管理人の独り言2

ここは管理人しぶーのが日ごろ感じたことや気づいたことを徒然と書き綴るページです。

外国語の会話のマナー

 仕事柄、よく外国の人と話すことがある。
そう言うと聞こえがいいが、決して流暢な会話をしているわけではない。
えてして話さざるを得ない状況に陥って、身振り手振り四苦八苦しながらようやくといった程度である。

 そんな苦労をするたびにいつも思うのだが、ほとんどの外国人は手加減を全くせずに話しかけてくる。話しかけられた日本人は「やばい!わからない!」、心臓がバクバクだ。言葉が通じなくて困るのは外国人のはずなのに、なぜか日本人のほうが困り果てる。
 
 日本人が外国へ旅行に行くときにはせめてもの最低限の英語(現地語)くらいは学んでゆくだろう。それを怠ると大抵日本語が全く通じずに両手を挙げて「だめだこりゃ!」をされてしまう。

 かといって「ここは日本だ!」と開き直って外国人に複雑な日本語を完璧に強要するのも酷な話、国際社会に逆行するのもどうかと思う。

 せめて向こうの人は片言の日本語、それに対してこちらは片言の英語というように会話をすればお互いイーブン、通じないのはお互い様のはずではないだろうか?


なんだこりゃ?

   

 古いデジカメフォルダを整理していたらこんな写真を発掘した。愛知万博スイス館の中に貼られていたポスターより。

だ、誰ですか?あなたは!?



夜阪奈種皮利の名作、「山岳女」のポスターらしい。

 

よく似たアニメは子供の頃見た記憶があるが、確かこんなだっただろうか?
違うような気がするが、でも題がそうなっているし、本場のスイス館に貼ってあるのだからたぶん間違いないのだろう。

いかに昔の記憶など当てにならないかといういい見本だ。




こんなだったような気がするが・・・


25℃は涼しい

 夏が過ぎて秋になると気温25℃は実に涼しく感じる。春から初夏への気温25℃は暑く感じる。

 初夏はまだ春の格好をしているので着ている服も多い。秋にはまだ夏の薄着なので涼しく感じる、この違いだけだろうか?

 まるで日没後と夜明け前の明るさのようなものなのだろうか?(日没後はすぐに暗くなる、夜明け前は早くから明るくなる、の不思議。目の暗順応によるとされている。)

 気温の他に湿度も大いに関係していると思うが、この感じ方の違いには不思議に思う。


本当の姿は?

この写真はかなり白川郷。誰がどう見ても白川郷です。


(本物です。間違いないです。)

 テレビや絵葉書やカレンダーやポスターやその他でよく見かける景色だと思います。有名な世界遺産の合掌集落があり、その少し離れた山の上から見下ろせる場所があって、絶好のビューポイントとなっています。
 しかしこの図はよく見かけるが、ここだけ見るとこの合掌集落は完全に人里離れた山に囲まれた盆地にあって、苦労して峠を越えるといきなり上のような風景が広がる・・・まさに秘境といった佇まいである。



 下の写真はもう少し引いて撮ったもの。右の写真の風景はそのつもりはなかったが偶然にも景色の連続性があったので二つ並べて擬似パノラマにしてみました。下のほうの景色が食い違うのはご愛嬌。この見晴らしポイントに立った背中側には広い駐車場と土産物屋があります。

 実際にここに行ってみてまず驚いたのは、集落の横にが流れていたこと。そんな映像は今まで見たことがなかった。四方八方が山に囲まれているものと思っていました。
 そして合掌集落は国道に隣接しており、真ん中を観光の為の道路がぶち抜き、土産物屋が並び、電柱には街路灯が灯り、わらぶき屋根の合掌造りの家にパラボラアンテナがついている。そしてすぐそばの山の中腹を東海北陸自動車道が通る。今やここは秘境とは言いがたいほどアクセスがしやすい観光地となりました。

 観光の案内の写真ではなかなかこの位置関係はわからない。見えては困るものが上手に画面から外されていることが多い。しかし、これこそが今現在のこの世界遺産合掌集落の真の姿ではないかと思う。

 あえて、そこがどんな所にあるのか、周りがどうなっているのかがよく判るような写真を撮るように心がけている。


携帯待ち受け画面

 携帯電話の待ち受け画面には、持つ人の個性が現れている。
 今やカメラ付き携帯はほぼ当たり前になっているので、それぞれ自分で撮った写真を待ち受け画面にしている人も多い。

 人の携帯を見せてもらうと、設定している人の中では1・子供の写真、2・ペットの写真、3・恋人の写真が圧倒的に多い。そして見たくもない待ち受け画面の順番とほぼ一致する。やはり個人で楽しむものとしてしまっておくのがよいのだろう。

 かく言うしぶーのも、こだわりの待ち受け画面を設定している。別に待ち受け画面なんか何でもいいのだが、携帯を開いた時に人に見られたときに「あっ、それは何の写真ですか?」と聞かれることもなく、「ほう、かわいい○○ですね〜。」と話題にされることもなく、見られても恥ずかしくない、というのがあえてこだわりである。

 こうして設定されているのこの待ち受け画面、見た10人中ほぼ9人以上が「・・・・?」という反応を示す。





ハト好きなんすわ・・・


仏法僧

 愛知県新城市(旧鳳来町)の鳳来寺山自然科学博物館には奥三河の自然や生き物についての展示がたくさんあった。中でも仏法僧(ブッポウソウ)と鳴く鳥に関しての展示には力を入れているのがよくわかった。
 鳳来寺のような自然豊かな山奥、夜の暗い森の中に響き渡る甲高い鳴き声が、あたかも「ブッポウソウー」と聞こえるのでこう名付けられ、その声の主は長年とされてきた。

 
秘境級の自然豊かさ

 とはいえ実際に「ブッポウソウ」という名のついた鳥がいる。このありがたい名前をいただいたのは瑠璃色に輝く美しい鳥。ところが実際に闇夜に響く声の主は、この鳥とは全く関係のないフクロウの仲間のコノハズク

 全然違う鳥にこの名をつけてしまった人、おそらく違うと薄々は感じてたんじゃないだろうか?本物は夜しか鳴かないわけだし・・・。そして無理矢理名づけられてしまった「ブッポウソウ」のありがたい本当の鳴き声は「ゲッ」とか「グェー」なんだそうな。


