管理人の独り言8

ここは管理人しぶーのが日ごろ感じたことや気づいたことを徒然と書き綴るページです。

進化し続けるのは、あくまでも・・・

少し前にテレビで、携帯電話の進化について語られていた。

今や一人一台の時代になりつつある携帯電話。
小型化と通信速度の高速化に伴い、多機能化に止まるところを知らない。
しかし、開発する人々はすでに次世代の携帯電話を考えているのだそうな。


昔々、電話と言えば黒いダイヤル式だった。
そんな電話がコードレスになったのも画期的だった。
外出して家を留守にする時、電話が通じなくてどうしよう?そして留守番電話なるものが登場した。
そしてポケットベルにより外出中もリアルタイムで連絡をとることが可能になり、やがて一般人にも携帯電話が広まった。
そういえば一時期PHSなるものもあったが、今はほとんど見かけない。

最初は電話機能のみだったが、多機能化とともに液晶画面は大きくなり、やがてカラーになった。
インターネットに接続できるようになると電子メールも可能になった。
音楽が打ち込めてオリジナル着信音が自由に作れる機能は、簡易シーケンサーとして大いに遊ばせていただいた。
携帯電話にカメラがついたのは画期的だった。
何故カメラが・・・と思ったが、世間で大いに活用されているところからして需要が大きかったのだろう。

今やインターネットとつながったりアプリケーションを追加したり、まるでパソコン並みの機能になってきている。


そんな状態になっても、やっぱり「電話」なんだよなぁ・・・


わかっていても歌ってしまう

♪もういくつ寝るとお正月・・・

日本国民なら誰もが知るお正月の歌。

お正月には凧揚げて、独楽を回して遊びましょ・・・

この独楽の部分、ほとんどの人が「コーマを」回してと歌うのだが、正しくは「コマをー」回して遊ぶのだ。

国民の大多数がそのように認識すると、音楽も言語のように変わってゆくものなのだろうか?


そこはツッこむところか?

もしも願いが叶うなら、吐息を白いバラに変えて・・・
会えない日には部屋中に飾って・・・なんぞしないで


願いが叶うなら、会えばいいのに。


どこまで寒さに強いのだ?

全身寒冷地仕様のしぶーのは犬のように寒さに強い。
12月の半ば、ようやく上着を引っ張り出し、小雪の舞いそうな寒空の下、冬服デビューをした。

その当日、やしのパートナーである矢橋邸で打ち合わせをして、そこに上着を忘れて帰ってきた。
風の強い夕方、駅までの道のりを歩き、地下鉄に乗って数駅過ぎたあたりでようやく気がついた。
矢橋さんに電話で連絡を入れると、そのまま帰宅、上着は後日取りに行くことになった。


ちなみに、上着がないことに気がつたのは寒かったからではなく、暖房の効いた地下鉄の中でも暑くなかったからだった。


点灯式

今年もようやく、屋内焚き火マシーン(石油ストーブ)の季節がやってまいりました。

仕事が忙しくて出す暇がなかったのか?
確かにそうなのだが、実はの間もずっとこの場所にありました。
(おかげで降り積る鳥の羽根などを掃除するのが大変でしたが)
出てはいるものの、掃除する暇がなかったのでした。

きれいに掃除して、今日は点灯式の日。
と同時に、今日はこの冬始めて上着を着た日。

2009年、12月18日


不吉なかほり

嫁が入浴剤を手に入れてきた。
効能はといえばよくある「暖まる系」なのだが、香りが強烈だった。
白濁した湯は珍しくないが、落ち着く香りというよりもスパイシーかつエキゾチックで強烈な香りはなかなか珍しい。

はて?
どこかでかいだような匂い。

袋の裏の説明にはアニスの香りとある。
最初は丁子(クローブ)かと思ったら、微妙に違う。
これは八角(スターアニス)の香りだ。


ひょっとすると食われるのではないだろうか?
豚の角煮


とうとうそうきたか

世間ではぼじょれーなんとかが解禁らしい。

普段からお酒はほとんど呑まないために興味はなかったが、わざわざニュースになるところからすると世間の人々にとっては関心の深いことなのだろう。

しかし数年前からちらほらと話題に聞くが、ボジョレーとよく言うものの正しくはボージョレのほうが現地の発音に近いらしい。
フランス語に詳しくないので、この際どちらが正しいかというのは置いといて、テレビなどではその二つが混在していた。

そして、とうとう今年のニュースでは、

ボジョレ・ヌーボー」!

