管理人の独り言10

ここは管理人しぶーのが日ごろ感じたことや気づいたことを徒然と書き綴るページです。

深夜枠

ここ近年、アニメの放送事情が変わってきているようだ。

変わってきているようだ、と歯切れが悪いのは、しぶーの家にはテレビがない。
だから憶測でしかない。

かつてアニメといえば夕方の子供向けの時間帯か茶の間団欒時というのが相場だった。
しかし今や再放送でもないのに深夜に放送されているものもあり、深夜アニメというひとつのジャンルを築きつつある。
かといって内容が18禁成人向け(要するにエロ)というわけでもない。

スポンサーとか放送時間の枠とか、料金的な問題もあるだろうけど、そんな時間に起きている人々といえば明らかにターゲットが限定されてしまう。

いまやヒットアニメにはそのキャラクターグッズフィギアが定番で、その完成度の高さは昔のおもちゃを知る世代から見たら驚くほどよくできている。
子供のころ、できの悪いキャラクター人形を見て育った世代が本気で作ってしまったようで、いい年した大人が人形遊びをする時代になった。

子供にアニメを見せてもグッズやフィギアを買うのはその親である大人たち。

比べて深夜にアニメを見る「大きなお友達は」お金を使うのだ。


日本はしょうゆの香り?

それぞれの国には独特の匂いがある。
このような意味不明な断言から始まったのは、ある噂話が元。

「日本に降り立つと空港からすでにしょうゆの匂いがする。」

んなあほな。

それは到着ゲートのすぐ先にある帰国人ホイホイ(寿司屋、うどん屋、牛丼屋、カレー屋など)からの匂いに違いない!


 ところがつい先日、一週間ばかり日本を留守にして空港に降り立った時、本当にしょうゆの匂いがしたのには驚いた。

いや、正確にはしょうゆに似た何か、そうこれはカビの匂いだ。
高温多湿のこの国では空調含めそこら中からカビの匂いがする。
そしてその匂いは嫌いではなかったりする。

しょうゆ、みそ、酒、納豆、ヌカ漬け、これらはすべて微生物による恩恵。
日本では古来より発酵とう名の元、菌類と共存してきた歴史がある。

一週間ぶりに戻った自宅も、見事にカビの匂いがしたが数日するとまったく感じなくなった。


時代とともになくなるもの

2012年10月、番組の改編で日曜洋画劇場の放送が終了するらしい。

エンディングテーマ曲の「So In Love」を聞くこともなくなると思うとさびしくなる。

(とはいうものの、しぶーの家でははるか昔にテレビが壊れて以来、まったくテレビのない生活を続けている。)


昔、この曲の題名がわからずに、曲調からしてラフマニノフのピアノ協奏曲の1番か3番ではないかと思ったころが懐かしい。

サザエさんのエンディングをも超える破壊力抜群の「鬱テーマ」なのだのだそうな。


失せ物

あるものをなくした。

それはよく使うもので、必要あって持っていたのだが大して高価なものではない。
学生でいえば、いつも使っているお気に入りでもない鉛筆をなくしたようなもの。

別に替わりはいくらでも手に入り、失くしたこと自体はたいした痛手でもない。

しかし問題はそこではなかった。

確かにかばんに入れて、使おうと思ったが見つからない。
盗まれるようなものでもなく、かばんはずっと持ち歩いていた。
どこかで落としたのか?どこでなくしたのか見当もつかない。

これは失くしては困るものも、このように失くす可能性があるとうこと。

気がつかずに財布や手帳や携帯電話を失くすこともありうると考えると、なお一層気をつけるべきなのだろう。


こうして夏は終わってゆく

猛烈な暑さの夏真っ盛り。
日中は日向に立ち止まることが身の危険すら感じるほどの日差しの強さ。

日没後も、ムワッとした熱気は息苦しく感じられるほど顔にまとわりつく。

高温多湿の日本の夏。
一体いつまで続くのだ?

秋の訪れは、9月1日の朝、突然空が高くなるのですぐわかる。
夏と秋の境目は著しい。


しかし気がつけば8月半ば、日中の暑さとは裏腹に、夜には涼しい風が吹き過ごしやすくなってくる。

こうして夜のうちに少しずつ夏は終わりを迎えていた。


ゴマが開く

「開け〜」

と続けば
「ゴマ!」

と言う呪文は誰もが知っている。

一説には英語の「Open Sesame」の直訳でゴマとなったらしいのだが、このOpen Sesameという言葉には成功のカギとか通行券といった意味もあるようです。


特筆すべきはこの呪文を、誰もが克明に覚えている

パンを踏んで地獄に落ちた娘や27人の子供達を乗せてアンドロメダに飛び立った宇宙船の名前がインゲルやペペペペランと覚えている人は少ない。


物語中では重要な呪文であることは間違いない上に、アリババ兄はこの呪文を忘れたことで洞窟に閉じ込められてしまう。

覚えやすい簡単な呪文であり、見ている子供達は忘れるはずもないが、閉じ込められてしまった焦りと忘れてしまった兄へのもどかしさから、この呪文はとても重要なものだとこれでもかと脳裏に焼きついたのではないだろうか?

