管理人の独り言3
ここは管理人しぶーのが日ごろ感じたことや気づいたことを徒然と書き綴るページです。 |
間違い電話
学生時代、うちにはよく間違い電話がかかってきた。
しかもどうやら同じ人かららしい。
「品のよい老婦人」と言った感じの声の主の方からだったが、
「あの、□△さんのお宅でしょうか?」
「いえ、違いますよ、うちは・・・」
しかも慌てておられたのか2回立て続けにかかってきたこともある。
「あの・・・大変失礼ですが、お宅様の番号は○○○−・・・でしょうか?」
「いえ、うちは○○×−・・・ですよ。」
なるほど1桁違いだ。
プッシュホンではボタンの位置から間違えにくいと思われることから、恐らくレトロなダイヤル式じーころ電話ではないだろうか?
間違い電話に関わらず、妙にほのぼのとしたやり取りをしていた。
ここしばらくその主から電話はなかったが、つい先日、何年かぶりにまたかかってきた。
その声だけでピンと来る、聞き覚えのある懐かしいあの声。
うちと1桁違いの番号の□△さんが取り持つ奇妙な三角関係。
どこのどなたか全く存じませんが、妙に親近感が沸いてしまう。
お元気そうで何より!
どこに行った?
プロ野球のことについては疎いので、詳しい仕組みはよく判らないが、今年はいつものリーグ戦と日本シリーズといった流れがどうやら違うらしい。
現在地元の球団が戦っているようで、街では色々と活気づいて結構なことではあるが、ちょと前に優勝といっていたチームが見当たらないのは何故だ?
詳しい人に少しだけ話を聞くと、要はリーグとトーナメントと日本シリーズと3つの戦いがあるようだが、敗者復活のほうが微妙に有利のような気がするあたり、この仕組みは今後見直される可能性がありそうな気がする。
地元民にとって、何かとかこつけたセールが3回もあるので、街の活性化には一躍買っているとは思うが・・・。
大盛り小盛り
しぶーの夫婦は、横に並んだ姿を見ると遠近感がおかしくなったかと思えるほど体格差がある。
重量ではちょうど1:2ほどの比率になる。
驚くことに、お互いの体がどのように養分を消化吸収しているかわからないが、二人でほぼ同じ量の飯を食う。片や見るからに大食いの男(それは合っているのだが)、片や見るからに少食の女、誰が見ても同じ量だけ食らうとはまさか思うまい。
見るからに食わなさそうな嫁(写真右)。 見るからに食いそうなしぶーの(写真左)。
ところが困ったことに、料理屋などに行くと、この見るからに食いそうな男の膳には気を利かせて少し多めに盛ってサービスしてくれることも多く、逆にこの見るからに食わなそうな女には気を利かせて少なめに盛ってくれることが多い。店にしてみれば残されて無駄になるよりよっぽどましだし。
かくして二人の茶碗の量は、ますます差が開くことになる。
この差を目の当たりにするまで、外食というのはどこも一人前がすごく少ないものだと思っていたらしい。
この秋一番の
涼しくなった。
天気予報でも「この秋一番の冷え込み」だとか・・・。
とはいえこれから冬に向かうのだから、今後ますます冷え込んでゆくことは確実のはずである。この秋本当の一番の冷え込みはこの秋が終わってみなければわからないはずなのだが・・・。
「この春一番の暖かさ」、「この夏一番の暑さ」、「この冬一番の冷え込み」、「この冬一番の積雪」、つくづく記録更新が好きなのだろう。
極めて模範的な里の秋(白川郷)。
ということは12月1日には「この冬一番の冷え込み」が来る。きっと来る。
加工精度
嫁が手鏡を買ってきた。
いわゆるコンパクトミラーというヤツか、たためるようになっていて中に鏡がついている。ブランド物というわけでもなく、さしてデザインがいいという訳でもなかったが数百円するという。
同じような鏡なんぞ100均でいくらでもあると思うが、中のガラスの鏡が日本製で精度が高いのだと言う。
どれ?と思い、他の鏡と比べてみて驚いた。
確かに色合いといい輪郭といい、くっきり度が違うのだ。正直こんなちっぽけな鏡でこれほどまで違いがあるとは思わなかった。なるほどガラスの透明度といい平面度といい、いい仕事しているというのがよく判った。
安かろう悪かろうという時代に終わりが近づいている気がした。
高価なブランド物の中にも、その「お国柄」によって加工精度がヤバイものもあるらしいが・・・。
いててて・・・?