「もうどっちでもええがな。」
もうこれで争いはやめて!
ということなのだろうか。

もしくは潔くボージョーレーにしてしまうのもテか?

Beaujolais nouveau・・・・読めん!


天体ショー

毎年この時期になると流星群の話題が聞かれる。
流星群自体はどの季節にもあるのだが、大規模な流星群と夜が長く空気が澄んでくるこの時期とが重なって話題になるのだろう。

流星雨という言葉も聞いた事がある。
あたかも雨のごとく多くの流れ星が出現する。

それって凄くない?

雨のようにって・・・
ザーザーばらばらばらびちゃびちゃびちゃー
って・・・。

 1時間に1,000個以上の出現を流星雨と呼ぶらしい。仮に1時間に1,000個出現するとして単純計算で1分間に16個ほど。かなりアバウトで4秒に1個ほどの計算になる。確かに凄い頻度だが、夜空一面に「びちゃびちゃびちゃー」を想像していただけにまばらな気がする。


シューメーカーレビー彗星や百武彗星でその姿を見た人も多い彗星は、もっと速いものだと思っていた。

うろ覚えの文だが、「昔々ある国で戦乱の最中突如として彗星が現れ、人々は不吉なことの前兆として恐れおののき戦乱が鎮まった。」

そして天体の本に出ているスピード感溢れる写真。
猛烈なスピードで尾を引きながら飛んでいるのがよくわかる。

 まるでジェット機が猛スピードで飛んでゆくがごとく、東の空から現れた彗星は、轟音と共に瞬く間に西の空へ消えてゆく。天文学が発達して進路の予測が出来る現代では、何時何分何秒に上空を横切るというので、人々は秒針を見つめながら固唾を飲んで彗星の到来を待ち、あっという間に通り過ぎる彗星を拍手と共に見送る・・・。

そんなものだと思っていました。

彗星の実際の尾の向きは進行方向後ろではなく太陽の反対側。太陽の近くでは彗星は尾に対して横に動く。


記憶力

七福神を全員言えますか?

恵比寿、大黒、弁財天・・・

聞いたことのあるもの、知っているもの、知っているはずなのに度忘れしているもの、最初から聞いたことがないもの、さらに順番に挙げてさっき言ったものとが重なってしまい混乱する。

覚えるべきなのはたったの7人、きっとどこかで聞いたことがあるはずである。

しかし日常生活の中で七福神にお目にかかることはまれで、七福神の置物を作っているとかならともかく知らなくてもいい存在。
人の脳はどうでもいい記憶を次々と闇に葬ってゆく。


今はとっても便利な世の中、今このサイトを見ているマシーンを使えばほんの一瞬で答えが出てくる。

すぐに調べるのではなく、あえて思い出してみましょう。
便利な世の中だからこそ、いつでも調べることが出来るからこそ、記憶が退化していることもある。

ポケベルや携帯電話や電子手帳がなかった時代、友人の電話番号は何人覚えていただろうか?
そして今、一体何人の電話番号が暗記できているだろうか?


七福神・・・恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋の七人


誰のために着るのか?

毎年、夏が終わり秋風が吹きだす頃・・・。
残暑と呼べる暑さもなくなり、高い秋晴れの晴天が続き冷たい風が吹く頃・・・。

世間では夏の装いから秋冬の装いへと衣替えする季節。

しかし、しぶーのは驚くほど寒さに強い
正直、周りの人々がほとんど長袖になっても平気なことも多い。
逆に長袖だと室内や電車内が暑くてしょうがない。

しかしながら毎年この時期、がんばって長袖を着る。
暑いけどしょうがない。
周りで見ている人が寒がるので。


見るたびに思い出す

エレベータに乗ると、正面の奥の壁にはがある。

車椅子で乗った時、後ろ向きで出るので後方を確認するためなのだそうだ。


そんな重要な役割は全然知らず、「狭いスペースを少しでも広く見せるため」とか「防犯のため後方が確認できるよう」程度にしか思っていなかった高校生の頃。
その日は吹奏楽の大会で、とあるホールへ来ていた。

