまるで敵地に単身乗り込むようなもの、格好の餌である。

「・・・なるほど・・・」ギロギロとまるで獣のまなざし、隅から隅までチェックをしていた・・・。それは私が今まで見たことがなかった母親の姿、なんとも恐ろしい光景だった・・・。


立派な大人になりました!?

 あれは高校時代の同窓会があった時。卒業以来10年以上経ち、みんなすっかり立派な社会人になっていたが、その日は普段の生活を忘れ、若き日々の思い出に浸りながら楽しいひと時を過ごしていた。

 そんな中、自宅がお寺だったヤツがいて、聞くところによると卒業後はそっち系の大学に進んで、今はさらに家業を継ぐために日々精進している身なのだと言う。よく喋るひょうきんで明るいヤツだったが、その日はみんなのバカ話にはついてこず、酒も飲まずに側でニコニコとしながら座って見ているだけだった。

「おい、お前何笑うとんじゃわりゃあ!?」

冗談も言いあう仲だったのでふざけて絡んでみた。
ヤツは相変わらずニコニコと笑いながら物静かに語った。

「みんなが楽しそうにしている・・・・」
「・・・・?」

続けて語った
「こうしてみんなが楽しく、みんなが幸せでいるということが、僕はとっても嬉しいんだ・・・」

周りにいた我々は目が点になった。

「り、立派になられましたなぁ・・・」
思わず手を合わせてそいつの顔を拝んでしまった。


 謎の怪音の正体は・・・

 ある朝のこと、昨夜のはげしい雨がウソのようにあがって、台所の窓から差し込む朝日を浴びながらコーヒーを堪能していると・・・
「ひこっ」

????・・・・・かすかに、どこからともなく奇妙な音が。まるで公園のブランコがきしむような甲高い音。
「ひこっ」

ちょうど5秒くらいの間隔で聞こえる。周期的に動くもの・・・・・扇風機か何か消し忘れたか?
「ひこっ」

耳を澄ますと、どうやら外かららしい。しかし公園は遠いし、だいいちブランコなら「キーコキーコ」だろう。
「ひこっ」

全く聞いたことがない謎の音だった。・・・???


出勤時、外に出るとアパートの前の路上に一台の車が止まっていた。中にはサラリーマン風の男の人が爆睡中。おそらく運転中に猛烈な睡魔に襲われて急遽車を停めて寝たのだろう、エンジンはかけたまま、すっかり雨が上がって爽やかな朝日の中、止め忘れたワイパーが乾いたフロントガラスを擦っていた。

「ひこっ」


なぜ頭だけ?

 オーケストラの仕事の時、たまにカメラマンが入って写真撮影することがあります。プログラム用なのかポスター用なのか、もちろん本番中ではなくてゲネプロ(直前リハーサル)の時だが、そのためにわざわざ衣装に着替えて練習するときがあります(普通は本番直前に着替えます)。一通り撮影が済んで休憩中に楽器を横たえておくと、たいていのカメラマンはなぜかコントラバスのヘッドの渦巻きの部分をパチパチと撮ってゆきます。他の弦楽器に比べて不気味なほど大きいヘッド(私はもう慣れましたのでかわいいもんです)は造形美チックなのだろうか、私の楽器のヘッドはとくに古めかしく汚れているので的にされやすい。気が付くと知らない間に私の楽器のヘッドの部分(だけ)がどこかに掲載されていたりして・・・。

こんなヘッド、どこかで見たことありませんか〜?


いいえ、普通の大きさです!

