管理人の独り言7

ここは管理人しぶーのが日ごろ感じたことや気づいたことを徒然と書き綴るページです。

降り番

オーケストラの仕事に行ってみたら、前半プログラムが降り番だった。
編成はコントラバスが2プルト(1プルトは2人1組)で4人、ポジションは2プルトの表。
前半のプログラムではモーツァルトの交響曲とチェロのソロの伴奏が2曲ほどで、急遽降り番(編成を少なくするために演奏しない人のこと)が決まった。

降り番の人は演奏はせずに、本番中も楽屋で待機している。

演奏に参加しないのだからなものだと考えたら実は大間違い
他の人々が演奏している横で、待っていなければならないというのは精神的にもつらいものがある。
そして後半プログラムには、何事もなかったかのごとく加わらねばならないため、それなりにコンディションを整えておかなければならないのである。
むしろ最初からステージ上で弾きまくりのほうが気が楽かもしれない。

まるでスポーツの試合で控えの選手のような気分である。


準備完了!

最近、自分のウクレレのパワー不足を感じていたが、ちょっと前に弦を新しい銘柄に変えたせいだと思っていました。


新しい弦はフロロカー・・・おっとそれ以上は秘密。

いよいよライブシーズンも近づき、どうしたものかと考えていて、ふと半年ほど前に本番用のサドルを大量に作った時を思い出した。

材質と高さを微妙に変えたサドルを作り、実験的にほんの少し低めのサドルを試していた。
低いサドルでも音を割らずに効率よく弾く練習になったが、生音勝負のやしではもう少し音量が欲しい。

かつての使い古しのサドルの戻したら見事に復活しました!
弦高が半端なく高いので当然左手への負担は増えましたが。

やはり弦周りのチューンナップは大事だとつくづく感じた。

楽器のセットアップも完了、ピックの調整も万全、いよいよ夏本番に向けて始動です!


貴重な○○○が。

五月の今、ほたるいかが旬真っ只中。
ぱんぱんに膨れて、丸々と太ったほたるいかに辛し酢味噌をまぶして食えばもう最高!
メシが進んで困る。(減量中なのに)

というわけで、閉店間際のスーパーで半額になったのを見つけ次第買い、連日食いまくっていたのだが・・・。



わざわざ目玉が取り除いてある。

ラジオから気になるニュースが流れていた。
ニュース自体は「今富山湾ではほたるいか漁の最盛期で、今年は大量だ」というほのぼのニュースなのだが、そもそも何故この時期なのか。
ほたるいかの寿命はほぼ一年で、富山湾で多く見られるのは地形と海流に関係があり、産卵のために海面近くまでやってきているのだそうな。
そして産卵を終えると死んでしまうのだとか。

つまりこの人たちは、すべて子供を身籠った若いお姉さま方なのであった。


なるほど、美味いわけである。


カツオブシムシ注意報!


部屋の中の白い壁を見ると、なにやら不吉な黒い点が。

 

この時期になると部屋の中にたびたび出没し、どこにでもいて、どこからでも入ってくる厄介な虫である。

この虫こそヒメマルカツオブシムシ、古来から日本の台所のカツオブシを食い荒らす害虫として親しまれて?きた由緒ある虫である。

とは言えこの虫は花の蜜を餌としていて直接食い荒らすわけではなく、被害をもたらすのはこの息子や娘達。
動物性の繊維などを餌とし、押入れやタンスの中の洋服をも食い荒らす。

そして馬の尻尾である弓の毛までも食ってしまう。


せめてその前に反応してくれれば

久々に地震があった。
震度は1、大して揺れたわけではないが、早朝の静かな時だったので、不気味な地響きと短い揺れは感じ取ることが出来た。

にとっても地震は恐怖らしく、我が家のオカメインコも大きな揺れが来ると意味不明な叫びを上げて暴れて飛び回る。

空を飛ぶ生き物にとって、
普段は揺れる枝の上にいようと、
草原や森の中ならばそこでおとなしくしていればまず被害はないだろうに、
いざとなれば上空へ飛び立ってしまえば安全なはずなのに、
やはり天変地異は恐ろしいものなのだろう。
過去の震災を、飛び回ることで切り抜けてきたDNAのなせる業か?


地震が来てから暴れまわるので、残念ながら役に立たない。
せめて来る前に暴れれば予知にもなるのだが・・・。
しかも最近は、少々の揺れでは反応すらしなくなった。


選挙の仕組みに、?