歯の詰め物が取れてしまった。
昔、型を取って金属を埋めてあった場所だが、過去に何度か取れたしまったこともある場所だったのでまたかという所だった。今回も好物のキャラメルを食っていたら固い歯ごたえがあり・・・見事に取れていた。
取れた詰め物は小さなケースに入れて持っていったが、内部で虫歯が進行していたようで、削りなおしをした上、新たに詰めなおすことになった。
最近は昔と違い金属色をしたセメントではなく白い樹脂のような物を詰めている。紫外線で硬化する物なのか、何やら光を当ててその後すぐに固まる。色が白いので見た目がわかりにくくて助かる。歯科の世界も確実に進歩しているようだ。
今回、内部を削るというのでので痛み止めの麻酔を打った。おかげで全く痛くなく治療は済んだのだが、その後しばらくは唇がしびれ、ほとんど感覚がない。
奇しくもその日は仕事が忙しく朝から何も食っておらず、これから朝飯だというのに・・・。
歯医者の先生の話では、数十分後なら反対側で噛めば問題ないということだったが、いかんせん麻酔が効いているのですこぶる噛みづらい。唇を強く閉じることができない。
そんな不自由な状況だが、迫り来る食欲には勝てず、顔を横にしながら何とか咀嚼していた。
誤って唇を噛んでしまっても何の感覚もなく、後で見たら2カ所ほど思いっきり噛んでいた。
神の言葉
ウクレレのワンポイントレッスンを頼まれた時など、冒頭によくこう言う。
「今から申し上げることは私の言葉ではなく、神の言葉だと思って、心して聞いてください。」
普段冗談ばっかり言っているので大抵ウケてくれる。
いや、「私が神だ」と言っている訳ではない。
生徒の皆さんに色々教えているものの、私自身日ごろ気をつけていることであり、まだまだ精進しなければならないこと。
すなわち私も含めての戒めなのである。
学習
ワープロなどで文字を打ち込んでいる時に、つい勢い余って間違った変換を選んでしまうと、その先同じ言葉を変換する時、しばらくはその変換が優先されてしまう。
人間しょうもないもので、焦れば焦るほど全く同じ間違いの変換を選んでしまったりします。
そんな間抜けさをあざ笑うがごとく、間違えれば間違えるほど本当に変換したいものの優先順位が下がっていき、望んでもいない候補が上位にのさばってくる。
どうやら間違った変換癖がついてしまった。ようやく希望の変換が優先的に出てくるようになるには、この先何度も正しい変換を選ぶ必要がある。
まるで楽器の練習に似ているところがあります。
焦って練習して、ある部分で間違えると、その先再び同じところで間違える率があがる。焦るとまるで間違えるための練習になってしまう。
一度冷静になって、ゆっくり正しく演奏する練習をしたほうが効率がよかったりします。
エコロジー?
楽譜が送られてきた大きな封筒、本番が終わっても自分の楽譜の整理などに使えて便利だから捨てないでとっておこう。
A4B4が入るような大きな封筒は買うと結構な値段する。ちょっとした整理にわざわざ新品を下ろすくらいなら、あるものを再利用しよう。
パソコン内のフォルダを整理していて、フォルダをまとめた後に残る空のフォルダ、もったいないので名前を変更して再利用してしまう悲しい性・・・。
反乱
しぶーのはパソコンを始めてからまだ日が浅い。
その昔、世間ではインターネットとやらが大流行で、個人でもサイトを運営するツワモノが出てきた頃、ようやく携帯電話の取説と格闘して知恵熱を出していた。
頭脳IT化に遅れること数年、ようやく知り合いから中古のパソコンを安く譲り受け、訳わからずしばらく放置した後、超初心者向けの本を片手に格闘してやっと使いこなす程度にまで成長した。
しかしパソコンという生き物は犬やインコよりも遥かに頭がよい。頭がよい者が一たび反乱を起こすと、ひっぱたいても治るわけでもなく、その原因を探すのに一苦労してしまう。
先日、ホームページ製作ソフトの転送トラブルが起きた。あるファイルの部分で「エラーが出ました」と表示され、それ以上転送ができなくなってしまった。エラーは過去にアップしていたページを編集してから起こるようになり、ただしこれといって大きな変更をしたわけでもなく、いつものように画像の大きさや、文章の誤字の手直し程度であったので突然の出来事であった。
あれやこれや原因を調べたがよくわからず、アップデートやシステムの復元をやっても元には戻らなかったので途方に暮れていた。
最終的な原因は、ファイル名に使ってはいけないはずの全角文字空白記号が使われていた為に読み込みがなされなかったというひどくお粗末な理由だった。
情けない限りだが、その程度のポカなら自分でもやってしまうことは大いにありうる。だから今なら苦笑して済ませられるが、問題はその状態で今まで普通に転送ができていたことが何よりの疑問だ。
何故今まで容認されていて、ある日突然拒否されたのだろう。
頭によいヤツの考えることはわからない。
文字を打つのはすごく遅い。 こっちのほうが弾きやすい。
不憫よのぉ〜
うちのオカメインコは一匹飼いなので、未だ他の鳥を見たことがない。鏡に映る自分の姿を見ても、それが生き物のという認識すらないらしい。
幼少の頃から見てきた他の生き物と言えば、同じ屋根の下で暮らす2匹の人間のみ。だから自分も同じような姿だと信じて疑わない。鏡に映った人の姿には興味を示す。
そんなとんでもなく勘違いヤローだが、一端に恋をした。
相手は他の鳥でも鏡に映る自分の姿でもなく人間でもない。そのお相手は布。
どこでどう気に入ったのか、室内に干した洗濯物や取り込んだ山を見つけると目の色を変えて近づき、名物「アジの開き」をしながら得意気に覚えた歌を披露する。
アジの開き。低い姿勢で羽根を広げるので上から見るとアジの開きのように見える。
その反応たるや尋常ではない。着替えの服を手にすると慌てて飛んでくる、手を洗って手拭きタオルに手をかけても飛んでくる、床を掃除しているとその周りをウロウロと歩き回り必死に雑巾に歌を聞かせる。
残念だが恋した相手が布ではどうしようもない。今さらメスのインコをあてがってやっても怖がって逃げるだけだろう・・・。
どうでもいいが、得意気なその歌は自分の名前の連呼と目覚ましアラームだって知っているか?