またネタやってるよ・・・(本当は人と展示物の間にはガラスがあります。)(画像はアオサギです。)


三大テノール

 先日、テノール歌手の巨匠イタリアのルチアーノ・パバロッティ氏が死去したニュースは世界中に衝撃が走った。71歳という、歌手としてはご高齢ではあるが、ほとんど晩年まで歌いつづけた姿はまさに歌手の鏡とも言える偉大な人であった。

そして「イタリア人の三大好きなこと」といえば、

・アモーレ(恋をすること)
・カンターレ(歌うこと)
・マンジャーレ(食べること)

 まさに典型的なイタリア人としても世界に誇る偉大な人物であったに違いない。ご冥福をお祈りいたします。


隣にいたヤツと橋の下にいたヤツと谷にいるヤツは仲間だった。

(文中に一部伏字が使われています。)

 愛地球博で話題になったサ○キとメ○の家(お前らの名義ではあるまい?)のお話には奇妙な妖怪?が出てくる。「隣のトト□(これでも一文字伏字)。」
 三匹目の大ヤギ、ガラガラドン(凄い名前だ)が橋を渡ろうとして出てきた妖怪はト□ノレ。
 そして北欧のとある谷に巣食うカバの妖怪も正式名称△一三ン・ト□−ル

 実はこの三匹は同じ種類の妖怪なのだそうだ。伝説ではトロルというのは北欧の森に住む魔物。妖精とも妖怪とも当てはまらず、日本語では「精霊」という感覚が一番近いらしい。耳や鼻が大きく、背丈は電話帳くらい、色々と悪さをしでかし、北欧では物がなくなったりすると「トロルのいたずら」というのだそうだ。

仮説・・・・・トロル=天狗?


大人になってから理解できた童謡

 雨の日はおかんがジャノメで迎えに来る。カラスは山のフールスに帰ってゆき、歩き始めたミーちゃんはジョジョを履く。赤い靴の女の子はイージンに連れられて行ってしまった。アルペン踊りを踊るのは子ヤギの上なのか?ムーミ○は何故おネンネしなければならないのだ?どんぐりは転がってになり、満月の夜はボーンのような月が出てくる。ふるさとのウサギは食べてしまうし、赤トンボには追いかけられる。夜な夜な母さんは手袋を編みながらを食って、子猫だけでなくおまわりさんまで鳴いてばかりだ。

 太陽に透かしたくらいでは掌の血管は見えないし、お礼に踊ってないで早く逃げろよ。


正式名称

カキ氷を一気食いするとキーンと頭痛がします。これは医学的にもちゃんと名前がついているそうです。

その名は・・・「アイスクリーム頭痛」

はい?

「真面目にやってくれなきゃ困るんだよ」・・・というようなお茶目なネーミング。

納豆に含まれる血栓を溶かす成分、今のところ納豆以外には発見されておらず、他のどの薬よりも効果が大きいらしい。
摂取方法もただ納豆を食すればいいという夢のような成分。

その名も・・・「ナットウキナーゼ」

日ごろ冗談ばっかり言っていると、人に言っても絶対信じてもらえない・・・。


正しい遊び方

名古屋市科学館で開催されていた「ザリガニワールド」へ行ってきました。

「タスマニアオオザリガニの重さを体感!」(模型)というコーナー。

  

何かネタをしなければ気が済まない性格・・・。


正しい発音

 香港は英語表記では「HONG KONG」、ならばキングコング「KING KONG」は何故キンコンにならんのだ?と知り合いの有名作曲家が申しておりました。
 確かに発音的には日本語のキングコングよりもキンコンのほうが近いかもしれないが、「キンコンが暴れる映画」ではよく判らないし迫力がない。

 アメリカの作曲家、ルロイ・アンダーソンの傑作「PLINK!PLANK!PLUNK!」という曲、弦楽合奏で演奏されるこの曲は弓を一切使わず指で弦を弾くピッチカートという奏法だけで演奏されます。それ自体は珍しくはありませんが、ジャズの和声を多く取り入れたアンダーソンの洒落っ気たっぷりのこの曲は、楽器の裏を擦ったりコントラバスを回すパフォーマンスもあって人気のある曲です。

 邦題ではよく「プリンク・プランク・プルンク」と読まれることがあるが、英語の発音では「プリンク・プレンク・プランク」が近いと思われます。
 PLINK(プリンク)、PLUNK(プランク)ともに英語では弦楽器をポロンと弾くという意味、これにPLANK(プレンク)という語呂合わせと思われる言葉を加え洒落を効かせたこの曲は、あたかも弦楽器を一斉にはじく擬音語を捩って「プリン!プレン!プラン!」がもっとも原語の発音に近いのではないだろうか?

 今度アンダーソンに会ったら聞いて確かめてみたいと思います。


いつの間に?

 暦の上では9月1日から秋になります。

 8月最後の日が終わって9月1日の朝、えらいもんで、空を見上げるとちゃんと高くなっている。夕べのうちに誰かが高く上げておいたのだろう、一晩でちゃんと秋の空に変わっている。

 あぢあぢ言っていた夏の間は、空など見上げる余裕がなかった。空を見上げても「あちいな〜」と思うだけでしみじみと季節感を観賞する気も起きなかった。
 ふと涼しくを感じるようになると、空なんぞ見上げて季節感を楽しむ余裕が生まれるのだろう。

 つい数日前まで夏だったのに、急に秋の虫が鳴きだす。生き物たちは気温以外に何かで季節を感じ取っているに違いない。


居眠り防止突起

 高速道路を走っていると、所々に道路を横切るペイントがある。
 そこを通るとガクンと車が揺れて、アナザーワールドへの誘いと格闘しているドライバーを正気に戻す役割がある。リズムが3・3・7拍子になっていたりするあれです。
 路肩のライン上にも細かい突起があり、そこを踏むと「ブーン」とやかましい音がしてはっと気づくようになっている。


 高速道路の居眠り事故を防ぐ意味では、非常に功績が上がったことだと思う。
 例の舗装を通ると助手席で寝ていた嫁がふにょ〜んと目を覚ます。なるほど効果アリだ!