つい先日、自分の住む町で選挙があった。

いつも思うのだが、投票時間が終わる遥か前に、当然確実の発表がある。

関係者の方々は、一刻も早く結果を知りたいのは判るが・・・。


まだ投票箱は開けられてもいないというのに、

これから投票する人もいるだろうに、


そんなこと発表していいのだろうか?


直すべきなのか?

最近のニュースで、ヨーロッパの国で大きな地震があった。
地震のニュースは日本では珍しくないが、古いものがそのまま残っているヨーロッパでは珍しい。

報道の写真を見る限りでもあちこちの建物は崩壊して見るも無残な町並みであり、一人でも多くの生存者の無事を祈らずにはおれない。


ところで、古い遺跡などが地震で壊れたらどうするのだろうか?
自然現象なので老朽化ということでそのままなのだろうか?

人為的な破壊や、直接危害が及ぶ危険があるなどの理由意外に、自然現象としてモアイ像が倒れたりスフィンクスの鼻が落ちても、現代の工法で修復するのもはばかる。

歴史の保存、自然との融合、難しい問題だろう。


ごめんよごめんよ

新婚の頃というのは、慣れない料理に若奥様方は色々と苦労が絶えない。


新婚の頃の話。

ある時、知り合いから潮干狩りのお土産に大量のアサリをいただいた。
何でもバケツ一杯の大漁だったとかで、そのおすそ分けをほんの少しいただいたのだが、それでも夫婦二人ではかなりの量だった。
ご存知、採ってきたそのままでは砂が多く、塩水に浸して砂抜きをする必要がある。
海水の塩分濃度はおよそ3.5パーセントなので、水500ccに対して塩大さじ1杯程度の塩を加え、薄暗い風呂場に一晩置いて砂を吐かせた。
そして翌日、すべて味噌汁の中に沈んでいただいた。
大粒ですこぶる美味だった。


しばらくしたある日、家に帰ると風呂場にボールが置いてあった。
何でも嫁がスーパーで買ってきて砂出し中なのだとか。

ふーんそうか・・・
くらいにしか思ってなかったが、その後風呂場がやけに静かなのが気になった。
薄暗い風呂場に置いておくと、騒がしいくらいピューピューなはずなのだが・・・。

はっと思い、風呂場に駆け込んだ。

塩水に浸けられた貝たちは、しっかりと殻を閉じてじっと苦しみに耐えたいた。

しじみだった。


言えるはずもない

小学校の頃、給食の器はアルミ製だった。

そして食器はアルミのお盆に載せられていたのだが、もう一つ懐かしいのは先割れスプーン
当時はまだパン食に先割れスプーンが主流で、ようやく米飯と箸の導入が始まった頃だった。

アルミの板とステンレスの鋭利なものと揃えば、いたずらしたい盛りの悪ガキ共は当然のごとく色々な落書きを彫った
毎日巡ってくるさまざまな落書きを見るのも給食の時間の楽しみでもあったし、そこに参加するのも楽しかった。
(こらこらこらーーー!)



ある日、同じクラスのとあるヤツの悪口を彫った。

そしてその翌日、偶然にも全く同じお盆が自分に回ってきた。



お盆はクラスごとに分かれているわけではなく、使い終わったら全校分が給食室に集められ洗浄されて再び振り分けられる。
毎回シャッフルされるので全く同じお盆が再びお目にかかるれることは非常に稀なことだった。
事実、数多くの落書きを彫ったが(こらこらこらーーー!)、再び自分に回ってきたことはこの一度のみだった。


この感動を伝えたい!


しかし、お盆に何かを彫ることは禁止されていてバレたらすごく怒られる上、
その悪口の本人が同じクラスにいる以上、それはかなわぬことだった。


味はないはずだが

都会に住んでいる人が田舎に行くと水が美味い空気が美味いとよく言う。


冷静に考えれば、空気なんぞに味はないし、水も無味無臭だ。
ミネラルや何やらが溶け込んでいるとも考えられるが、いわゆる水は美味くも不味くもなく、ただの水である。

田舎育ちのしぶーのは空気や水に味があるなどと考えたこともなかった。


確かに、たまに田舎に行くと水や空気が美味く感じる。
しかしそれは美味いのではなく、不味くないといったほうがいいのだろう。

普段いかに不味い空気を吸い、不味い水を飲んでいるかがよくわかる。
冷静に考えると恐ろしいことではないか。


アメリカンコーヒーは薄い?