洗濯物萌え〜!
いつの間にか高いよ
最近は原油価格の高騰に伴ってガソリンが随分高くなった。今や高値で安定してしまった印象があるが、冷静に考えるとコンビニで売られているペットボトルの烏龍茶よりも高い。行楽で気軽に車を利用しようにも気が引けてしまうほどだ。
原油高は輸送代に結びつき、世の中のすべての商品に影響が出ているといい、とくに海外からの輸入の商品は為替相場も連動して価格は高騰を続け安定しない。
先日コイツの餌を買いに、いつものスーパーで同じ物を買ったらなんか軽い。そういえば以前は内容量1Kgだったような気がする。
あれ?なんか減った?
値段をそのままで内容量だけ少なくすると言うことは実質値上げということだが、箱や包装の印刷や機械の設定の変更のコストを考えると、製品はそのままで値上げする方法のほうが遥かに楽だろうに(その分流通や販売の価格改定の手間は増えますが)、出来るだけ価格を変えずに販売しようとする苦労がうかがえる。
実は探してみると、身の回りの製品の中でひそかに中身が減った物は多いらしい。
本当にそう見えますか?
人間は自分の目で見たものを信じてしまう傾向があります。しかし本当に目で見ているのか疑問に思うこともあります。これは小学時代の算数の時間に実際に起こった出来事。
問題。
立方体を正面から見たらどう見えるか?
答えは正方形。誰がどう見ても正方形にしか見えない。それ以外に見えるはずがない。
ところが教材に使われたのはおよそ2cm角の立方体。児童たちの間では「正方形に見えて当たり前」派と「それ以外に見える」派に分裂して議論を呼んだ。
正方形が正解で、そんな当たり前のことを何故今さら議論するのだ?意味がわからん、と思う人はある意味先入観に囚われすぎています。
実際には目の前に持ってきた立方体の側面が左右の目によってそれぞれわずかに見えるので、正方形には見えません。片目で見たら確かに正方形だが両目で見た場合にはそうはならない。いくら小学生でも、図形として正方形が正しいことくらいは皆理解していたと思うが、子供たちにとっての争点は実際に「見える」「見えない」であった。
算数の時間だから当然正方形で正解。でも本当は見えています。ただし見えてはいけないことになっています。
この騒ぎは残念ながらその争点を全く理解していないらしき先生の、「正方形以外に見える人は目がおかしい」という無茶苦茶な理論によって終止符が打たれた。
リアルな絵とは
小学生の時分、何かの用事で下級生の教室に行くことがあった。あるとき一年生の教室へ行った時のことだ。
その教室内にも小学校の風物詩ともいえる児童たちの図工の作品の絵がたくさん貼られていた。描かれていたのは人物画、たぶん自画像か友達かであろう。
どの絵も子供らしい曲がった線で、無邪気なのびのびとした作品群なのだが、どういうわけだかどの絵も同じように異様な雰囲気が漂っている。
1年1組しぶーの
恐らく図工の時間で描く絵は、普段子供たちが描くようなデフォルメされた絵を禁じ、いわゆる写実主義、「目にはまつ毛があり」、「鼻には穴が二つあって」、「口は三角ではなく唇がある」見たままを描きなさいという先生のお達しが出たのだろう。
しかし自分の顔や他人の顔の微妙な表情の違いの描写は難しく、そのためには目で見て形を捉えることに加え手で描き表わすという二重の難関が待ち構えている。いかんせん子供たちは悩んだ末、写実というよりもその言葉や見本の絵を記号化してしまった。
かくして半開きになることもある目も、遠目にはよく見えないはずのまつ毛も、正面から見たら下向きの鼻の穴も、厚いとか薄いとか違いがあるはずの唇も、おかしいとは思いつつもただ記号化されたパーツを福笑いのように並べただけの絵になってしまっていた。
果たして言わないほうがよかったのか・・・。
断言できない何か
善良な市民が何の心当たりもなく突然行方不明になると、警察は「何らかの事件に巻き込まれた可能性が強い」と見て捜索を進めます。自分の意志で家出したり行方をくらます以外の何かがあるということでしょう。
台風シーズンになると決まって起きる事故、よせばいいのに嵐の中増水した川を見に行ったり畑を見回りに行ったり屋根の修理に登ったりした結果「誤って転落」してしまう。転落とは最初から落ちる意思がないのだからわざわざ誤らなくてもいいと思うのだが、普通は転落しないので何かを誤った結果なのだろう。
自販機荒らしや金庫破りがよく使う道具「バールのような物」。 日本語的には「バールという工具もしくはそれに似た何か」が使われたということで正しいのだが、そもそもてこの原理を使ってこじる道具として広い意味でをバールと言うのか、それともあの直角にひん曲がった鉄の棒を指す道具名なのか?「ナイフのような物」なら判るが「刃物のような物」だとあまりに範囲が広すぎる。
実際にはバールとは似ても似つかない他の何かが使われていたらどうなるのだ?