会場のエレベーターに同級生の男と二人で乗った。
会場には多くの高校生がいたが、偶然にもその瞬間エレベーターに乗り合わせたのは我々二人だけだった。
扉が閉まりエレベーターが動き出すと、背後にあるの存在に気がついた。

「おお、こんな所に鏡があるやんけ。」

何かネタをかまさずにはいられないお年頃、同時にまるで申し合わせたようにポーズを取る二人。

「いえ〜い!」

次の瞬間、エレベーターの扉が開いた
そこには他の学校の女子高生が多数立っていた。

エレベーターを待っていて扉が開くと、中には男が二人、背を向けて奥の鏡に向かって腕を伸ばしピースサインをして真顔でポーズをとっている。
密室でこのような愚考が行われているなどと誰が考えよう。

当然、中から何が出てきたのか理解できず、一瞬固まった後、悲鳴にも似た爆発的な大笑いが起こった。


我々二人はどうしたのか?

その女子高生の人垣を押しのけて逃げた


くだらないもの

子供の頃、親やPTAから総攻撃を受けたテレビ番組、マンガはありませんでした?
なぜあれがよくてこれがだめなのか?

総じて子供の好きなものなど、大人の目線で見ればくだらないものだが、その違いはエロが含まれているか。
もしくは熱烈な恋愛が絡むか。

子供の大好きな排泄物系のシモ関係など、単なるくだらないものではギリギリセーフ。
しかしシモネタ(エロ系)が含まれると間違いなく総攻撃を受ける。

しかし当の子供は全く意味がわからなかったり、何とも思っていなかったり。

子供がすぐに真似するのは、見せた周りの大人が「いやあねぇ」とかウケるから
案外子供は「そりゃやりすぎだよ」と冷静な目で見ていたりします。


夢のない仮説

「かごめかごめ」、「ずいずいずっころばし」など、古くから伝わる日本の歌には意味の判らないものも多い。
いつ誰に教わったのか記憶が定かではないが、これほどまでに皆に知れ渡っているのに意味が通じない歌も珍しい。
はないちもんめ、とおりゃんせなど、日本的なもの悲しい短調のメロディーで歌われる歌詞には妙に深い意味がありそうで不気味な感じさえする。

当然この意味のわからない歌の謎解きを考えている人も多い。
そしてこの歌詞に隠された深い意味がある、何かの秘密を表している、など様々な説がある。


実はメロディを伝えたかったためではないだろうか?


楽譜のない曲や楽譜の読めない人に曲を伝えるにはどうすればよいのか?
日本では古来から音楽を口頭伝承という方法で伝えたという文化がある。
そのせいか日本の歌は和声が単純で音数が少なく、3〜5音程度の音で構成されており「上がるか下がるか」とリズムが判ればよい。

モールス信号を覚える方法のような、リズムに適当な日本語を当てはめてメロディーを覚えるための歌詞だったのではないだろうか?
つまり、はなっから歌詞に意味などなかったのではないか?

そんな意味のない歌が伝わるのか?
実は他にもたくさんあったがほとんどが廃れてしまったのでは?
今現在の恐ろしいまでの知名度を考えると、残っているこれらの歌は秀作揃いということか?


ヤツはもっと賢いと思うのだが・・・

さる投稿動画サイトに、日本のアニメ番組の中でも特に長寿を誇る「サザ○エさん」の第一話がアップされていた。
絵も動きも現在放送されているものと随分と違い(声優まで違った)、なかなか時代を感じさせる出来で興味深い。

カツ○オが珍しく高得点だったテストを巡ってのドタバタ劇なのだが、キャラクターの設定がよほど「出来の悪い子」なのか、その高得点がなんと75点
高校生や大学生ならともかく、小学生のテストでその点ではもしかするとクラスの順位的には低い部類ではないかと・・・。
他のテストがほとんど10点5点0点なのでよほどうれしかったに違いない。

しかし、彼の世渡り上手さや、ずる賢さイタズラの才能を考えると、もう少し頭脳の切れるヤツと思えるのだが。
野球ばっかりやってて勉強をちっともせずとも、もう少し要領よく点を取るはずである。

こんな子供が本当にいたら、実際にはかなり頭がいいのではないだろうか?とすら思えてくる。


なんかなあ・・・

の暑い夜、家に帰ると家の中は猛烈に暑い。
の寒い朝、起きると部屋の中は猛烈に寒い。

いくら暑いからって、いきなりクーラーの温度を18℃ってするの、どうよ?
いくら寒いからって、いきなりヒーターの温度を32℃ってするの、どうよ?