 高速バスとか、安らかに寝られるのだろうか?
 まあ運転手が居眠りなんぞしたら、それこそこのまま目を覚ます事もなくなってしまうかもしれないのだから、それくらいは大目に見ているでしょう。


大きくなっています

 子供の頃のものがいつの間にか小さくなっている・・・・大人になるとそんなことを感じてしまうが、最近逆に大きくなった物もある。

 マー○ルチョコ、チ○コベビー、ベビー○ターラーメン、最近お菓子類がでかくなった。もちろん昔からあるサイズも健在だが、コンビニなどの菓子コーナーに売られている大きさ、これは明らかに大人サイズ

 
でかっ!

 きっとこれは明らかにターゲットを大人に絞った商戦の表れなのだろう。
 デザインはそのままで巨大化しているところを見ると、これらの菓子に子供の頃から慣れ親しんできた世代が大人になって、子供の頃に手に持った感触をそのまま大人の手にあわせて大きくしたのだろう。

 チョコ○ビー、数十年ぶりに買ってしまった。妙に懐かしさを感じる・・・。


クラクション

 車のクラクションの音が嫌いだ。
 好きという人はあまりいないとは思うが、注意喚起するためなのであまり心地のよい音色では効果がないのだろう。車同士の場合、相手の車内まで聞こえる必要があるためか、関係ない歩道を歩いていてもびっくりするくらい音量が大きい

 危険を知らせる意味で必要不可欠なのだろうけど、現実に使われている場面でのクラクションは怒りの表現になってしまってはいないだろうか?ボタン一つで大爆音が轟く様は、強力な武器を手に入れたようなもの、クラクションのボタンは銃の引き金でありミサイル発射ボタンである。

 歩道で自分の進路を阻む他の歩行者を、大声で蹴散らして進むことはあるまい。しかし人は車に乗ると、なぜか普通にそれをしてしまうのだ。実際、クラクションをめぐってのトラブルやケンカは後を絶たないのではないか。

 しかもこのクラクション、強弱のコントロールが付けにくい。「ちょっとどいてもらえませんか?」程度の意思表示でも、押し方が少しでも強すぎれば大音響になってしまい、まるで「どけどけー!」と言っているように聞こえてしまう。

 強弱をつけずに音符の長さだけで感情を表現するのはむずかしい。


塩素で美白?

 学生の時分、下宿のボロアパートにはエアコンという文明の利器がなかった。
 さらに2階建ての2階だったので夏場はそれは恐ろしいことになった。窓全開、扇風機最強でも追いつかず、唯一の暑さ対策としてできることは水風呂に飛び込むことくらいだった。とはいえ蛇口をひねれば出てくるのはほとんどお湯、おかげで夏場はほとんど風呂を沸かす必要がない有様。ものぐさな性格からほとんど水も替えず、使っては足し使っては足しを繰り返していた。

 そこにぶち込んでいたのはクールバス○リンという入浴剤。青色の爽やかな色のその入浴剤には若干のミントが入っており、水風呂の後につかの間の清涼感を味わうことが出来た。
 暑い日は一日何度も水風呂に飛び込み、入浴剤もそのたびに足すので次第に濃くなり、とうとう黒に近いインクのような青い水、体を拭くタオルが青く染まってゆくほどになった。
 そんな見るからに恐ろしい色の風呂もすっかり慣れ、「風呂=青い」という先入観さえ根付いてしまったが、これでは水が汚れているのかきれいなのかさっぱりわからない。

 そこであるとき風呂水ワ○ダーとやらを入れたみた。主成分は塩素。まるでプールの消毒であり、追い炊きの風呂の湯を清潔に保つという薬品。
 そして翌日、いつものように水風呂に入ろうと風呂のふたを開けると、当然中には底が見えないほどの青々した水が・・・・ない。水が全くの無色、透き通っていたのである。

 一瞬、留守の間におかんが来て、水を入れ替えたのだと本気で考えてしまった・・・。

 着色された青色は塩素によってすっかり漂白されてしまっていたらしい。一説によると水道水の塩素が強い地域に住むと、徐々に肌の色が脱色されて白くなるという噂があるが本当だろうか?


子供の頃の大きさ

 最近はカブトムシが小さくなった。昔は用水路に手のひらを上回る大きさのザリガニがいっぱいいた。バッタもオニヤンマも化け物のような大きさのものをよく見かけたが、最近はそんな大きな生き物はめっきり見なくなった。

 子供の頃、広いと思っていた実家の前の道も、いつの間にかこじんまりと狭くなってしまったし、大きいと思っていたアイスもいつの間にか小さくなっていた。

 そして小さくなるはずのない服までが小さくなっている。

不思議な世の中だ・・・。


補助バッテリー

 趣味の工作や得体の知れない作業に没頭すると、それこそ食事の時間を忘れて白熱してしまうことがある。仕事が忙しくて、食事の時間も取れず朝から何も食べずに練習本番をこなしてしまうこともある。
 人によってはこのようなオーバーヒートしたスケジュールが不可能ということらしい。食事を抜くと体力が持たずにヘロヘロになってしまうというのだ。

 もちろん空腹になります。食欲は人一倍旺盛なのだが、それを上回る忙しさや熱中する物事があると、他ごとに時間を費やすのが惜しくなることがある。

 そんな時に、全身に蓄えてある補助バッテリーが作動する。これにより数食分の活動力がまかなわれるのである。全くもって便利な体にできている。

 その後ひと段落着いてから、失われた補助バッテリー分のエネルギー分から優先的に補充されてゆく仕組みになっているので、使っても使っても減ることがない。


聞こえない音

 とある喫茶店での出来事。そこのスプーンには柄の上部に飾りとして小さなベルというか鈴がついていた。振っても音がしない。飾りだから外側だけなのだろうと思い覗いてみたらちゃんと中に当たり金がついていた。
 驚くことに、同席した人にはちりんちりんと鈴の鳴る音が聞こえているという。

 

 その後、気になって何度かそのお店で同じ物(カフェオレの上にアイスが乗っているやつ。美味かった)を頼み確かめてみたが、日によって聞こえたり聞こえなかったり・・・。ベルに個体差があるのか耳の調子が違うのか・・・。

 人間の耳はおよそ20Hz〜20000Hzまで聞こえると言われています。20Hz以下は低周波、20000Hz以上は超音波と呼ばれ人間の耳には聞こえません。日常の会話が250Hz〜4000Hz、楽器の音は27Hz(ピアノの最低音)〜4000Hz、倍音を含めると10000Hz位なのだそうだ。