警察や報道も、証拠のない事件や事故を間違って発表してしまったら大変だ。不確かなことに対して慎重に言葉を選んでいる様子がうかがえる。
とは言えこれらの絶妙な言い回しに対して、小学校の算数の時間に「確率」といえば誰しも瞬時に理解できただろうに、わざわざ「確からしさ」と習ったような腑に落ちない何かが残るのは何故だろう?
キノボリカンガルー
キノボリカンガルー・・・哺乳類・カンガルー科、世間でよく知られているぴょんぴょん跳ねる普通のカンガルーではなく、木に登る珍しいカンガルー。
現在絶滅の恐れがある希少な動物らしい。
このキノボリカンガルー、昔々なにげに実家の近くの動物園にいた。そしてどちらかと言えばマイナーともいえるこの動物の名前は、ある理由があって克明に覚えている。
その日は何らかのイベント、その中のコーナーに体重当てクイズというのがあった。目の前の檻の中の枝の上でもそもそ動き回っているキノボリカンガルーの体重を当てるというものだった。
実際に抱えてみて当てるならともかく、檻の中にいる動物の体重を見ただけで当てるのは勘に頼るしかない。残念ながら昔から勘やひらめきに頼ったクイズの類は苦手だった。どうせ応募した所で当たるわけもなく、当たったところで、本人の努力の甲斐もない全くの偶然に頼る賭けに当たってもうれしくもない。
しかしよく見るとヒントが書いてある。
○.○Kg〜○.○Kgの間だとか。
当時から悪ガキだったしぶーのは考えた。
そのヒントの間の重さを順番に、山ほど書いて応募すればどれかは必ず当たるはずである。
思えば役に立たないことへの執念深さは当時から発揮されていた。およそ15枚くらいだっただろうか、すべての応募用紙に住所氏名年齢電話番号学校名を書いて応募箱に放り込んできた。応募数の制限はなかったが当選しようという気は全くなく、当たるはずもない賭けに対する報復、ほとんど悪質ないたずらか嫌がらせである。
そしてそんなこともすっかり忘れ去っていた頃、当選の電話がかかってきて、運悪く自分で電話を取ってしまった。正直いつ怒られるかと思ってヒヤヒヤしていた(意外と小心者)。
表彰式はうれしさよりも恐怖が大きかったが、所詮ガキのいたずら、特にお咎めもなく賞品を受け取った。
賞品はそこの動物園の入場券と温度計でした。
なんかいる
ここのところの忙しさで、あまり構ってやれなかったメインのマシンを久々にセキュリティソフトでスキャンしてみたら、案の定いくつかのスパイウェアが検出された。
特に怪しいサイトを見たり怪しいソフトをダウンロードした記憶はなく、普通にネットを見ていただけだったが・・・。
また拾い食いしてやがる!
商業目的かいたずらか、知らず知らずにセキュリティソフトをかいくぐってかなりの数の虫が入り込むようだ。
調べたところ、勝手に住み着いていたヤツらは特に深刻な悪さはしないらしいが、とりあえずうちのパソコンには虫に無駄飯を食わすほど余裕がないので消滅していただいた(ちーん、合掌)。
最近はスパイウェアの手口も巧妙化してきたようで、セキュリティソフトを騙った偽物まで出回っているというから気をつけねばならないと思った。
食わず嫌い
飽くなき食欲が皿や箸まで平らげそうな勢いのしぶーのだが、苦手な食べ物はある。
それはイカの刺身。ただし食べられないほど嫌いというわけではなく、食べることはできる。しかしどちらかと言えば好きではなく、残念ながらそれほど美味とは感じない。
上等と言われたものを食したこともある。ついさっきまで生きていた透き通る新鮮な刺身を食べる機会に恵まれたこともあった。確かに美味だと思ったし周りの人々も大絶賛していた。しかし「あの時」ほどの感動はなく、こんな中途半端な状態で賞味するのはイカに対して申し訳ないとさえ思った・・・。
あれは忘れもしない誕生日の夜。何歳の誕生日だったかは忘れてしまった(おい!)が、その日はいつもより少し豪華な食材が食卓に並んでいて、その中にイカの刺身があった。
実はイカの刺身はよく食卓に上ることがあったが、それまで食わず嫌いをしていた。しかしその日はどういうわけだか、そのイカの刺身に挑戦してみようという気になった。
意を決して食べてみた・・・・。すごく美味だった。初めてだったが驚いた。実にその美味さに感動した。こりゃ凄い、これをおかずにご飯がいくらでも食える。こんな美味いものを、今まで何で食べなかったのだろう?食わず嫌いをしていた愚かな自分を笑ってしまうほどに思えた。
そして・・・
見事に食中毒(あた)りました。
その日以来、食べることは出来るのだが、どうしても頭が身構えてしまうのか、あの時ほどの感動がない。残念ながらそれほど美味とは思えなくなってしまった・・・。
あれは神が与えたもうた、ただ一度の機会だったのだろうか・・・?それともまたいつか、あの時を越える感動のイカに再会する日が来るのだろうか?