コーヒーの種類にアメリカンコーヒーというものある。
これはアメリカンという品種のコーヒー豆が存在するわけではなく、淹れ方によって区別されていると考えられるが・・・。

ぱっと見て、アメリカンコーヒーの色は薄い
同じように見て、イタリアンコーヒーは色が濃い


この違いは豆のロースト(焙煎)具合によって区別される。

ローストが濃くなるにしたがって酸味が消え、苦味が増してゆく(その豆の特色を生かしたローストになるのが普通)。
したがって、出来たコーヒーの濃さではない


アメリカンコーヒーはローストの浅い(浅煎り・アメリカンロースト)の豆を使ったコーヒーなので酸味があり色が薄い。
色は薄いが濃いアメリカンコーヒーは存在する。


ちなみにアメリカンコーヒーの代表格、ハワイのコナコーヒーは品種名であって、粉コーヒーではない。
(だれも間違えないか・・・)


6/8 + 2/4 拍子

近所の子供達が公園で遊んでいた。

このご時世、あまり公園の子供達を凝視するのは気が引けるが、通りすがりに聞こえる。

あれはだるまさんがころんだか。


いつの時代も子供の遊びというものは他愛なく、昔とあまり代わり映えがない。

しかし、自分の子供の頃とは微妙に違う。

「♪だーるまさんが、こーろんだっ!」

リズムと音程がついている。
さらに休符が入っている。

方言を含む地方差なのか、子供達によってアレンジが加わって変化してゆくのもまた一興。


だけどこの言葉は10を数える唱え言葉だということは知っておいてくれよ。


ご当地メニュー

仕事で遠方へ行った時、地元のスーパーへ立ち寄ることが楽しみになっている。

スーパーにはその地方ならでは品揃えがあって面白い。
しかもそれは有名な特産品の類ではなく、ごく普通に売られていて庶民がいつも買っているものならばなおさらである。

野菜、肉や魚などの生鮮品は特にその特色が現れ、地元で取れたものが並べられている。


中でも衝撃的だったのが豆腐牛乳
その地方の牧場のものなら、必ずと言っていいほど味が違う。
しかも牛乳は季節によっても違うとか。

豆腐もまたしかり。
恐らくこの違いは、その地方のの違いと言ってもいいのではないだろうか?

水のいい地域のものは必ずといっていいほど美味だ。


鰯の頭

学生時代、自動車学校に通っていた時のこと。
当時夏休みということもあって、学生が休みを利用して免許を取得しようと、若者達であふれかえっていた。

そんな中、若い人々に混じって年の頃なら4〜50代か、自分の親と同じくらいと思われる女の人が教習を受けていた。
人当たりもよく、母親のように若い人々に慕われていた。
どのような事情で免許が必要になったかはわからないが、その人は何度も仮免許の試験に挑戦しているがなかなか合格できないという。


当時、その教習所に同じ大学に通う同級生の女の子がいて、ちょうどこれから仮免許の実技試験だという時、
偶然にもポケットの中には「777」と刻まれた一枚のコインがあった。
冗談半分に「これは幸運のコインだ。お守りにやる。」といって渡した。

というか完全な冗談だった。

その彼女は何事もなく仮免許に合格した。


その後彼女は、仲良くなっていた何度も仮免に挑戦している女性にコインを渡した。
暗示効果があってか、不思議と落ち着いて試験をこなし、無事合格することが出来たのだそうな。

コインを渡したことなどすっかり忘れ去っていた頃、猛烈に感謝された。


はっきり言って御利益なんかあるはずがない
なんたって行きがけに寄ってきたパチンコ屋のパチスロのコインだからな。


そのコインは手製のお守り袋に丁重に収められ、その後の試験を受ける教習生の間に流通していたらしい。


毎度このパターンか


春先は「一雨ごとに暖かくなる」といわれるように、天気の崩れにともに暖かい日と寒い日が交互に繰り返す。

それはが咲いてもあてはまる。


3月下旬、暖かい日が続く

桜が開花する

急に冷え込む(天気が崩れる) ←週末

晴れて暖かくなる、桜がいよいよ見頃!

