五色園
愛知県は日進市、名古屋の東部丘陵地帯の南側、田園地帯が広がるその中に、自称日本で唯一の宗教公園「五色園」が存在する。
五色園は公共の公園ではなく、五色山大安寺の境内であり、入場は午前8時から午後5時までとなっている。
入園は無料だが桜の時期には入場料が必要。
園内には至る所にコンクリート像が点在し、夜に肝試しに行くと恐ろしいという噂もあった。
ちなみに夜は入れません。
昔は自由に入れたのか不法侵入したのか?
愛知万博の際に建設された日進JCのそば、郊外の丘陵地帯にある閑静な住宅街を登ってゆくとある。
この辺りは地名がすでに五色園という。
宗教公園ではあるが宿泊や研修にも使うことができるらしい。
入り口のゲートがお出まし。
かつてはこのゲートに屋根があって、「まるで有料道路の入口」と表現されたゲートだが、今ではその屋根は撤去されている。
秋のこの時期には無料なのでゲートには誰もいない。
車に乗ったままゲートを通り抜けると早速、何かいる。
「月見の宴」というらしい。
周りは豊かな森林、自然の中にある妙にカラフルな像がかなり浮いています。
この五色園内には、親鸞の教えを視覚的に感知させることを目的とした塑像が数多く展示されている。
つまり親鸞にまつわるエピソードの場面が塑像によって再現されている。
月見の宴と親鸞聖人との関連はよく知らないが、妙な違和感があると思ったら、全員目が合っていない。
誰もが明後日の方を向いている。
みな目が虚ろ。
ちなみに案内の看板があったが、豆のような字でびっしり説明が書かれていたので読まなかった。
五色園公式サイトより
親鸞聖人(十八公麻呂君)は日野の里、法界寺のほとりでお生まれになりました。父君は藤原有範卿、母君は吉光御前といわれる方で、平安時代の貴族の長男としてお生まれになりました。信心深い母君、吉光御前が常に長谷寺の観音に念じて藤原家の跡継ぎを願われ、観音の申し子として生まれたのでありました。ところが、十八公麻呂は二歳になられても口を一文字に堅く閉じ片言も話されませんでした。まわりの人々は奇異の感に打たれていました。
そんな八月の十五夜、人々は月見の宴を催されました。
父君、藤原有範卿のひざに抱かれてじっと空を見上げておられた松若君(十八公麻呂)は、月が天中高く冴え渡ると同時につかつかと前に出られて、両手を合わせつきを拝み「なむあみだぶつ」と一声称えられました。人々はその声を聞いて驚き喜びの声をあげるとともに、松若君が非凡の和子であると歓喜せられたのでありました。
園内には駐車場もふんだんにあるようだが、観光地のように明確に仕切られた駐車場がない。
どこに停めていいのか迷ったが、ここは私有地内なので迷惑にならないところならば好きなところに停めればいいのか。
とりあえず車に乗ったまま奥へ入ってみることにした。
公式サイトにあった案内図より。
ゲートのところにもあった案内看板の図とほぼ一緒であるが、この図がまた曲者。
道は当然簡略化されて描かれているので全体像と方向感覚が掴みにくく、さらに園内にはほとんど案内が出ていないので必ず迷う。
入口の山門から入ってそのまま進む中央のメインストリートはわかり易い。
一応車が通れる道は整備されているが、一般公道規格と違うので微妙に走りにくい。
幾何学模様な遊具がある広場もありました。
ここは遠足に使われることもあると見た。
あそこにもなんかいる・・・。
まずはこの山の中枢である大安寺に参ることとしよう。
大安寺は浄土真宗系の寺院だとか。
階段を上ると立派な本堂が見えてきました。
公式サイトによると永年の願いであった本堂は平成10年に建立されたという。
本堂なかったのか。
大きさの比較。
本堂の横のほうには宿泊施設や研修施設がある。
合宿にはよさそうなところだ。
大安寺初代管主像が立っていた。
山頂に登ってみました。
山頂にも何やら像が立っているが、他の像とは何かが違う。
携帯電話のアンテナ、給水塔、周囲の荒れ具合、この微妙なシチュエーション。
この大事にされなさっぷりはどこかで見たことがある。
腕扱山山頂の明治天皇像を髣髴させる佇まい。
この山はお寺の境内ということなので当然広大な墓地もある。
山林を切り開いた土地につきものの貯水池。
もしかしてこれは大雨の時に恐怖のダム穴となるやつでは?