 生徒によく「先生の楽器は普通のウクレレよりも小さいですよね?」と聞かれる。いいえ、普通のウクレレです。いわゆるソプラノサイズ、どこにでもあるごくごく普通のウクレレの大きさです。確かにバインディングが入った楽器は縁取りの分ひとまわり小さく見えるが、私が持つとなぜかさらに小さく見えるらしい。
 本場ハワイでは男性ならテナー、小柄な女性でもコンサートサイズが普通になっている。大きなボディの方が音量もあるし弦が長い分余韻も長いがその分フレット幅も広く、弦を押さえる力も必要になってくる。手の大きいアチラの人々にはちょうどよいのかもしれない。
 集合写真を撮る時は私がコンサートサイズの楽器を構えてみんなより二歩後ろにさがればちょうど遠近法が・・・・。


よりによって何故

 自分でも冷静に考えると、何故コントラバスとウクレレという奇妙な組み合わせをやっているのか疑問だ。元々音大ではコントラバスを勉強してきたが、合奏の中ではコントラバスはほぼ和音の下を支える低音に徹している。日ごろから低い音ばかりやっているとたまには旋律と言うものを弾いてみたくもなる。もちろんコントラバスのオリジナルの曲にも素晴らしいソロの曲は多いが、まったくちがう楽器を楽しんでみたくもなるもんだ。
 まるで最大と最小の組み合わせが奇妙だが、よくよく冷静に観察してみるとウクレレとコントラバスの指板の幅広さは実はそんなに違いがない。まさかと思うが、厚みこそ桁違いに違えど上端の幅だけ比べるとそこまで差がないのである。コントラバスの指板は意外に狭いのだ。
 だからといってコントラバスは大きな割に弦を押さえやすいと言うわけではない。幅が狭いというだけで、ポジション(ウクレレではフレット)の間隔や弦の太さもハンパでない。むしろ逆ではないかと思う。小さなウクレレでも、よりよい音を出すには、コントラバスのようにしっかり弦を押さえる必要があると思う。


恐るべしムクドリの大群

 家の近所に、ある季節になるとどこからともなく鳥の大群が押し寄せてくる。夜でも明るい駅前の繁華街、それは夕方から電線に列を成し、どうやらそこを寝床にしているようである。ヒヨドリほどの大きさだが下から見上げると白い腹しか見えない。そしてこいつらがやたら「ギャビギャビ!」とうるさい!下を車が通ったり、何かに驚くことがあると一斉に「ギャビギャビギャビギャビ!」夜中にかかわらず大騒ぎ。種類が分からないころはこの鳥を「ギャビ」と呼んでいたほどである。

 この鳥、正体はムクドリ。自治体もこの大群には手を焼いているようで、電線にカバーをつけたり花火で脅したりと苦労しているようであるが気がつくと再び大群がいる。そして下を歩くと必ず聞こえる不吉な音「ボトッ」。うかつに電線の下に立ち止まれない。

それにしても、そん事言っている場合ではないかもしれないが、電線の上に整然と等間隔に並ぶ彼らの距離感に妙に感心してしまう。

下がどえらいことになっています…


やし

 ウクレレ&ギターデュオやしの正式な名前は平仮名2文字のやし。ところが電話での打ち合わせが不十分だと椰子になったりYashiになったりヤシになったりします。電話で名前を聞いた仕事先の担当者もまさかと思うのでしょうか、勘違いなのか??でも二人とも全く気にしていません(未だに香具師になったことがないのが幸いか?)。またある時人に言われました、やしは「癒し」のやし…。なるほど、うまいこと言うもんだ。考えた当時はまったく気がつきませんでした。それなら誰か苗字の頭に「い」のつく共演者を探さなければ…。「もやし」「こやし」になってしまったらどうしよう…。


ど〜なっているのでしょう?

 渋谷の苗字の正しくは澁谷。これは単なる旧字体です。東京の有名な地名だけあっていわゆる渋谷はまちがいなく書ける人が多いが、この旧字体になるとなかなか難しい。日ごろ目にする機会の少ない字だけに知らない人も多く、病院でも「とめやさ〜ん!」と呼ばれることも数回。そこでよく聞かれるのが「下はど〜なってるんですか?」。よく見れば単純に「止」が三つ並んだだけだが、「此」とかによく間違われます…。


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