花見をしようとすると急に冷え込む ←週末

暖かくなる、桜が満開

天気が崩れる(温かい雨) ←週末

桜散る

orz


浦島太郎状態

デジカメ用の記録メディアの予備がもう一つくらい欲しかったので久々にパソコンショップに行った。

毎度行くたびにIT時代についていってない自分を痛感する。

メモリーカードが小さい、そのくせ容量がGB?



昔々、たしか32MBの容量で結構な値段した記憶がある。
なんたってMB、メガですよメガ!
そんな中で大枚をはたいて買った128MBはとてつもなく容量の大きいメディアだったはずが・・・。


ちっぽけな板切れ一枚で、もはやCDの容量をゆうに超え、一時代前のハードディスクをも上回る。

本当に脳味噌の容量を超える日も近いのかもしれない。


さかなさかな


 山奥の川にがいる。
山の上の池や湖に棲んでいることもある。

誰かがわざわざ放したのか、大昔からそこに棲んでいるのか。
下流には滝や堰堤もあり、魚が自力で移動してくることは不可能な場所にもいる。

この魚達は、下流がどうなっているのか知らない。
下流の世界から完全に取り残されたことになる。

 万一洪水によって魚が全部下流に流されたり、一匹残らず獲りつくされたり、ただの一度でも水が干上がったりすることがあれば、そこには魚が全くいない世界になる。

 つまりその環境は非常にもろく、ほんの少しのできごとで全滅することも珍しくないはずである。
そんな苛酷な環境の中でも生き延びている。


 地球上の空気がたまたまなくなったり、太陽が照らさなくなったりして生きることができない低温になったりしただけでも、我々人間も全て滅びる運命にある。
 上流の魚にとってその環境に起こる異変は、かつて恐竜が滅びたとされる巨大隕石の墜落のような確立のできごとなのかもしれない。


こうして悪人は作られる

世にも恐ろしい話。


その電車のロングシートは7人掛けだった。

人の習性としてたいてい両端から座ってゆく。
その日、電車に乗った時に7人掛けのシートには既に両端が埋まった状態だった。

そこで席の真ん中に座った。

A○○S○○A
(A=人 S=しぶーの ○=空席)


 こんな時、端から詰めるのも考え物。空いている車内では、人が接近することに対して嫌悪を抱く人も少なくない。その証拠にほとんどの人が片方のテリトリーが保障された端の席を好み、車内が空いてきたらわざわざ移動して隣の人から離れて間隔をあけようとする。


この車両のシートにはが引かれていて、一人分のスペースが明確に区切られている。
きちんと区切られた範囲内にいれば、やがて車内が混んできて線に沿って席は埋まってゆく。


というわけで、移動中の電車の中は貴重な睡眠タイム。

ところが・・・

寝ていると強い力で右肩を叩かれた。

見ると、怒りに満ちた老人男性が見下ろしている。
指差す仕草から、どうもそこの席を詰めろということらしい。


周りを見渡すと、両端から迫る人々がかなりの間隔をあけて座っている。
その結果、自分の両端にはちょうど半人分ほどのスペースが出来ていた。

A B S B A

これではまるで二人分のスペースのど真ん中に陣取った人だ。
本来ならば越境している両側のBが左右に詰めるべきなのだが、この光景はまるで中央が悪人。

かくして7人掛けに6人が座ることとなった。


社会のルールを守っていれば悪者になることはない。
このことを根底から覆す出来事だった。


困った生徒


さる女性演奏家から聞いた話。

彼女は演奏活動の傍ら、自宅で子供たちの指導をしている。
子供のレッスンには、送り迎えも含めてが同伴することも多い。

生徒である子供とはもちろんのこと、その親とどううまく付き合うかも重要になってくるのだとか。

しかし中にはとんでもない親がいるもので、ある日レッスンの予定でもないのに突然やってきて、小学生の娘を置いてどこかへ行ってしまった。
まるで託児所のような感覚でいるらしい。


その日は連日の本番に疲れ、ノーメイクのくちゃくちゃの状態でひっくり返っていたところ、正直レッスンどころではない。
ブチ切れたいところだが、親は時間まで帰ってこないし子供に罪はない。


仕方がないので、髪を三つ編みにしてマニキュアを塗って、

「とりあえず可愛くしておきました。」

こう言って親に引き渡したそうな。


○○を消去しますか?