 この数値には個人差も大きく、老人性の難聴になると高い方が8000Hzくらいまでの人もいるといいます。もちろん日常生活には支障はないらしいが、人によって聞こえている音に違いがあるというのを実感できた体験だった。


行楽日和

世間はお盆休み。今年のお盆休みは天気もよく、さぞ海や川への行楽が盛んなことでしょう。

 

いつも見ているライブカメラに人や車がたくさん写っているのが妙にほほえましい。
よく行く所ですが人ごみの苦手なしぶーのはこの時期には近づきません・・・。

(国土交通省中部地方整備局豊橋河川事務所、矢作川ライブカメラより)


威厳を保つ食材

 スーパーで売られている食材には便利な物が多く、家庭では難しいであろう中華料理などを手軽に作ることができる半加工食品がある。いわいる「たまねぎがあればできる」とか「キャベツがあればできる」といった類の物。
 それと並んで、すでに完成した食品がレトルトや冷凍の状態でも売られており、湯せんやチンすればたちまち出来上がる物、また惣菜コーナーでは小分けにされたおかずを買うことができる。

この差は何か?

 一手間必要かどうかである。
 この半加工食品はほとんど完成の状態であり、一品加えて最後の加工を鍋やフライパンの上で行わなければならない。この最後の作業こそが主婦の威厳を保つ作業なのである。料理のできる人間にとっては朝飯前であるが、できない人間を完全に排除することができる。

 じつは食品分類的には「そうざい」にあたるのでいわゆる完成品、そのまま食べても何ら差し支えない。さらに一手間かければ作りたての味、便利な世の中になったもんだ。


10時10分

 自動車学校でハンドルを握る位置を習う時にはおそらく10時10分の位置と習ったことがあるでしょう。
 言いたい事はよくわかります。ハンドルを時計に見立てて、短針が10時の位置、長針が10分の位置を持てということでしょう。
 ところが正確には時計の10時10分は左右対称ではない。正確な10時10分は、長針が10分の位置に進んだ時にわずかに短針も進んでいて、文字盤上では5度、目盛りで言うと1目盛り弱も動いてしまっている。

 ならば本当の対称の位置はいつなのだろうか?
 ここで言う角度は時計の文字盤上の12時の位置からの針の角度で、天文学での1度=4分とは異なるので注意。

・時計の1目盛りは6度。1時間の目盛りが30度。
・長針は1時間で360度、1分間に6度、1秒間に0.1度動く
・短針は1時間で30度、1分間に0.5度、1秒間に約0.00833度動く。
・短針が1目盛り動くとき長針が12目盛り動く。
10時09分00秒では長針54.0度、短針55.500度
10時09分10秒では長針55.0度、短針55.417度
10時09分12秒では長針55.2度、短針55.400度・・・その差0.200度
10時09分13秒では長針55.3度、短針55.391度・・・その差0.091度
10時09分14秒では長針55.4度、短針55.383度・・・その差0.017度
10時09分15秒では長針55.5度、短針55.375度・・・その差0.125度
10時09分30秒では長針57.0度、短針55.250度

これにより正確なハンドルを握る位置は10時09分14秒ということになりました。


私立なのに国立

 音楽関係の世界では周知のことだが、国立音楽大学私立の学校である。国立なのに私立。理由は簡単、学校の名前が東京都国立市の地名(正確には国立音楽大学は現在立川市にあります)からきているからである。

 はい、確かに一度は間違えました。テレビやラジオで演奏家の出身校が紹介されるのを聞いて、もちろん「くにたち」という読み方は知っていました。しかし、例えば市立と私立を混同しないように、それぞれ「いちりつ」「わたくしりつ」と呼ぶように、他の似ている何かと混同を避けてそのように呼ぶことが通例なっていると疑わなかったことがある。(同じように東邦音楽大学桐朋学園大学はともに「とうほう」なので、桐朋をあえて「きりとも」と呼ぶこともある。)

 国立市にある施設の名前は、知らない人が聞いたら間違えそうなものが多いのではないだろうか?国立市立国立第○小学校(○は漢数字)は実在するようです。
 
 だとすると私立市、県立町、都立郡にある施設の名前も紛らわしいことこの上ない。

 そんな地名はありません。


合併の弊害?

 一頃に比べて落ち着いてはきたが、このところ市町村の合併が激しかった。おかげで古い地図は使い物にならなくなるし、いつのまにか住所が変わってしまった人もいる。

 田舎道を車で走っていて町の境界線が少なくなったので、どこまで行っても同じ市内、今どこを走っているのかわかり難い。

 かつてそこに村があった場合、村の役場の場所は大抵の地図には出ていた。役場があるということは、その辺りでは最も栄えていて、集落はあり、施設はあり、店もあるということで、地図上の役場の位置には重要な目安になっていたのだが、合併してしまうとそれまでの役場はせいぜい出張所になり、さして重要でなければ大きな地図上からは姿を消してしまう。知らない土地の地図ではあたかもそこには何もないのと同じになってしまう。

 合併すると補助金などどのようなメリットがあるのか詳しくないが、それ以上に大きな何かを失っているのではないかと心配になってしまう・・・。


産まれた日の朝

 うちのおかんは私の産まれた日付の新聞を一部保存しているという。子供の時分、茶けた新聞を見せられたことがあったが、載っている記事は物心つく以前のことだし、照れくささもあってろくに見もしなかった覚えがある。

 あれから(体重的にも)大きく育ち、世間の移り変わりも激しく、すっかり昭和生まれの人間が古い部類になりつつある今、ふと自分の産まれた日にどんなことがあったのか興味も沸いてくる。

 インターネットでも調べられないような些細な事件、すっかり忘れ去られた広告、若かった有名人など、産まれた日に起こったことが克明に記された新聞は、世間的にはただの一日の出来事でも自分にとって貴重な資料になることだろう。
 
 産まれた日の新聞には前日の出来事が載っているはずだが・・・。


大人になってから知ってがっかりしたこと

一寸の虫にも五分の魂
ということわざがあります。

 幼少の頃から、命の大切さを教わるためによく聞かされてきたが、当時の知能では「一寸」や「五分」というものが具体的にどのくらいなのかよくわからなかった。
 しかし子供ながらになんとなく感じ取った解釈では、一寸も五分も共に大きさの単位と思い込み、さらに一寸<五分と思っていました。

つまり・・・

たとえ小さな虫であっても、そこには大きな魂が宿っている。
すなわち命の大きさは体の大きさではないので、
小さな虫の命も大切にしなければいけない。

なんと壮大で立派な教えであろうか!
何も知らない子供ながら、無益な殺生を禁ずる仏教の片鱗を感じ取った気がしていた。

大人になってから、わずか一寸の虫の魂は、たった五分(その半分)しかない意味だと知って、妙にがっかりした・・・。

小さいのかよ!