出来るだけ早く快適になりたいという願望は、よくわかる。
しかしこの賢い機械たち、現在の温度が何℃かを察知して、その数値に近づこうと作動するので、ある程度開きがあれば当然フルパワーで動きますわな。

つまり言われなくても、これ以上頑張れないという運転をしてるのよ。

なのにその設定はどうよ?

己の快楽のためならば、人の努力など省みずに無理な要求するその姿勢、どうよ?


トラウマ


幼少の頃に見たテレビドラマの一場面。

で全力で走る女の人。
ホームにたどり着くが間一髪、電車に間に合わず、無常にも電車はその女の人を置いて走り去ってしまう。
去り行く電車に向かって泣き叫ぶ女の人。
流れる悲しい音楽。


続きもののドラマのクライマックスにぴったりの1シーン。

その電車には大切な誰かが乗っていたのか?
その電車に乗って行かなければならない大切な約束があったのか?


しかし幼い子供に、どのような事情があったのかは判るはずもない。
子どもの目にはこのように映った。


電車に乗り遅れることは泣き叫ぶほどの悲しいことなのだ。


そして電車に乗り遅れ恐怖症になってしまった。


乗り遅れても次に乗ればいいし、ほんの少し待てばいいだけなのは判っているのだが・・・。


6分間隔で地下鉄が走る街に来て、ようやく治った。


がーん!


本物は凄い!

ひょんなことから爪切りを頂いた。

なんでも、職人が鍛造した手造りの逸品らしい。
専用ケースまであり、一目で高級と判る仕上げに驚いたが、最も驚いたのはその切れ味

いつも愛用の100均の爪切りのような「パチン」という音がしない。
まるで爪が湿り気を帯びているかのような、サクッとした心地よい手応え。
切れた爪が飛んでゆくこともなく、切り口は研ぎ均す必要がないほど滑らかだ。

 

正直、これは凄い。

あまりの心地よさに無駄に深爪してしまいそうな勢いだ。



値段を知ってまた驚いた。


日本は土地が狭いので・・・

今に始まったことではないが、日本の電気製品の小型で多機能ぶりは世界レベルで見ても驚くスペックである。
たしか通話が目的だった機械が、インターネットやテレビも見れて音楽も聴けてカメラまでついている。
ただ、考えようによってはあまりに小さくしすぎると逆に扱いにくくなってしまう。
携帯電話は、今の大きさよりも一時代昔の大きさのほうがボタンが押しやすいという話も聞く。
ノートパソコンもキーボードがある以上ある一定の大きさ以下には難しい。
小型化が限界ならばということで、多機能化している。


パソコンのような電子機器ならば、基盤や部品の大きさがスペックに結びつく。
物理的に機械を詰め込んでゆくのは、かなりのパズルのような作業なることであろう。
限られたスペース内にさまざまな機能を入れ込んでゆくのは、開発する人々にとっても知恵を絞るところ。

限られたスペースを最大限に生かす知恵。

五七五と字数が決まった中に、いかに季語と情景と感情を入れるか?
そして言葉以上の表現を可能にするか?

まさに日本の心そのものだったりして・・・。


変更する気ないべ?

縁あって、開発途中のある新商品に関して色々と意見を言う機会があった。

試作品を手に取り、何でも感じたことを述べて欲しい。
ユーザーの目線で感じたままを教えて欲しい。
というわけであった。

ここはちょっと使いにくいのでこうしたほうがいいのでは?←本体に関しての指摘
「いや、これはこのような理由でそうはしないようにしている。」

持ち運べるケースが付属しているといい。←どーでもいいこと
「なるほどそれは名案だ、前向きに検討しましょう。」


結局、全然聞く気ないじゃん!


当たるはずない

宝くじを買った人は、まさか自分が1等3億円が当たるなどとは誰も思わない。
その当選確率の低さを考えると、まず当たらないといってもいい。
いや、誰かには当たるわけだし、買わなければ確率は0である。
本当に当たらないという保障がされているのならば、買うのは無駄である。
ひょっとすると?何かの間違いで、3等くらいなら?などと淡い期待を抱いている人がほとんどではないだろうか?