 ハードディスクに書き込まれたデジタルデータというものは実にはかないものだ。記録メディアの容量は日々技術の進歩で増える一方なので、どこまでも無限に記憶が出来るような錯覚に陥るが、一度でもパソコンが壊れたりHDDをクラッシュさせてしまった経験があれば、そのデータがいかにもろくはかないものか理解できよう。

 そうでなくとも、編集中にパソコンが固まった、ファイルを移動中に破損した、間違って編集前のデータで上書きしてしまったなどなど、デジタルというのは間違ってデータを消してしまうリスクがある。


その日はレッスンの空き時間を縫って、教材用とライブ用の楽譜の清書をしていた。
後々自分で見るものだけに、丁寧に書いておかなければ見づらいのは自分であるので、時間をかけて丁寧に清書する。

一曲目を無事に書き終え、二曲目をしばらく書いていて気がついた。


しまった、書くべき紙を間違えた。
二曲目はこの五線紙ではなく、教材用に二段になった五線紙に書くべきだった。

仕方がない、途中まで書いたものはあきらめて別の曲を書こう。
そう思って別の曲にとりかかろうとしたところ・・・

今度は五線紙の枚数が足りない。

先ほど間違えて途中まで書いてしまったので余分がないのだ。
仕方がない、少々面倒だが、さきほど途中まで書いたものを消しゴムで消して使おうか。


その日、新しいく買ってきた消しゴムが妙に調子いいこともあって、その消し心地、消しカスの出具合などを堪能しながら丹念に消しておりました。
その紙が一番最初に清書した消してはいけないほうだとは、全部消し終わるまで気付かなかった。


こうしてまた一つ伝説が生まれた。

アナログで間違ってデータを消してしまった男。



2000年問題のような


デジカメを買って数年

一度は壊れて修理した(初期不良で無償修理できた)ものの、その後特にトラブルもなく快適に使えている。

発売当時は最新式だったが、今や古い型番の部類になってしまった。
型番が古いと電池の消費が激しいくらいで、予備のバッテリーも使いながら今でも酷使されている。
例によって息の根止まるまで使い続けるつもりである。


しかし、ここに来て新たな問題がでてきた。

撮影された写真には削除したものも含めて重複しないように自動的にナンバーがつけられてゆくのだが、
通算1万枚を超えた時に再びカウンターが0に戻ってしまった。

最初この現象には気付かずに、なぜか一連の写真が順番に並ばないことで気が付いた。

こうなると同じナンバーの写真が存在することになり、同一フォルダ内では共存が出来なくなる。
特にサイトを編集する際に、うっかりすると以前の写真に新たなナンバーの写真が上書きされてしうこともある。

重複したら上書きせずに、手打ちでナンバーを一桁増やしたりして対応するしかない。


それにしても・・・一周までたったの1万枚かよ!

アップの際には入念なチェックはしておりますが、万一画像リンクが明らかにおかしな場合はご一報ください。


本物志向


♪しろくじちゅうも好きと言って〜


あまりに有名なあの曲だが、本物のあの人にそっくり真似て歌うのは意外なほど難しい。
実は細かいところでテクニックが生きている。

しろくじ「ちゅう」も好「き」と言って・・・
この部分に上向きモルデント装飾音、最後の「て」に下向きのモルデントを入れるとそれらしくなる。
演歌で言うとコブシのようなものか。

あとは「好き」のsの発音をthの発音のように舌を噛み口を尖らせる。
他にもmの発音で口を閉じて尖らせる、rの発音は舌をしっかり上の歯の裏側に押し付けるなどなど。
本物に近づくには微妙なコツがある。



英語の発音も日本人には難しい。

waterは「ウォーター」と教わり、littleは「リトル」と覚えてしまうので、なかなかそれっぽく発音できない。
カタカナでは「ワーラー」「リロー」と言ったほうが英語っぽく聞こえる。


数の13を表すthirteen。
「サーティーン」と言ってもなかなか英語っぽくならない。
舌を突き出してthを発音するもまだしっくりこない。


thの発音をした後、即座に舌を引っ込めて「スリーティーン」と発音するとだいぶそれらしくなる。


日本熱帯化現象

暖冬のせいなのか、2月の末だというのに家の中にが飛んでいた。
昼に洗濯物を干した時に入り込んだのだろう。

蚊といえば蚊取線香、英語名ではMOSQUITO COIL(モスキートコイル)といわれ、ハワイでも売られていた。

蚊取り線香の有効成分はピレスロイド
蚊を麻痺させる神経毒であるが、なんとこの成分が直接蚊を殺すわけではないのだそうだ。

この恐ろしい成分を吸った蚊は、飛ぶことが出来なくなり落ちる。
そして床の上でじたばたじたばた
やがてそのまま疲労でくたばってしまうのだ。


何と恐ろしい毒なんだ!