「五分五分」、「九分九厘」と言うように、その昔には「割」という単位はなかったらしい。現在の単位なら五分は本来5パーセント、さらに少なくなってしまう。


納豆

 納豆は腐らない不思議な食品である。

 しぶーの家ではこのような伝説になっているが、「すでに腐っているから」というのは冗談。しかし賞味期限をはるかに過ぎた納豆が何の障害もなく摂取されてしまうことは長年の経験によって証明されている(しぶーの家の法則。真似をする場合はすべて自己責任でお願いします)。
 もちろん売られている納豆には賞味期限が明記されている。そして保存はもちろん冷蔵庫。


 さてある日、訳あって新旧の納豆が同時に食卓へ上った(3個パックで売られているので毎回一つ余る)。一つはその日に買ってきた新しい納豆。もう一つは我が家の冷蔵庫の中でじっくりと熟成された年代物の納豆。賞味期限はすでに半月ほど過ぎている。

二つを並べてみて気づくのは、新しい納豆はふっくらみちみちとした豆、年代物は豆にしわがよって粒も小さくなっている。

なるほどそういうことか!

 ご存知納豆は、茹でた大豆に納豆菌をはびこらせて作ります。腐敗菌がつく以前にそこは納豆菌のパラダイス、条件が悪くなければ腐敗菌の入り込む余地はない。

しかし設定された賞味期限は一体何か?

 賞味期限を過ぎても納豆菌は着実に活動し続け、やがて納豆として人様がいただく部分がどんどん食われてしまう。つまり長年熟成された納豆は、ほとんヤツらの食べ残ししか残っていないのであった。


開きになった魚

 最近は魚を買うのももっぱらスーパーが主流になった。
 スーパーで売られている状態の魚はわたが抜かれ、切り身になっていたりと非常に便利なのだが、おかげで魚をさばくのが苦手な主婦も多いのではないだろうか?尾頭付きの魚を見ても、名前がわからないという話はよく聞く。
 かく言う私も得意ではない。
 よく我が家の食卓に上る鯖ですら、いつも切り身の状態で買ってくので生前はどんなをしていたのか見たことがない。模様なら誰もが知っているのに。

 以前テレビで北海道の海の様子を扱った番組を見ていて、ほっけの群れが映っていた。当然、泳いでいるほっけはあのよく知っているほっけの分の幅しかない。彼らが食卓に上る時にはほとんど開きになられているので当然といえば当然だが、ほっけといえばなんとなく幅広の魚と思ってしまっていた・・・。


知らぬが仏

 その日は生徒の一人から、「友人がレッスンを見学したいというので連れて来てもよいか?」という申し出があった。その教室では、レッスンを申し込む前に実際のレッスン風景を見ることが出来るシステムだったので、快く了承しました。

 その生徒が連れてきた友人は、実に見上げるほどのやたら体格のいい大男、爽やかスポーツマンという言葉がよく似合う風貌の青年だった。大きな手にウクレレがひときわ小さく見えた。


 いつものようにレッスンを終え、その青年と数言会話したが、趣味で少しだけギターをやっているらしく、ウクレレにも多少興味があるらしかった。

 そんな会話の様子を、他の生徒たちは大爆笑で見守っていた。

 その青年は当時地元のプロ野球球団の現役の投手で、のちにアメリカに渡ってメジャーリーグで活躍するほどの有名人だと知ったのは後になってからであった・・・。普段野球をほとんど見ないので全く気がつきませんでした。


ライブハウスのBGM

 ライブハウスに行くと、ステージでミュージシャンが演奏していない時でも何かしらBGMを流している。休憩時間や終演後も、間髪入れずにスピーカーから音楽を流しだす。
 クラシック派の私から見ると、そんな光景はいささか疑問に思える。今、目の前で演奏したミュージシャンの録音ならともかく、聞き終わってまだ余韻に浸っていたい時ですら全く違った音楽が流れるのである。

 私は自分が関わるライブの時には極力、前後休憩時間のBGMは入れないようにお願いしている。それでも「体裁がつかない」との理由で要望が受け入れられないこともある。

 ライブハウスの人にしてみれば全く音楽のない時間や空間はいたたまれないのだろうか?

 しかし私は逆に何も音(音楽)のない空間というのもアリではないかと思う。むしろ「音」に対して対極にあるのは「静寂」、この何もない静けさがあるからこそ音が生きるのではないかと考えるのだが・・・。


ペット

 ペットとして飼っている動物はかわいがるほどに意思の疎通ができてきて、まるでパートナーとして家族の一員となる。飼っている犬や猫が人語が話せたらどんなにいいだろうと思ったことはないだろうか?


(イメージ映像)

「やあおかえり、うれしいな。どうしたんだい浮かない顔をして。また何かいやなことでもあったのかい?人間は大変だねえ・・・・。それより腹が減って死にそうだよ、あ、昨日のドッグフードしけってたよ。袋の縁ちゃんと洗濯バサミで止めてなかったじゃない。あれ虫が入るとイヤなんだよなあ〜。今日の散歩公園のほうの道左回りで頼むよ、あそこの電柱にゃ怖いやつがいてねえ・・・」

・・・イヤだ。

 ここまで賢い動物はもはや人間と同等、首に紐などくくりつけて飼う気にはなれない。やはりペットは何も考えていない無邪気さがいい。
 だとすると、仮に現実に願いかなって、動物が人語を話すようになっても、彼らの頭ではそうたくさんの言葉は話せまい。せいぜい「めし!」とか「散歩!」とか「うれしい!」とか「寝る!」という程度ではないだろうか。
 だったらわんとかにゃーとかで充分通じる。

 よく考えたら、これでは「めし」「風呂」「寝る」と、どこぞの父ちゃんと一緒ではないか!?