でも、そんなことを口に出そうものなら、人は夢を見ていることを馬鹿にするに違いない。


しかし、せっかくなら目一杯期待してしましょう!
捕らぬ狸の皮算用の何が悪い!
皮算用があってこそ、狸猟にも身が入るというものだ。

どうせ当たらないとは表向き、本気で当てに行きましょう!
3億円を何に使おうか、精一杯期待しましょう。

当選発表の日までドキドキハラハラ、ハッピーに過ごすことが出来る。


このを買うのだ。


自然のテンポ

コーヒー!? 付く付く付く、
コーヒー!? 付く付く付く、
コーヒー!? 付く付く付く、

もーいいっ!

どこでもいいよー、
どこでもいいよー、
どこでもいいよー、
じー・・・・

夏に聞かれるセミの声
何故かだんだんと速くなる。
音楽のテンポ表現で言えばアッチェレランド(イタリア語・accelerando・だんだん速く)。
夕方になると「ケケケケケケケッケッケッケッ・・・」と鳴くヒグラシはだんだん遅くなり、リタルダンド(ritardando・だんだん遅く)になっている。

セミによって多少の個性はあるものの、どのセミも同じ様なテンポで鳴いている。

 音楽で「だんだん速く」、「だんだん遅く」と一口に言っても、人の感じる感覚はそれぞれなのでどれくらいなのか判りにくい。下手をすると極端に早くししすぎたり遅くしすぎたりする人も出てくるのではないか?と思うが、しかしどの曲もほぼ何事もなく常識的な表現で収まっているのは、誰もが同じような感覚を持っているということがわかる。

生き物が感じる速度は、心臓の鼓動のテンポが基準になっている説もある。したがって「テンポが上がる=鼓動が速くなる」ということは緊迫感や興奮が高まるということが自然に理解できる。

というわけで、モデラート「普通の速さで」という、実に曖昧な速度表記が許される。


超温暖化現象


ゲリラ豪雨という言葉をよく聞くようになった。

天気予報では予報しきれない短時間に降る強烈な豪雨を差す。
と説明するまでもなく、各地で洪水や突風をもたらして毎日ニュースになっている。

単なる夕立と比べ物ならない、ものすごい量の雨はまさに、熱帯のスコールと呼んでもいいほどの大雨だ。
川の近くや崖の近くはもちろんのこと、街中とて気は抜けず、地面がアスファルトなどで覆われている分、短時間の豪雨に弱い。
立体交差のような窪地や地下街なども一時的に洪水の危険もある。
これにより、今まで安全だったところまでが危険な地帯になってしまった。


日本はすでに亜熱帯になってしまったのか?


タコる!?

サボタージュ(フランス語で破壊活動)→サボる
場を見る(舞台などで床に目印を張る)→バミる

流行語や業界用語では「○○る」というように動詞形にして使われる。


「タコる」

世間一般ではタコ殴りにする、のスラングらしい。
タコ殴りは袋叩きにすると言う意味で、「このタコが!」と言うと相手を見下した言葉になる。

しかし、しぶーのの知る意味でのタコるとは「サボる」、「ばっくれる」と言うような意味。

「今日部活タコるわ」
とか
「○○はどうした?」
タコりです」

今ではまず聞く機会のない言葉で、ネットで検索してもヒット率の低さから、かなりの狭い地域で使われた流行語だったようです。

世の中には変わった方言があるものだ、とほとんどの人は聞いたこともない言葉だと思うが、記憶にある限り今から25年ほど昔、本当に使われていました
折りしもその当時、缶入りのチューハイでタコのデザインのものがヒットしていたりとか、何故かタコが流行っていた。

なぜタコるがサボるなのか全く意味がわからないが、誰かが面白半分にタコを当てはめて言葉遊びをしたのが次第に流行ったのだろう。
実際に使っていたと言う人は、もしかしたらほぼ同じ地域の出身ではないだろうか?