誰ですか〜?
この画像は矢作川にある阿摺ダム。ライブカメラが設置されていて、静止画像だが24時間その状況が確認できる。
大雨の際には盛大に放水している状況が見ることができ、たまに夜間でもライトアップされていることがある。
実物は意外と大きいよ。
ある夜、ふと何気に見てみると・・・普段と違った明かりが・・・
おや? 拡大図
誰ですか!? そこを照らしているのは?
道路との位置関係から、車のヘッドライトが当たることはなく、普段のライトアップの投光器でもこの程度の暗さ。
これでも実際に現地に行ってみるとかなり明るい。
(白熱灯の投光器が設置されています。)
照らしている位置関係から、結構な距離(50〜60mくらい?)を強烈なスポット白色光で照らしていることになる。並みの懐中電灯ではあそこまで届かない。
画像は10分から15分くらいのペースで更新されるので、運がよければライブカメラに映ることができる。ちなみにこのダム(正確には堰)、ゲートのすぐ上に橋があり、徒歩で渡ることができる。放水中に渡るとかなり迫力があって怖い。
なんか出てる?
昔から電化製品が何故かよく壊れる。
少し前にはデジカメも壊れ、以前使っていた携帯電話もある日突然電源が勝手に切れるようになり、テレビは画面の中央に一本線が映るだけになったままもう数年間見ないまま、洗濯機は全自動のクセに途中で止まるのでわざわざ修理屋を呼んだ。壊れたので新しく買ったCDプレイヤーは保証期間が過ぎた頃から音飛びするようになり、つい数ヶ月前に買ったボイスレコーダー(無理やりMP3プレイヤーとして愛用中だった)も原因不明の動作不良に、液晶表示が消えてしまった。
もちろんすべての電気製品が壊れるというわけではなく、長年愛用している物も多いが、壊れる物はとくに誤った使い方や衝撃などの自覚もなく、突然原因不明の故障となる場合がほとんどだ。壊れると「またか」とさえ思う。
取り扱いが乱雑というわけでもなく、幼少の頃からそんな現象に悩まされてきた為に、物の取り扱いに関しては慎重すぎるほど丁寧に扱うように心がけている。壊れたらとりあえず自分で修理を試みる。おかげで仕組みの単純な物やメンテナンスができるものは驚くほど長持ちしている。
安物ばっかり買うからということも大いに考えられるが、今までの経験上高価だから壊れにくいというわけでもなく、高くても安くても壊れる時には壊れるし長持ちするものは長持ちする。一つの物を気に入るととことん使い続ける習性があるので、買い替え時は壊れた時、正確には修理不能になった時である。
まるで体から電磁波とか、得体の知れぬ何かが出ているのではないか?と思えてくるが、万一そんな特異体質と言われてもちっともうれしくなく、本人にとっては困った現象。
それとも案外電気製品の寿命とはそんなものかもしれない。たった数年でパソコンのスペックが追いつかなくなるように、家電も末永く使い続けるものではなく、数年で壊れても壊れなくても買い換えるのが普通なのだろうか?
98年製のマシンが今だに現役(コイツはなかなか壊れない)の我が家の尺度が長すぎるのかもしれない。
あまりにもよくできた話
世の中あまりにもよく出来すぎていて、まるで作り話のようなことが起こることがある。
この話は今でも母(おかん)の語り草になっている、紛れもない事実である。
その日母(おかん)はいつものように、しぶーの兄を迎えに幼稚園に出向いた。すると担任の先生が血相を変えてやって来て、別室に呼ばれある書類を見せられた。
それは園児に対して行われたアンケートのようなもので、
兄の書いたその紙には、
好きな食べ物「なし」と書かれていた。
「好きな食べ物がないとはどういうことですか!?」
本気で問い詰められたらしい。
その後調査の結果、
兄の好きな食べ物は梨だと判明した。
ピアノの音
楽器の音を言葉で表現するのは難しい。その楽器を知らない人から「どんな音?」という質問に対してどう答えたらいいか?