そして蚊取線香に火をつけた。


ザはどこ行った?

ドボルザーク(ドヴォルザーク)(1841−1904)はチェコの作曲家。
交響曲第9番「新世界より」やチェロ協奏曲、スラブ舞曲やユモレスクなど、親しみやすい作風の音楽でファンも多い。

言葉は悪いが、どこか田舎臭い雰囲気のメロディが日本人にも受けるのだろうか。


アントニン・ドヴォラーク。


いや、

チェコ語です。

チェコ語に詳しい人に聞いたことがあるが、喉に絡むような何とも発音しがたいもので、あえて片仮名では「ドヴォジャーク」が近いとされている。


貧乏性?


人からよく物持ちがいいと言われる。

 気に入ったものをいつまでも使い続ける習性があるのと、流行を追うのに全く興味がないのと、物が捨てられない性格のなせる業か、高校時代の布製のスポーツバッグを未だに現役で使っていたりします。

実家に行けば中学時代のマジソンバッグ(しかもバッタ品)がまだあると思うがさすがにそれはなあ・・・。



最近、実家の車が新しくなっていた。

うちの親は車は必ず新車を買う主義で、過去に誰が乗ったかどんな事故を起こしたかわからない中古の車を嫌う。
しかしそれは子供の目から見て、決して贅沢をしているようには見えなかった。

我が家(実家)に新車が来たのはこれで二台目
一台目は、しぶーのが物心付いた時に既にあった車が路上で白煙を噴いて壊れた時に買ったもの。
あれから25年、その時の車がついに壊れ、新しい車を買ったのだそうな。


壊れるまで使う。
この精神は親譲りなのだろう。


歴代3代目の携帯電話が、未だ壊れないのを理由に機種変更できずにいる。
新しい電池もせしめたし、まだまだ使うつもりだ。

初代は気に入っていたが、メールが出来ずに泣く泣く機種変更した。
2代目(白黒画面)は壊れて替えた。


コントラバスとウクレレの意外な共通点

コントラバスもウクレレも弦の数は4本

調弦は低いほう(4弦)からコントラバスはE(ミ)A(ラ)D(レ)G(ソ)、ウクレレはG(ソ)C(ド)E(ミ)A(ラ)。
コントラバスは完全4度、ウクレレは真ん中に3度を含む変則チューニング(ギターの上4本の4度上)となっている。


弦の長さはコントラバスはおよそ105cm、ウクレレはおよそ35cm。
大きさは比べるまでもなく、とんでもなく差がある。


この巨大な楽器と小さな楽器の意外な共通点、それはネックの幅がほぼ同じなのだ。


そんなはずはない、化け物のような大きさのコントラバスにはとんでもなく幅の広い指板がついているではないか。


ところが上駒の位置で幅を見ると、コントラバスは意外なほど幅が狭いのである。

もちろん下に行くにしたがってコントラバスの指板は大きく広がっている。

コントラバスは単音で弾くことがほとんどで、一度に複数の弦を同時に押さえることは少ない。
比べてウクレレは基本4本同時に弾くことが多いので、その演奏の都合上のことなのだろう。


ネックの厚さは全然違いますけどね。



本当の幸せとは?


その彼女は、あるお店で店員のお仕事をされていました。

ある時、その彼女は顧客の女性に用事があり電話をかけることになりました。


その顧客の女性は旦那様が大変な金持ちで、大層な豪邸に住んでいらっしゃるそうです。


彼女が電話をすると、中高生らしき娘さんがお出になり、お母様に代わっていただくよう伝えたところ、



「おーい!ばばあ、電話ーーーー!!」




世の中、お金があっても幸せになれるとは限らないんだなあとつくづく思ったそうな。


忘却の彼方

自分の記憶ほどあてにならないものはない。

最近をとったせいか、こう実感することがたまに出てきた。
いや、歳のせいではかもしれない。
人間、誰しも何かを忘れるということは若くてもよく起こる。

記憶にないので自分のしたことではない、と言い張るのも考えなければならないと思う。
自分のやったこと、見たこと聞いたこと言ったこと、その後そのことを忘れてしまえば自分の中ではなかったことになる。