参考画像「ダム穴」。
海外のダムに設置されたいわゆる自由越流式余水吐で、朝顔形の穴はグローリーホールとも呼ばれる。
その恐ろしい光景がネットで話題になった。
寺の事務所の階段には猫が四匹くつろいでいた。
その横には鳥小屋があり、中には数匹の孔雀が飼われていた。
園内は人気の少ない平日の午後、住職と思しき男の人がせっせと樹木の枝の手入れをしていた。
ご苦労様です。
何やらいかにも物語がありげな場面。
あちこちにある多数の像を見ていると、だんだん感覚が狂ってくる。
というのも、これらの人物像は等身大のような感覚になるが、実はどれもがかなり大きい。
遠近法が狂っているわけではない。
どれも身の丈2メートルは超える大男なのだ。
園内を回ると、思わぬところから現れる像たち。
たぶん夜中には動き回っているはず。
野ざらしなので仕方がないが、かなり塗装が痛んでいる。
当然、イタズラのネタにされるのか、所によっては細かいところが破損しているところもあった。
定期的にメンテナンスしているのだろうか?
極めて浄土チックな池の真ん中に妖艶な後姿を発見。
手にしている楽器からあれは弁財天様にちがいない。
前に回ってどんなお顔か拝見。
ううむ・・・見えん。
リアルにいそうなお顔でした。
ん?山の中に誰かいる。
やっぱりアレでしょう。
もはや驚きません。
感覚がすっかり麻痺してしまいました。
何やら坊さんたちが集まっている。
真ん中には錆び錆びの賽銭箱?のようなものが。
そして右側からはあわてて駆けつける坊さんが一人。
それでは、ここにいる面々だけで山分けすることとなるが異議はござらぬな?
だいたいこのような大事な時におらぬのが悪いのじゃ!
しかし、人の分を横取りするのはどうだろう?
あいつ今頃大慌てであろうな。
うむ、しかし現におらぬのだから致し方ない。
ちょっと待ったーーー!!
ちなみに本当の場面説明とは全然違います。
いろいろと調べてみると、これらのコンクリート像は浅野祥雲氏によるものだそうで、その道では有名な大家らしい。
日進市の御嶽山にもその作品は垣間見ることができる。
浅野 祥雲(あさの しょううん、1891年 - 1978年 本名:高次郎)は岐阜県生まれの、中部地方を中心に活躍したコンクリート像作家。
岐阜県坂本村(現中津川市)に生まれる。父親は農業の傍ら、土人形を制作する職人であった。父親の影響で土人形制作を始めるが、土では大きな作品がつくれないことから、コンクリートでの作成を思いついたという。33歳の時、名古屋に移住し、映画館の看板を描いて生計を立てる。等身大のコンクリートによる塑像という独特の制作スタイルを打ち立て、リアルでありながら稚拙でユーモラスな作風は一度見たら忘れられない強烈なインパクトを持っている。作品は中部地方を中心に現存しているが、広く関東地方や中国からも制作依頼があったという。中部地方のB級スポットを語るには欠かせない人物である。
ここ五色園はB級スポットとして有名ではあるが、いざ訪れてみると、極めてまじめなコンセプトによるものだということが判る。
親鸞聖人のエピソードをこのような形で再現しようという考えと、実際にやってしまったパワーに対して敬意を表さずにはいられない、本当の意味でのB級スポットなのかもしれない。
しかしこのような塑像はどうやって作るのだろうか?
どこかで作って運んでくるのか?現地で作るのか?
予め型を作っておいて流すのだろうか?