未だに手書きでした

ようやく楽譜作成ソフトを買った。

思えば昔、コンピューターを入手して熱を出しながら使い方を覚え、やっとのことでなんとか使いこなせるようになってから早7年。
今でもやっと人並みに動かせる程度の状態なので、今まで楽譜を書くには当然原始的な手書きであった。

入手したのは「北欧の作曲家」ではなく「終楽章」のほう。
しかもその中で最も初歩的なもので、ただ単に楽譜を清書するという機能だけなのだが、これが充分すぎるほどの性能であった。

使いこなせていない現在、いまだに手書きのほうが遥かに速いのだが、後から編集や修正が楽なのと、紙に比べて量が増えないのがありがたい。
五線譜はパソコン画面では少々見づらいものがあるが、そのあたりが改良されれば、将来的には出版譜も紙の状態ではなくデータでやり取りされるようになるに違いない。

譜面台がモニター画面の状態になる日も、そう遠くないかもしれない。

シベリウスではなくフィナーレ


まさにここが境目

高速道路の正式名称は高速自動車国道と習ったことがある。
東名高速道路の法定路線名は第一東海自動車道というらしい。


東名と呼ぶからには、東京と名古屋を結ぶ道路ということで納得が行くが、実はそうではない

正しくは東京インターから小牧インターまでが東名高速道路なのだ。


名古屋インターから西向き(関西方面)に走ると、ここはまだ東名高速道路。
春日井インターを越え、中央道への分岐小牧ジャンクションをも越え、小牧インターの出口と入口とのちょうど中間くらいにひっそりと、小さな緑色の看板が立っている。


「名神」
「ここから」


いるもんですねぇ・・・

猿投山を歩くと、あちこちにこのような看板が立っている。


ある夜・・・

いやいや、注意を促す意味で正確な時間を。
2009年7月13日深夜。

 猿投山を巡る山道をナイトクルージング中、大きく右にカーブしたその先、視界が開けたライトに照らされたのは、大きな茶色を帯びた灰色の生き物が茂みに入ってゆく後ろ姿だった。

その生き物が熊だったのかは定かではない。
熊が夜行性なのかもよく知らないが、今までに見た夜道で出会う大きな獣とは明らかに違う何かであった。

例えば鹿のような軽快な動きではない。
茂みに入ってゆく下半身が、まるで背中を丸めた人の後ろ姿のようだった。
色は茶色を帯びた灰色、短い尻尾があり。
のそのそと足を交互に動かす足はやけに太かった。
車の接近から逃げるように茂みに入っていった。

Yahoo地図より猿投山展望台付近
道が大きくカーブした先、左の茂みの中に入って行った。


このすぐ近くには、夜景で有名な展望台があるが、
マジで行かないほうがいいかも


使ってみなければ判らない

最近のコンピューターデバイスの進歩は目覚ましい。
小さく見えて、想像もつかないような機能が詰め込まれている。

そしてそのコンパクトにまとまったデザインは非常にそそる


例えばこのカードリーダー。

これ一つでほとんどのカードを読み取ることが出来る。
多機能オールインワン派にしてみればこんなに優れたものはない。
スライド式で端子を収納できるのもまたかっこよかった。

これさえあれば、どんなカードもお手の物、デジカメから面倒なケーブルをつなぐことなく画像を転送できる。


ところが実際に使ってみると・・・

USB端子は差し込んでからカードリーダー全体をしっかり保持する力はなく、グラグラと心もとない。
細いケーブルの先が端子になっているほうが安定するかもしれない。


そして当初の予定ではデジカメのカードを読み込ませるためにこれを買ったのだが・・・
ノートパソコンの横に、直接カードがさせるポートがついていることが判った。



イー線?エー線?アー線?

 バイオリンの4本弦は一番細い(高い音)弦から順に「ミ・ラ・レ・ソ」に調弦されます。(この階名「ドレミファソラシド」は相対的な音の高さを表すもので、絶対的な音の高さではない。
 したがって混同を避けるために音名表示されるのが通例になっている。

バイオリンの調弦は高い方から「E・A・D・G」

 英語読みでは
「イー・エー・ディー・ジー」
ですが、バイオリン族はヨーロッパ出身の弦楽器なのでこれらをドイツ語読みすることが通例となっていて、
「エー・アー・デー・ゲー」
になります。

したがって「エーセン」と言えば当然のごとく「E線」のことを指します。


一方、コードを使う英米式の音楽では普通に英語読みになり、
a-moll(アーモール)=Am(エーマイナー)
になり、そして
B(ビー)=H(ハー)
になる。

ああややこしい。


世のご婦人方を見ていると、爪を長く伸ばしている人が多い。
指が細く長く見せる目的なのだそうだが、弦楽器やピアノを弾く身分からするとあの長い爪はどうにも不便そうに見えて仕方がない。