音色をあれこれ言葉で説明するのはかえって混乱を招くかもしれない。そう考えると擬音語を使うのが判りやすい。
そこでピアノの音を表現してみたらどうなるか?誰もが知っているあのピアノの音。しかし、せっかくなら家庭や学校でよく見かけるピアノではなくてこの楽器の最高峰、コンサートホールにあるようなフルコンサートグランドピアノの音を表現してみましょう。人によって感じ方は様々だとは思いますが・・・。
コンサート用のグランドピアノはやたら大きい。響板も大きく弦も長いので音量も大きく余韻も長い。
中央付近の音の音色、鍵盤を押すと「ポーン」といいます。ここで大事なのは「ポンー」という頭の大きい音ではなく、アタックの感じない幅の広い音。この辺りが余韻が長く設計されたコンサートグランドピアノの特徴でもあります。
さらに高音にゆくと「トーン」と鳴り、さらに高音になると「ツーン」という音になり、さらに高い最高音近くでは「ピーン」と鳴ります。
一方、中央付近から低音のほうへ行くと「デーン」と鳴ります。大型のピアノの長い弦による振動には複雑な倍音が含まれていて奥行きのある深い響きがします。さらに低い音は「ドーン」、最低音近くは「ズーン」と鳴ります。
普段よく知っているはずのピアノの音、低音は「ゴン」高音は「キン」と思っていませんでしたか?
月夜に堤燈
「中秋の名月」と言われるように、月がきれいに見える季節になりました。
昼間はまだまだ残暑が厳しいが、夜になると吹くどことなく涼しげな風がいよいよ秋の訪れを予感させる。澄み切った空気の中で光々と輝く月を仰ぎ見ながらの散歩は実に心地がよい。
こんな夜は果たしてライトが必要なのか迷ってしまう。ライトで照らすと照らされた部分は明るく見えるが、そこを見つめると目が慣れて他の部分が暗くなってしまう。思い切ってライトを消すと、かえって全体が見渡せて不自由なく歩ける気がする。
こんな時こそ普段は暗くて活躍の場が少ない5mm玉1灯のライトで、わずかに陰になった部分と足元を照らすので充分と思えた。さらにこのご時世、暗闇に人が潜んでいるとあらぬ疑いを持たれかねないので、こちらの存在を示す意味での点灯も必要かもしれない。
先日のオフ会でshintaさんにいただいたフィンガーライト。嫁がえらく気に入ったらしく、持ち歩いているとか・・・。
何故今まで気がつかなかったのだろう?
救急車の音が聞こえる・・・。
この糞夜中に、でかでかと鳴らしやがる。
ん?妙に近い?うちの近くではないか?
(突然サイレンが途切れる。)
げっうちの近所だ!何事か!?
あわてて外に飛び出して見に行ってしまう。そんな経験はないだろうか?野次馬の一丁出来上がり。
そんなことにならないようにか、最近のの救急車はサイレンをフェイドアウトするものがでてきた。
なるほど、考えたものだ。これならまるで遠ざかって行くようだ。
世の中工夫のしがいはまだまだあるものだ・・・。
どら焼き
スーパーで晩飯のおかずを物色中、ふと魔がさしてどら焼きを買ってしまった。
ボクドラ焼き!
ちょっとセレブ仕様のそのどら焼きは、端まであんこがいっぱい挟まっていてそれはそれは美味でした。
・・・・・
それにしても甘い。中は全部あんこなのだから当たり前。
さすがの甘党のしぶーのでも一つで充分満足できた。
二つなら何とかいける。三つ四つは無理。
どら焼きといえば連想するのが、日本中の誰もが知っている空色のタヌキ型ロボット。そのうれしそうに頬張る姿によって、どれだけメジャーな食べ物になっただろうか?
しかしマンガやアニメをよく見ると、その量がハンパではない。どんぶりのような器に山盛りになっていることがある。とてもではないが現実にあの量は食えん。
しかも普通どら焼きは個包装されて売られているはずなのにみんな剥いてあるところを見ると、ヤツはきっと全部食う気なのだろう。
げー!恐るべし!