果てしなく怪しい乾電池

 中国製の怪しい懐中電灯を買うと、見たこともない乾電池が入っていることがあります。

 この単二型乾電池は夜店で買ったライトセイバー(棒状のピカピカ光る駐車場の警備員が持っているようなのの白いヤツ)に入っていました。見るからに危険な香りが漂うが、手にとってみてさらにびっくり、驚くほど軽い!わずか42gと超軽量設計になっています。通常の単二型乾電池が70g前後なのでその軽さには驚きます。一体どれくらいの容量なのだろう?いまだ怖くて使えません

 

こちらは単三型乾電池、打って変わって高級感があります。妙にピカピカした外観、なにやらたくさん文字が書いてあります。

 

そしてこんな所に牡丹の彫り物が・・・。実は現地では高級乾電池だったりして・・・。


脳年齢

 最近巷では「脳トレーニング」というものが流行っているらしい。知人から携帯型のゲーム機を借りて試したことがあるが、やるたびに上がってゆく脳年齢に愕然としたものである。やはり脳は使わなければ衰えてゆくのだろう。

 あらゆる方面で悪知恵が働くしぶーのだが、ひとつだけ決定的に苦手なものがある。それは人の顔と名前を覚えること。たくさんいる自分の生徒の名前がなかなか覚えられないのだ。
 しかし顔はよく覚えている。要は名前と一致しないのだ。不思議なことに、どの生徒がどの楽器を使っているかはよく覚えている。もしかしたら楽器神経衰弱をやったら全問正解かもしれない。

 恐らく一時代昔のパソコンのような数GBしかない記憶容量であろう私のおみそでは、これ以上新しいことを覚えると、昔の記憶から犠牲になってゆく。ひとつ新しいことを覚えれば自分の名前を忘れ、また一つ覚えれば自分の両親を忘れ・・・。

 もし本当にそうなったら、間違えても失礼のないように生徒の名前は全員「社長」と呼ぶことにしようか・・・。


感動の再会

 高校時代の話。
 遠足で地方のテーマパークへ行きました。「○○博」のように、期間限定で行われた小規模なイベント会場だったが、なるほど遠足で生徒たちをきっちり囲まれた敷地内に放ってしまえば、脱走して悪さは出来まいという賢い企画だと思った。

 さして見る物のないテーマパーク内で、独りでぼーっと彷徨っていると、遠くにその女の子が見えた。その同級生の女の子は同じ中学の出身で、現在(高校時代)は同じ部活に所属していた。クラスは違えど同じ部活内の、単なる顔見知りと言った所でしょうか?そしてあることをすっかり忘れていました。

 その子の横に見知らぬ男がいる。
『あれ?彼氏か?でも見覚えない顔だな・・・』
その子が誰と付き合おうとさして興味はなかったので、どうでもいいやと思い見ぬふりをしようとした矢先、
こちらに気づいた様子。

何を思ったか次の瞬間、横の彼氏を放り出し、目を輝かせて猛烈な勢いで突進してきた。

「○○(私の名前)さ〜ん!」いきなり私の両腕を掴むと上下に振って叫んだ!

「ひ・さ・し・ぶ・り〜!!」

?????

はぁ?


(画像は大学時代のバイト先にて。本文とは関係ありません。)



目が点になるとはこのことだろうか?

目を輝かせたその子は、どうもネタでも演技でもなさそうだ。
昨日部活で会ったはずなのに、気でも狂ったか?

 入力した情報があまりに理解不能で、脳内がビジー状態、再起動が必要かと思われた。


しばらく固まりました。
(本当)

訳がわからず、呆然とその子の顔を眺めた。


 ようやく次の瞬間、彼女の制服が違うことに気づき、すべてを理解した。

 つまりその子は同じ出身中学でも有名な双子の姉妹だったのである。二人はそれぞれ違う高校へ進学し、その片割れが同じ部活にいる子で、いつも片方しか見ないのでそのことをすっかり忘れておりました。
 そしてその日は偶然にも、同じテーマパークで遠足が重なったらしい。

 その双子は並べて見比べても区別がつかないほどよく似ており、毎朝二人で手をつないで登校してくるので有名だった。それは見かけた知らない人はパニックに陥るほどシンメトリーな光景だった。


携帯電話

 最近は携帯電話を持っていない人のほうが珍しくなりつつある。およそ15年ほど前から爆発的に普及し始め、今や一人一電話の時代になりつつある勢いだ。と同時に、電波の届かない所と言うのは情報及び通信の孤立を意味し、必要な所でも電源を切るのが不安になる「携帯電話依存症」の人が増えているに違いない。


病院内、電車内、飛行機内など、電源を切らなければいけない所で、果たしてどのくらいの人がきちんと守っているのだろうか?


 困ったことに、演奏会場でも本番中に客席からよく鳴る。大昔から時計のアラームの音はよく話題になっていたが、最近では圧倒的に携帯電話が多い。開演前にあれほどアナウンスがされているはずなので、まさか「切り忘れた」との言い訳は通じない。よっぽど切りたくない理由があるのだろうか?

 最近ではホールのほうで会場内を圏外にしてしまう動きも始まっている。だからと言って安心できない。機種や設定によっては電池残量が少なくなるとアラームが鳴り響いてしまう。
 マナーモードとて油断できない。本番中、静かな曲の最中で会場中に「ぶーんぶーん」と響き渡っていることもよくある。留守電のメッセージや発信音などの受話器から聞こえるわずかな音も、静かな場所では意外と聞こえてしまうものなのである。


 携帯電話を本番中に鳴らしてしまうと、周囲からは睨まれ四面楚歌、針のむしろ状態になり、とても演奏を聞くどころではない。終演後は逃げるように退散せざるを得ない。
 そんな中、最悪のタイミングで電話をかけてきて大恥をかかされた相手と険悪な状態にでもなるのだろうか?かけてきた相手には罪はないのだが・・・。


ダンボールは食える?

 ニュースなどで話題になっているのでご存知の方は多いと思いますが、とある国で肉まんの具材の肉の替わりにダンボールを使っていた所があるという。

全く持ってじられない話だ。

そんなことをする行為自体の話ではなく、ダンボールが肉と同じように食えてしまうということである。

 普通に考えれば、肉まんの中からダンボールが出てきたら、食えないものとして「ペッ!」となってしまうであろう。
 ところがごまかしとして使われたと言うことは、安全性はともかく出来上がりは普通の肉まんと区別がつかない程よくできていたのではないだろうか?
 わさわざコストや手間隙かけてそんなことをするくらいなら安い肉を使ったほうがよっぽどましなはずだろうから、やろうと思えば簡単にできるはずである。

 まさかダンボールを食おうとは思いませんが、どう考えても食えっこないあのダンボールが(ごまかしてでも)食えるものになる、そんなことができてしまうこと自体が驚きである。


今、クラシックの演奏会が熱い!

