三州足助屋敷


三州足助屋敷、通称足助屋敷は香嵐渓の中心部にあります。

昭和55年に開館した施設で、一言で言い表すと生きた民族資料館とでもいいましょうか。
香嵐渓をのんびり散策して、香積寺を見て、すっかり満足していた矢先だったが、せっかくここまで来たのだから入っておくべきか?


入場料500円(大人税込み)を払って中に入ると・・・



門をくぐるとまず真正面に見えるのが井戸!

いきなり目に飛び込んでくるので、これは興味を示さないはずがない。
これは本物なのかレプリカなのか、つるべがついていると言うことは本物か?


周りの景色がどうなっているのかはとりあえず置いといて、まずはこの井戸に近づく。



どうやら本物のようです。
やはりこれでもかというほどの転落防止措置がしてありました。



深い?



深い?



深いよなぁ〜。



はい!当然覗き込みました!




さて、最初の好奇心が満たされると、ようやく回りの景色を見渡す余裕ができました。
 
うわーーーーー。
まるで昔話の世界にタイムスリップしてしまったかのような景色。
敷地内には牛もつながれ、鶏が放し飼いにされていました。


いいよいいよ!
これはかなりいいんでないかい?



 足助屋敷は1千坪の敷地に、明治期のこの地方の豪農屋敷を再現して、かつての暮らしぶりや手仕事を伝えるための施設。この町並みの中には今もなお昔ながらの伝統的な製法を守る職人さんたちがいて、わらぞうり・機織り・桶屋・番傘・紙すき・炭焼き・鍛冶屋・竹細工・木地屋・紺屋などがあり、作業の様子を見学したり体験することができる。



母屋の中は、かまどや囲炉裏が現役で稼動しています。

 

すすけた匂いがまたたまらなく懐かしさを感じる。

 



機織をしている人がいました。


機織と言えば鶴の恩返し
決して覗いてはならないという向こう側で、せっせせっせとこのように織っていたのだろう。
にしてもこの大掛かりな機械、昔の人にとっても結構高価なものだったろうに、そこの家にはあったのか。
一説によると、この鶴の恩返しお話には、鶴を助けたのが老夫婦版と独身の若者版があるらしい。
独身の若者の家にこんな機械があったこと自体無理がないか。
それとも昔は先祖代々どこの家にもあったのだろうか・・・。


機織姿、なんとなく見てはならないような気がするのは気のせいだとして、見ているだけでも気の遠くなるような手間のかかる作業だ。

服一着分織るのにいったい何日かかるのだろうか?
縦糸横糸を一本ずつ交互に織り込んで模様を出すのだが、複雑な動きをする見事なマシーンだ。



原理は判るのだが、これって織り始める前のセットアップが大変なのではないか?

話を伺ってみると、何百本とある縦糸をすべて機械の細い隙間に一本ずつ手作業で通すのだそうな。




時間の感覚が違う・・・




縁側には昔の玩具が置いてあって自由に手にとって遊ぶことができる。

独楽やら竹とんぼやらけん玉やらおはじきやら達磨落としやら・・・
って、どれも子供の頃に遊んだものばかりなんですけど!

もはやこれらは珍しい昔の懐かしい玩具になってしまったのか。
年をとったもんだ。

驚いたことに、この縁側の下は鶏小屋になっていた。
昔はこんなところで飼っていたのか。


妙な懐かしさを感じると思ったら、これらの昔の暮らしぶりは、幼少の頃にはまだ現役だったものも多い。
(雪国の親戚はいないので囲炉裏はないが、堀コタツが炭火式だったり、そういえば年末恒例餅つき大会の際にはかまどがまだ現役ではないか)





別の建物の中では、鮮やかな手さばきでカンナをかける桶職人さんがいました。

いろいろと話を伺っているの横耳で聞いていたら、昔ながらの製法で手作業で作るととてもではないが採算が合わないそうだ。
ここは出来上がった製品を販売もしているが、作る行為は技術を伝承することが目的で、売り上げはほとんど材料代にしかならないそうだ。

ここで働く職人さんたちは、いわば足助町(豊田市)の職員にあたるのだろうか?
だとすると職業は公務員になるのだろうか。




傘職人さんがいました。

この傘はまだ和紙を貼っただけの状態、雨用はこれに油を塗る必要があるとか。
微妙に漂うの臭い。
これはニカワで貼っているな。



 技術というものは進歩してゆくもの、優秀な道具や新たな製造方法が開発されれば発展してゆくのは当然である。しかしながら昔ながらの方法を守る必要があると言うことは、丁寧にきちんと作られたものは今現代の製品よりも質が高いということに他ならない。

 楽器の世界ではいまだに昔ながらの手作業で作られているものも多いが、大変高価なかわりにそれなりの品質を誇り、その価値は認められている。

 ここで作られているものは芸術作品というよりも生活必需品がほとんど。採算を追求するあまり、今ではすっかり大量機械生産品やプラスチック製品や輸入製品に押されてしまって、伝統的な工芸が少なくなってしまっているのは残念な限りである。





歩くとギシギシいう廊下は懐かしい木のにおいがしました。
 
さまざまな工芸品や玩具が展示されていたり、実際に手にとって遊ぶこともできるところもありました。


木でできたパズルの玩具。

人体パズルってあんた、ちょっとリアルすぎないか?





敷地内の他の建物の中では染物、木工品、竹細工などが売られていました。
 
すべてここで手作業で作られています。



夕方閉館近かったせいか、紙すきの実演や体験、鍛冶の実演は終わっていました。
 
行われる日時は決まっているようなので、体験したい場合には調べてから行く必要がありそうです。




水車も現役で駆動中。

ガッコンガッコンと音を立てて回っています。
近代的な水車と違って回転速度が妙にいびつで、速く回ったり止まりそうになったり。
ただ回っているだけなのに、時を忘れて眺めいってしまいます。
水車小屋の中では精米用と思われる臼がありました。




太か鯉も泳いでいました。







昭和の町並みを再現した所もありました。
 
バンバン?なんだその食堂は?

昭和と言えば大抵がこのような暗ーい町並みが再現されていることが多い。
人々の印象はどうしても下町的な寂れた雰囲気が根強い。
しかし、それは決して暗いイメージではなく、人情あふれた温かみのある情景として記憶に残っていることだろう。


昭和の代表と言えば忘れてはならないのがこの傘電球

子供の頃にはまだたくさんありました。
今でもこの哀愁漂うほのかな明かりにはファンも多いはず。
ノスタルジックな魅力に取り付かれて、全国の傘電球の写真を集めている人々もいる。
足助の町並みにはいまだ現役でありますが。

白熱電球の製造が先行き暗くなった今、今後この傘電球は生き残ってゆけるのだろうか?










いかん、色々と見とれているうちに、気がつくとすっかり夕方になってしまいました。

時を忘れて見入るほど面白い!
そしてまだまだ見ていないものがたくさんあった。
ぜひまた来よう・・・。








足助に来たら忘れずに買っておきたいものが「ZiZi工房」のソーセージ。
 
なんでも足助に住むZiZiたちが集まって、足助ハムという名目の肉製品を作っている。
このほかにもBABAたちが集まってベーカリーを始めた「バーバラはうす」も評判だとか。


 足助町観光協会のサイト


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