弦楽器を演奏する場合、左手で弦を押さえる関係上どうしても長い爪が邪魔になってくる。
レッスンでも、残念ながらお洒落で長い爪は切るように勧めているが・・・。

かつてウクレレの弟子の一人に、どうにも爪の長い人がいた。
誰が見てもその爪では弦は押さえれまい、と思うのだがところがどっこいそうでもなかった。
その彼女は不思議なほど巧みに指を伸ばして器用に弦を押さえていた。
確かに、無駄な力を入れずに最小限の力で弦を押さえるという意味では効率が悪くなってしまうが、なかなか複雑なコードですらきっちりと押さえていた。

これでは「爪が長いと演奏不能」とは言えない。

長い爪ではよほど気をつけて弦を押さえないと爪に引っかかったり指板が削れたりするのでお勧めはできないが、爪が犠牲になるという理由でウクレレを始めるのを躊躇していた人々にとっては朗報なのかもしれない・・・。


速いパッセージには立てた指のほうが有利。


世間の常識


・日本全国、円錐形の山は○○富士。

まああの富士山が日本の誇りというのも大きいのだろう。
まったくもって都合よくあんな形の整った山が日本の最高峰だったものだ。


・原因不明の病はすべてストレスによるもの。

たしかに原因の一つなのかもしれないが、何でもかんでもストレスのせいにするのはどうかと・・・。
要するに病は気からということのなのか?


・蛋白源は貴重である。

古来より農耕民族の日本にはあまり肉食の習慣がなかったらしい。
今でも必ず「貴重な蛋白源」で一つの言葉


・遺跡から出土した訳わからんものは、まじないに使用した。

いくら理解不能だからといって、古代人をナメ切っていませんか?
科学が発達した現代の人よりも現実的に暮らしていたような気がしますが。


痛さ自慢

産まれてこのかた、肩こりというものの経験がない。
いろいろな人に聞いてみるが、どうやら筋肉痛とも違うらしい。

本人達にとっては大変なようだが、残念ながらその症状は想像もつかない。
痛みというものはバロメーターがないために他人には理解しづらく、個人的な主観をあえて他の痛みに喩えるくらいしか他人に伝えるすべがない。


女性のお産の痛さと男性のキ○ンタマをぶつけたときの痛さは、世の中の痛いものの代表としてよく語られる。


 男であるならば「キ○ンタマを打ったような痛さ」といえば誰でも瞬時に並ならぬ痛さを想像できる。
男なら誰もが一度は痛い思いをしているということか。
(いかに冷却が必要とあっても、あの体の外にぶら下がった仕組みはどうかとも思う。)

と同時に、男にとってお産の痛みは喩えられても実感が沸かない。
女性であっても出産経験のない人には実感できまい。

男がこの痛みを体験したら死んでしまうほどの痛さらしいが、歴史上お産の痛みで死んでしまった男は存在しない。
結局はどう頑張ったところで体験することはできないのだから、本当のところは分からない。


大きな違いは絶望に打ちひしがれた痛みか、希望に満ちた痛みか。
かわいい我が子をひり出すと思えば、痛くてもがんばろうという気にもなるというものか・・・。


そういえば安産だったの人と難産だった人では、この痛みの感じる度合いもずいぶん違うのではないだろうか?


悪夢

目が覚めてから、つくづく夢でよかったと思うことがある。
悪夢と言うやつだ。

正夢、逆夢は信じる性格ではないので、夢の内容などはどうでもいい。
しかも起きてしばらくしたら、きれいさっぱり忘れてしまうの。

ふと我に返ると、落ち込む必要など何もなく、そんなことは忘れてしまえばいいのだが、大事な物が壊れたり、時間に間に合わなくて焦っていたり、現実にありえる話の夢だったりするとなんとも複雑な心境だ。

あまりに強烈な内容だと、得体の知れぬ失望や焦りだけが引きずってしまうこともある。

何が自分を不安にさせるのか?
ああ、原因は夕べの夢か。
夢だったことの安堵よりも、何とも損した気分

見たい夢はなかなか見れないのに。


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