産みたて卵
新鮮な卵は美味である。
できるだけ新鮮なほうがいいのなら、わざわざ養鶏所の直営の自販機まで買いに行く価値はある。
さらに新鮮な卵、ついさっき産んだばかりの卵ならさぞ美味いに違いない。
しぶーの実家ではその昔、農家でもないのに数羽のチャボを飼っていた(おかんの実家は農家)。チャボの卵は店に並ぶものより一回り小ぶりで、レグホンのように毎日ボコボコ産まないが、数日に一個づつ数羽で入れ替わり産んでいたので実に重宝していた。
雌鶏には便利な機能がついていて、卵を産むと「コッコッコッコケーッ!!!!!」とけたたましく鳴き叫ぶ。それを聞くとはいはいとすぐに回収に行く。そうでないとヤツらは自分の産んだ卵を食っちまうことがある。
その日は土曜日、昼間に学校を終えて家に帰ると、玄関に入らずに鶏小屋を覗いてみた。
すると中の一羽の様子がおかしい。止まり木に止まってうずくまるように羽根を膨らまし、目を細め、時折苦しそうに溜息のような呼吸をしていた。「あれ?病気だ」すぐにそう思った。
明らかに弱っている、今にも死ぬんじゃないかと思い、しばらく目が放せないでいた。
次の瞬間、止まり木の上でくるっと向きを変え尻をこちらに向け、丸い物が見えたかと思うと、見る見るその丸が大きくなっていった。
一瞬何が起こったかわからなかったが、とっさに手を出して受け止めたのは今まさに雌鶏からひり出された卵。不気味なほど暖かくて表面がベトベトしている。
心配と驚きをよそに、産み終えた彼女はブルブルと身震いした後、ケロッとして止まり木から飛び降りてコケー!コケー!とけたたましく吠えだした。
卵はそのまま昼ご飯の上にのった。
手塩にかけて育てた鶏の卵は実に美味かった。
ところが、火を通すといただけない。白身の固さが尋常ではなく、まるでゴムをかじっているようなほど固い。美味なんだけどね・・・。
鯖尿
(SAVA NYO)
(たまにはお下品な話題)
アスパラガスを食すると、その後のNYOがものすごい臭いになる。
アスパラに含まれるアスパラギン酸というアミノ酸の一種の影響によるものらしい。
ビタミン剤を飲んだ後や強い香料の入った物を食した後にもわかりやすく影響が出るが、
食物と消化吸収と排泄は密接な関係があることがよく判る。
しかし、アスパラガスと臭いの因果関係に気づくまで、はっきりした原因がわからなかった。まさか植物であるアスパラにそんな影響力があるとは思わず、他に思い当たる献立から考えると、よりクセの強いシメサバによるものではないか?ということになった。
かわいそうなシメサバは、その日偶然同じ食卓に上ったおかげで、完全に濡れ衣を着せられ、そしてその現象は「鯖尿」とまで名づけられてしまった。
その後、無実の「鯖尿」はシメサバ単体ではその現象が起きないことが発覚、新たな容疑者を厳しく追及した結果、真犯人がアスパラと判明、ようやく鯖の冤罪が晴れたのだった。
ごめんよ鯖・・・。
しかし、ひとたび名づけられたこの現象は、たとえ原因がアスパラと判っていても今だに鯖尿と呼ばれている。
(なんかブッポウソウとコノハズクの関係に似てないか?)
キンモクセイの香り
キンモクセイという花は、誰もが知っているあのよい香りを出す花。神社の境内や整備された庭園に1本ドカンと植わっていて、木の上や周囲にも花びらが広がりその存在感は絶大。天然の芳香は心が洗われるほど絶妙なフレグランスである。
だから使われてしまったのである。
あまりにも天然のその香りはよく出来過ぎていて、それ以前のよく判らない人工的なキツイ香りに比べ、ほのかな自然な香りは効果も抜群だった。
爆発的にヒットした結果、今や悲しいことに天然のキンモクセイの木のそばを通るとトイレを思い出すようになってしまった。罪のないキンモクセイにとっても不名誉この上ない。
かつてのヤツデも汲み取りの近くに植えられることが多かったので(何故かどこのヤツデもみちみちとよく育っている)何となく日陰者のイメージが強く、さぞ本人たちは不本意だっただろうに。
芳香剤のメーカーもこれではいかんということで、また新たな香りの研究がなされているらしい。
接着の極意
趣味の木工や怪しげな電気工作にはつきものの接着という作業。用途に合わせて実に種類が多くあって、なかなか苦手という人も多いのではないだろうか?子供の頃の工作で、市販の接着剤では思うようにつかなかった記憶がよみがえる。
実はコツは簡単なところにあって、接着剤の説明書には、「接着面の汚れや油分を落とせ」とか「固定しろ」とか、なかなかややこしいことが書いてあるが、この注意書きをめんどくさがらずにきちんと守ると、想像以上に強力な接着が可能だ。さすが説明書、最も有効な方法が書かれている。
しかし、過去の経験から、あることの為にうまくいかなかったことが数多くあって、実はこのことをすべての接着剤の注意書きに入れたいくらい重要なことがある。
それは「どのくらいきちんと接着されたか確かめてはならない。」
果たしてきちんとくっ付いているのか?はたまたどこまでの強度に耐えられるのか?限界まで試した段階で、その接着はもれなく失敗になる。
(やらなきゃいいのに、やっちゃうんだよなあ〜)
根本から間違えてますが・・・
デジカメを修理に持って行った際、一人の老人男性がサービスセンターの人に猛烈な勢いで食ってかかっていた。おかげでかなり待たされ受け取りに時間がかかったが、特に急ぎではなかったのでその片鱗を興味深く眺めさせてもらった。