 最近はクラシック音楽や演奏家を題材にした漫画がヒットしたり、テノールの人気歌手がメディアで注目を浴びるなどして、その影響でクラシック音楽のコンサートは大いに賑わっていると言う。歌謡曲並にクラシック音楽が身近に聴かれるようになるのはうれしい限りである。そして音楽はテレビ・ラジオ・CDもあれど、やはりコンサートホールで生で音を聞くのが一番。

今やクラシックの演奏会が熱い!





・・・そう、この時期、夏場の男性の衣装は暑いのである。

 外は灼熱、じりじりと照りつける太陽の下、もしくはムシムシとする熱帯夜、ホール内はいかに空調が効いていて快適な空間といえども、この格好は真冬と同じなのである。女性なら薄手のドレスを着ればいいのだが、男性は上着着用なのでなんともしがたい。その上、本番中静かな楽章の間は空調を止めることもあるのでなおさら大変だ。

 演奏家にとってこの衣装はいわゆる作業着にあたります。普通の生活をしていたら一生に一度着るか着ないかの燕尾服やタキシードを、着たまましゃなりとしていればいいわけでもなく、全身を動かして汗だくになって楽器を演奏します。礼服というのは動きやすいようにはできておらず、また想像以上に重いので本番は練習よりも労力が要ります。

 とくに汗かきの私は、それこそ遠目に見てそれなりに見え、実はペラペラな素材やジャージでできているステージ衣装があったらどんなにいいだろう?とよく思う・・・。


全日本まっすぐ選手権。まん丸選手権

 この競技は職人の手作業による技術を競う競技である。

 ルールは簡単。

例えば一本の針金を叩き延ばしてまっすぐにする、やすり一本で金属板をまん丸にする、木を削って平面を出す・・・など。


 ただし使っていい工具は棒やすり、砥石、サンドペーパー、ペンチ、カンナ、のこぎりなど。(重要)
 旋盤、ボール盤、ろくろ、サンダーなどの電動工具は使ってはならない。ただしインパクトドライバーは除く。(重要)すべて手作業で行わなければならない。

棒やすり、砥石、サンドペーパー、ペンチ、カンナ、のこぎり、インパクトドライバーは家にある
旋盤、ボール盤、ろくろ、サンダーなどの工具は家にない

 趣味の工作は、家にある限られた工具で何とか済ませなければならない。つまり旋盤やサンダーなどの機械や電動工具があったら便利なんだろうなあ・・・と考えながら、がんばって手作業で削るのである。


手編み?機械編み?

 高校の時分、同じクラスの女の子が編み機を買ったのだと言う。そして張り切って色々編んだ物を見せびらかしていた。手編みのマフラー、手編みのセーター、手編みの・・・・(誰かの為に編んだというのではなく、すべて自分用にだったが、そこはさすがに誰も突っ込まなかった。)

「ちょっと待て!」
どこからともなく横槍が入った。

「それは機械編みじゃにゃあか?」
(忠実に方言も再現。)

「いや、機械を使って手で編んだから手編みにじゃにゃあ?」

「いや、それは手編みと言わにゃーよ。」

「機械編みじゃん?」

・・・・・・

えてして喧嘩の原因なんてしょうもないことである。


現地の人との交流

 あれはハワイ島で行われたハワイアン・フラ・フェスティバルの会場でのこと。出演順は前のほうだったので早々と本番を終えて、後は優雅に他のステージなんぞを眺めつつ、公園内の出店見物を楽しんでおりました。
 せっかくアメリカにいるのだから、出来るだけ現地の人と交流をせねばと思っていました。幸いハワイの人々はとても親日的だ。

 出店の中の一つにハワイアンコアの木を使った腕輪やブローチなどのアクセサリーを売っている店があった。ご存知ハワイアンコアはウクレレに使われている虎目模様の美しい木材、ハワイでは装飾品からホテルの手すりやテーブルまで幅広く使われています。
 日本に放置してきた嫁に一つ買って帰ってやろうと思い、あれこれ手にとってひっくり返し、目を皿のようにして出来るだけ木目のいいのを物色。ウクレレ弾きたる者、当然どんな木がいい木なのか、そりゃあよーく知っていますとも。
 しかし、いくつかしげしげと眺めたが、どうもピンと来ない。気のせいか、どれもとってもショボイように見える。

そんな様子を見かねてか、
「にーちゃんにーちゃん、ちょっと待ってろ!」(英語で)

その店のオヤジはそう言って店の裏に停めてあった車の助手席から箱を持ってきた。

「うわっ!」
思わず声が出た。

そこには見事な虎目模様が浮かび上がった立派なコア材で出来た装飾品が、ずらっと並んでいた。

「おっさん!あるやないけ!」(日本語で)にやりと笑うと、そのオヤジもにやりと笑った。
「値段は全部さっきと同じ(10ドル)だよ。」(英語で)

その中から一つ髪留めを選んだ。

「にいちゃん、ええ目をしとるやないか!」(英語で、「グッドアイ」と言われた)

「そりゃそうだ、ふはははははは!」(日本語で)
オヤジ「ふはははははははは!」(英語で)

なんだこいつら・・・・・


磨けばいいってモンでしょ?