それこそさっき食った夕飯も、忘れてしまえば夕飯自体がなかったことになってしまう。


例えば冷蔵庫の中に、楽しみにしていたプリンが入っていた。
期待して家に帰ると何故か忽然と消え失せている。

きっと出かける前におんちくいただいてすっかり忘れているのだろう。
その証拠に、流しに空の容器が放置されている。
いつもならすぐに水で濯いで捨てるはずなのに何故か放置されたままになっている。

きっとあわてて食って、忘れてしまったのだろう。


危機一髪

自分の楽器を選びに行った時のこと。

東京まで出かけ、コントラバスの専門店をいくつか回り、お目当ての楽器を見つけ手続きを済ませた。

帰りのバスは東京駅を深夜に出発予定、まだ5時間以上もある。
久々の東京だったが、これといって見て回りたい所もなかったし、アグレッシブに遊びまわるよりも長旅の疲れもあって、どこかのんびり出来るところがあればと思っていた。


楽器店から近く、駅前のちょうどいいところにサウナがあった。
24時間、しかも男性専用

 当時名古屋界隈ではスーパー銭湯ブーム、サウナや健康ランドと呼ばれた娯楽浴場の簡易版があちこちにあり、ゆっくりと風呂に入りながらくつろげるという娯楽が広まっていた。


なるほど、繁華街にあり治安も少々よろしくないのか、男だけなら気兼ねもなくのんびりくつろげるというわけか。
男女別にすれば設備も二倍必要なわけだし。
名古屋ではあまり見かけないが、まあこれも東京の文化なのだろう。

というわけで、深夜バスの発車の時間まで、ひとっ風呂浴びてくつろぐことに。


そんなに大きくはないが、客は他に数人しかおらず、色々なサウナをそこそこ楽しめた。


それにしても・・・

こんなにガラガラに空いているのに、何故そばに来る?


一通り風呂を楽しんでから、大広間で寝そべってテレビなんぞ見ていると、やがてバスの時間が迫ったのでサウナを後にした。

なぜ店の人、もう帰るのか?という驚いた顔をする?


後日そんな話を音楽仲間にしたところ、聞いた人々の顔が見る見るこわばった。

「よく無事に帰ってこられたな。」


その界隈の男性専門サウナといえば、あっち系で有名な所だったそうな。


子供の頃萌えたもの

子供の目線は大人に比べて視野が狭い。
交通安全教室での説明と同じで、広く全体像を捕らえるのではなく、風景のごく一部しか見ていないことも多い。
その反面、特定の物に対しての執着が強く、時として他人が理解し難い物に対して興味を持ったりするのだ。




臭突
風に吹かれてくるくる回る様子は青空に良く映えていた。
当時はまだ結構現存していて、住宅街を眺めると必ず一際高い臭突が目だった。

電車の連結部分
ズリズリと動く渡り板、幌の動きは見飽きることがなかった。
車両の外見よりも部分的なパーツに惹かれていた。
新幹線は特別で自分の中では電車に分類されていなかったが、よく見れば連結部に同じような幌が使われているのを発見して感動した。

切り替えポイント
特に真ん中のY字になったノーズの部分が魅力的だった。
稼動しない(新幹線では動くらしい)のに、どっちからも通れる隙間と考えるだけでも萌える。

プラレールのトンネル
家にはなかったが、友人宅で遊んだプラレールに、百科事典や積み木でトンネルを自作して遊んだ。
ギリギリ狭ければ狭いほど、無事に通り抜けた時の脳汁は多かった。

TOTO
便器にかかれた青いローマ字のロゴがとてつもなくカッコよかった。
当時の落書き帳にはあのロゴを真似描きしたものも多い。

風向計
小学校の屋上にあり、くるくる回る丸い玉と風上を指す矢印が魅力的だった。
常に下から眺めるだけで近くにも寄れず、手の届かぬ高嶺の花のような憧れがあった。

玉碍子
電線に取り付けられた絶縁用の陶器の碍子は手の届かぬものの代表格。
電柱を支えるために地面から伸びるワイヤーの途中にかまされた玉碍子の仕組みを知った時には感動ものだった。




何故こんなものに興味を持ったのだろう?
成長するにつれて目に入る情報量が増え、興味があったという記憶もいつしか忘れ去られてしまう。


いや、忘れてはおりません!