修理に持っていったデジカメはパソコンも作っている会社、その男性は何やらパソコンのことでもめている様子。カウンターに放り出したメモ書きを指差しながら「これを使ってこうしたがこうならない!」としきりにサービスの人に言っている。パソコン本体を持ち込んでいるわけでもなく、症状の説明だけで原因を聞きたいらしい。
横から眺めていて要約すると、デジカメで撮った写真を、とある画像ソフトを使って開こうとしても読み込まない、なぜだ?そんな類の話だった。メモ書きされた紙をしきりに指差している所を見ると、本人は仕組みを全く理解していないのが一目瞭然だった。
しかしそこはパソコン(ハード)のサービスセンター、ソフトや使い方のトラブルを言われても困る。ディーラーである以上、中途半端なアドバイスもすることができない。おかげで両者の話が全くかみ合っていない。「ソフトや使い方に関することはそのようなサービスセンターに電話して聞いてください。」との説明に老人は理解せず、パソコンの中のことはすべて同じ会社の管轄とお思いか?「そんなもんそっちで電話して聞いてくれ!電話代なんぞ払いとうないっ!」と怒鳴りだした。
まるで「冷蔵庫で冷やしたがプリンが固まらん、どうなってるのか教えろ、調べろ。」と電気屋さんで喚いている事に気がついていない。
残念ながら最後まで見届けることなく自分のデジカメを受け取って出てきてしまったが、どう考えてもあそこでごねても場違いだ。仕組みを理解するには「OSとは何か?」から説明が要るだろう。
しかし、何も知らない人は理解できぬまま「あそこはサービスが悪い!」とあちこちで言いふらすんだろうな・・・と考えるとサービスという職業が気の毒に思えてきた。仕事でなければサービスセンターの人も、よっぽど「んなこと息子か娘の彼氏にでも聞け!」と言って追い返したかったろうに、はたして本当に怒鳴りたいのはどっちだろう・・・。
童話
子供の頃に聞いた童話や昔話の類の中には、子供心にも突っ込みどころが多かった。この手の話はどこかに風刺や教訓が込められていることが多いので少々無理な設定になっていることがある。
「決して覗いてはならない」、「途中で振り返ってはならない」のような禁止事項は子供のほうが真面目に守る。少しくらい大丈夫だろうという甘えた気持ちは大人のほうが強い。あ〜あ、大人は馬鹿だなあと思いつつ読んでいた記憶がある。
その馬鹿な大人になってからよく考えると、純真な子供とはまた違った突っ込みどころがあることに気づく。
決して覗いてはいけない機織姿、もし本当に覗かなかったらあのまま衰弱していったのだから、あれでよかったのだ。返す気がないのなら最初から別の斧など見せるな。犬が地面を掘るのは単なる犬の習性ではないか?確か蟹は肉食だ、柿は食わんのでは?
どうせ開けてはいけないのなら、そんな役に立たない玉手箱なんか渡さなきゃいいのに。本当は開けて欲しかったくせに。大きなつづらと小さなつづら、正直爺さんがもし大きなつづらを選んでいたらどうするつもりだ?礼の気持ちがあるのならこの期に及んで危険な賭けをさせるとは何ごとか。 正直者の隣の家にはどうして必ず悪い人が住んでいるのだ?
王子は美女が眠っている隙になんてことをするんだ。足が小さくてガラスの靴がぴったりの子供は他にもたくさんおろうに・・・。
修理代
ある日突然デジカメが壊れてしまった。
とくに落としたとか、前から不調があったというわけでもなく、いつものように普通に使おうとして電源を入れたらごらんの有様、全く予想だにしなかった。
それまでに撮影したデータは無事だったのは幸い、撮影済みの画像は液晶モニターではっきり見ることができた。他に動かない所はないし、ただ、レンズを通して映し出される画像だけが不気味にゆがむという症状だけだった。
こら完全にあきまへんな
動作もモニターも正常、ということは光学系がやられたか?だとするとカメラとしては致命傷なのか?かなり嫌な予感がした。
恐る恐る修理に持ってゆくと、症状を一目見た途端、原因は特定できたようだ。心配していた光学系ではなく画像を処理する電気系の故障だとか。デジカメとはそんなことまで電気処理していたのか?モニターに写る歪んだ画像を見る限り、レンズ周りの故障とばかり思っていました。
結果的にはその機種によく見られた初期不良で、無償でパーツ交換をしてもらうことができました。
最近の電子機器にすべて当てはまることだが、1時代昔の機械の様に部品が折れた、半田が外れたというようなわかりやすい故障ではなくなってきた。分解しても怪しげな基盤が入っているだけで、どこがやられているのかさっぱり判らない。
修理といっても、基盤などのパーツをそっくり新品に交換するだけで、どこが原因かまでほとんど追及しないそうだ。というのも、原因を突き止めているよりも中身をそっくり替えてしまうほうが確実に治る上、そのほうがコストや時間がかからないからなのだそうだ。
複雑な機器の場合、修理見積りだけで結構な金額がかかる場合があるが、それというのも、故障箇所から原因を完全に特定するのが大変な作業なのだそうだ。
えてして修理の部品交換の場合、部品代は驚くほど安く、技術料は驚くほど高いというのが相場で、世の中で最も高いのは手間賃(人件費)なのだろう。