 最近冷たいものが歯に染みる。飲み物などで即、染みるのではなく、えぁーす※)を食した時など、時間差で効いてくる。どこかに虫歯があるらしい。

そんなこんなでようやく歯医者に行ってみました。そこで驚きの診断が・・・・

 およそ半年前に、同じような症状で親知らずの虫歯を治療しました。なにせ歯ブラシが届きにくい所なので虫歯になりやすく、治療も困難だったようだが、なるべく抜きたくない一心でその後歯磨きには気を使っていたつもりだった。
 ブラシは固め、小学校時代に習った小刻みに動かす方法で毎日「んおぇ〜!!」となりながら奥まで磨きましたとさ。特に歯と歯茎の間は、念入りに磨いておりました。

 さて、歯科医での診断は何と虫歯ではなくて知覚過敏。歯と歯茎の間が開きすぎて染みるのだそうだ。原因は磨きすぎ

 磨きすぎは歯をすり減らせてしまうのだそうだ。改めて正しい磨き方を教わり、歯ブラシと試供品の歯磨き粉をいただいて、妙に年齢を感じつつ帰ってまいりました・・・。


orz
こんな気分で

※)名古屋弁でアイスのこと。ただし誰も言いません。お年寄りは愛知県を「えぁーちけん」と発音します(本当)。


一年おき

織姫と彦星は一年おきに逢うことが出来る。今年逢ったら一年経って来年の同じ時、再び逢う。つまり毎年逢う。

一週間おきにレッスンのある教室には毎週通わなければならない。実際には月2回、隔週でレッスンをしている。

私は一日おきに風呂に入る。頭を洗うのも一日おきだ。そんなことを言うと「毎日入らないの〜!?」と言われてしまう。



何か間違っているのだろうか・・・?


ウエストはどこで測る?

 嫁とズボンの話をしていた。最近では「ぱんつ↑(発音)」と言うそうだが、ズボンの下にはいているものと名前が同じと言うのは今だ馴染めない。

議題は「どこでズリ落ちるのを止めるのか?」(相変わらずしょうもない議題だ)

しかし途中からどうも話がかみ合わない。お互いに考え方が異なるようだ。
さらに討論を続けた結果、「ウエスト」の定義になった。


ウエストは、胴体の一番くびれた(細い)部分で測るらしい。

そんなことを言われても・・・・


ウエストは胴体の一番太い部分で測るものでは?


オカメインコから見たオカメインコ

趣味の電気工作で改造したUVライトで遊んでいる時に気がついた。
オカメインコの「びょろん」、もともと黄色く色づいているのだが、紫外線を当てると鮮やかな黄色に光る。

↓(びょろん)  


(直接当てたわけではないですよ。)


抜け毛コレクション(なにやってんだか・・・)


気になって他の羽根でも試してみたのだが、オレンジ色の羽根も白い羽根も光らずに紫色に染まった。

うちのオカメ太郎は雄だが、雌の羽根はまた違った色だったら面白い。
もしかすると鳥同士では全く違った色合いに見えているのかもしれない。
(昆虫の)蝶の羽根も紫外線で発色すると聞いたことがある。


伝説の銘器

 世の中には、どの世界にも「マニア」という人々がいて、コレクションの対象にならない物はないとさえ言われている。とりわけ通常ではありえない品物が「激レア物」として重宝されていたりもします。それは例えば穴の位置や印刷がずれていたりと、製造上のミスであってもその希少性が価値として認められれば立派なコレクターズアイテムとなる。

 中西ウクレレの中にもそんな希少価値のある「激レア品」が存在する。それは2004年製の楽器に見られ、サウンドホールから中の黄色いラベルを見ると中西氏の直筆のサインと印が押してあり、製作年号が直筆で書かれている。

どう数えても2と4の間に0が3つある。

よほど慌てておられたのか、何か勘違いされたのか、これが伝説の20004年モデルである。

今の所の目撃情報では、テナーウクレレに3本ほど確認されている。
まさか2000年に作られたラベルに無理やりそのまま4を書き加えたのではあるまい?


ATM機

 最近はコンビにもATM機が設置されていて、一時代昔に比べて非常に便利になった。かつてお金を下ろす、振り込むにしても、平日の昼間しかやっていなくて、学校に通っていたり働いている身にとって不便極まりなかった。さらに今やインターネットで自宅にいながら24時間取引が可能な時代になった。

 この機械、便利な反面、カードや暗証番号が判れば誰でも引き出せてしまうという不安な一面もある。財布を落とすと、入っている現金以上の被害がある危険もはらんでいる。今後のセキュリティの進歩に期待するしかない。

 それにしてもこの機械、現金を下ろすのには色々手間はかかるが、預け入れや振込みは実に簡単。「はいはいイラッシャ〜イ!」とばかりに口を開く。「くれ」ということには厳しいが「やる」ということには実に甘くて、なんだか笑える・・・


太る人、太らない人

 世の中には今の体型を維持しようとすると必死で節制しなければならない人々がいる。かと思えば太ろうにも太れない人もいる。摂取した栄養が体脂肪になりやすい人となりにくい人がいるのだろう。
 
 ハワイに行った時に思った。あちらは人種が多種多様で、見上げるほど大柄な人がいたと思えば子供のように小柄な人もいる。子供ですらすでに立派な体型に育った子供もいた。しかし、大柄な子供が不摂生をした結果そのような体型になってしまったとも思えない。これはやはり太りやすい人種、すなわち太る遺伝子があるのではないだろうか?

 そんな研究結果が出されたら、世の体型を気にする人々は明るい未来も希望もなくなってしまうので発表できないのではないだろうか?たぶん太る遺伝子を持ったしぶーのは「そういう人種だからしょうがない」という言い訳に使わせてもらう気満々ですが・・・


なにか・・・?


ブレンバスター

 【ブレンバスター・ブレーンバスター】脳天逆落とし。プロレス技でまず知らぬ人はいないと言うほど有名な投げ技。体育館などで高飛び用の柔らかいマットを見つけると真似をする輩が続出するほど人気のある技である。

 ところがこの技、真似をするのはそう簡単ではない。

 柔らかいマットの上だと足場が悪く、しっかりと地を踏ん張るのが難しい。そして投げられる方も素人、受身など知るはずもなく、大体が空中で体を曲げたまま、ごっとう(カブトムシの幼虫。とある地域の方言)のような相手を後方に投げることになる。
 投げるほうも、相手を持ち上げてそのまま後ろに倒れるので、ほぼ二人分の広いスペースが必要。だが実際のリングは一辺が6メートルとそんなに広いスペースはない。試合中選手は相手を持ち上げて空中で倒立させた状態から1,2歩前に踏み出して、ほぼ真下に落としている。

 この技、現代では自分の後方に相手の背中から叩き落すのが主流になっているが、本来の意味からすると相手の脳天から落とすのが正しい方法なのだろう。もしかして開発当時は今のDDTのような技だったのかもしれない。

 いずれにせよ、素人が真似をして効果的に技を決めるには、想像以上に難しい技である。というより「危険だから真似をしないように」というべきか・・・?


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