大人になると行動範囲も広がり、デジカメやパソコンを持つことが出来るようになる。
興味のない人から見れば理解し難いものであっても、写真に撮って集め、自分のwebサイトで公開し、同じ嗜好の人々と共感しあうことが出来る。
世の中のすべてのものはコレクションの対象になるという名言まであるのだ。

つまりは大人も子供も変わらないのか。


車輪のフラットスポット

今日乗った電車はゴジゴジだった。

 電車に乗っていると、レールの継ぎ目でガタンゴトンと音がする。その他にも、車輪に平らな部分があるのか、周期的にゴッゴッゴッと聞こえる車両がある。速度にあわせて変化するその音は結構大きな音だったりするときがある。

電車が急ブレーキをかけた時、鉄製の車輪がレールとが擦れあい、車輪の円周の一部が直線になってしまう。
そのまんまなのだが、専門用語では「フラット」というらしい。

車重も半端ではないので僅かでもすべれば大きく削れてしまうのだろう。

どのくらいのフラットスポットなのだろうか?

向かいのホームの車両を見ても、車輪に削れた跡があるのは見たことがない。
鋼鉄同士なので摩擦は少なく、アンチロックシステムが作動するので恐らくほんの僅か、遠目に見ても判らないほどではないだろうか。

2cmから5cmくらい、深さは1mm以下だそうです。


そんな僅かなフラットでも結構大きな音がするのは・・・

車輪一つにできるフラットはたとえ小さくとも、一つの車両に車輪は左右で8つ。6両編成で48個。
急ブレーキで仮にすべての車輪がロックした場合、48個のフラットスポットが、一斉にゴッゴッゴッと音を立てる。

その後個別に車輪が空転しない限り、ずっと同じタイミングのままでしょうね・・・。


すべての車輪が完全に同じ直径ならば理論上永久にシンクロし続ける。
しかし、整備で車輪を削って僅かでも直径に差があれば、走行してゆくうちにズレが生じてゆく。
車両は単純に始発と終点を往復していると考えると、かつて車輪がロックした場所に来ると再び完全に一致するはずである。
しかし車輪がロックして滑ったということは、その間の滑った距離は車輪の円周に反映されなくなる。
正しく再現すれば、行きは車輪の滑り出したポイントで一致し、帰りは滑り終えたポイントで一致する。
レール的には滑った距離の分は存在しなかったに等しい。
しかし滑った分の距離も加算されなければならないので、


こんなことを考えているうちに目的地に着きました。

終了!


どっちなんだぁ〜!


カポタストという道具がある。

 ギターのような指板にフレットのある楽器に使われ、バーによってすべての弦を横一列に押さえ、開放弦を半音単位で移調するための道具。
 と、文字で説明するとややこしいが、要はネックにはさんで使うものです。
 大きく分けてエレキギター&フォークギター用クラシックギター用と分かれ、エレキギターやフォークギターは指板面がゆるやかに盛り上がっているので押さえる為のバーも僅かにアーチを描いている。
 クラシックギターは指板面が平らなので真っ直ぐなバーになっている。

 商品にはフォークギター用にはforkの頭文字「F」、クラシックギターにはclassicの頭文字「C」と書かれていることが多い。

ところがフォーク・エレキギター用にcurved(カーブド・曲がっている)の頭文字「C」が、クラシックギター用にflat(フラット・平ら)の頭文字「F」が書かれている場合もあるので注意が必要だ。



 演奏会の出演依頼を受けた時、本番の衣装が何なのかは重要な伝達事項。

いつも同じような衣装を着ているように見えるクラシックの演奏会でも、実は燕尾だったりタキシードだったりと微妙に違っていたりします。
全員に配られる伝達表には必ず本番の衣装が何なのか記されていて、上下黒のタキシードに黒の蝶ネクタイの時には「黒黒黒蝶」などと言われる。

中には上下黒の礼服に銀または白の棒ネクタイの時もあり。

そんな時は「黒黒白棒タイ」と言われる。

いや、言ってはいけない。

ボウ・タイ(bow tie)は蝶ネクタイのことを指すので注意が必要だ。


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