絶対忘れない記憶法のヒントかもしれない。


本当に飲みたいのか?

なんぞ蛇口をひねればいくらでも出てくるもんだと思っていました。

外国のレストランでは水が出てこない、水は買うものだ、そんな話を聞いてへえと思っていた。
そんな幼少時代から早○十年、日本もとうとう水を買うようになってしまいました。

自販機でが売り出されたとき、こんなもの買う馬鹿がいるのか?とさえ思った。(後日談アリ)


最近あちらこちらで見かける水サーバー。

宣伝もかねてか病院のロビーなどによくあるが、さすがにこれは只である。
たいていは紙コップでご自由にお飲みください状態。
只とは言うもののそれは飲む側で、設置補充するにはそれなりのコストがかかる。

しかし人間この手のものは理由なく飲んじまうのが常である。
本当はいくらかするものが只となると訳もなく飲みたくなるのか。

事実、これを設置したら意外なほど多く飲まれちまうという管理者の話を聞いたことがある。


後日談・・・夏の炎天下クソ暑い最中自転車漕いで、どうにも喉が渇いてジュースを買ったが甘かったので喉の渇きはいえず、
水道水よりも冷たいものが欲しかったのでとうとう誘惑に負けて茶を買ってしまった。
「ああ、こういうことか」と納得した。


ピカール?

風呂屋に行ったら女の人だけにキャンペーン中というので嫁がなにやら貰った。
試供品の小さなボトルはいわゆるボディシャンプーでスクラブ入りだとか。

嫁は使わないというのでもらった。

ボトルになにやら書いてある「角質除去」がなんたらかんたら。
中身は砂でも入っているのかというほどのザラザラで、これで顔を洗うのをためらうほどだった。

これっていわゆる研磨剤ではないか?

ありがたく全部使わせてもらったが、仏壇か自転車にでもなった気分だった。


そこは困る

天気のいい昼下がり、ベランダで布団を干していると一匹のアシナガ蜂がうろうろ。
追っ払っても追っ払っても目を離すとまた来ている。

どうやらをかける場所を探しているようだ。


そしてその数日後、ベランダに出てみると小さな巣が出来ていて、けなげにも一匹のアシナガ蜂がじっと留まり巣を守っていた。

調べてみるとアシナガ蜂はスズメバチのように攻撃的ではなく特に危険はないようだが、さすがに手の届くその場所ではまずかろう。

駆除の方法も載っていたが、風上から殺虫剤を噴霧したのち巣を落とすとか・・・。
殺虫剤を使うと死んでしまうではないか。


何とか平和的な方法をと思い、とりあえず一匹だけなので水鉄砲で蜂を追い払い、巣は回収した。

辺りを見渡すと、もう一回り大きな作りかけの巣が落ちていた。
どうやら前の巣が落ちてしまったので同じ場所に再びチャレンジしているらしい。

とはいうもののアンタ、その場所は網戸のレールの上、せっかく作っても網戸を開けたらもれなく落ちてしまう場所ではないか?


見れば見るほどよく出来た構造、木の繊維を固めた巣材はまるで和紙のように軽く、六角形の集合体のいわゆるハニカム(honeycomb)構造で最小限の材料で強度を保つ。


今回は取り合えずお引き取り願ったが、どうしてその場所がだめなのかまではおそらく理解できまい。
暫くは油断できない。

よく見たらちゃんと卵が入っている。
どこか安全な軒下にでもくっつけておいてやろうか。


病院の薬はよく効くが

医師の処方箋が必要な病院の薬は、市販の物の比べて桁違いに効き目が強い。
薬局であれこれと買うよりも、さっさと病院へ行ったほうがよっぽど安上がりなこともある。


さて、先日筋を痛めたので医者へ行き湿布薬を貰ってきた。
大変よく効いてありがたいのだが、効き目が強いゆえに困ったこともある。

よく効いて痛みがなくなる分、ついつい治ったような錯覚をおこし、無理が効いてしまう。
そして効き目が切れた頃には無理が祟って悪化していることもある。

怪我をしたばかりの初期の頃、痛くてしょうがない時には非常に助かる。
その反面、治りかけの頃はかえって貼らないほうがいいのかもしれないと思った。


運命はかく扉を叩く!

ベートーベン交響曲第5番運命の冒頭、「ジャジャジャジャーン!」
(正確には「ジャジャジャジャーン!」)
コードはCm、ソソソミ♭である。

誰もが知っているメロディだ。


話は変わるが、最近ある病院の待合室で待っている時のこと。
次々に呼ばれる名前のイントネーションがまさにこれだった。


○○○さ〜ん!(ソソソミ♭〜!)

さらに次々と呼ばれてゆく名前、もっと調子付いてくると下降跳躍はさらに下がる。


最大下げ幅は7度だった。

○○○さ〜ん!(ソソソ↓ラ〜!)


傘を盗られない方法

つい先日とある施設の傘立にて、傘のすり替えにあった(下記事参照)。
まだ新しい傘だったのだが、なくなった場所には同型の壊れた傘がささっていた。

盗られないようにするには名前を書く、目印をつけるなどが有効。
・・・なのはよく判る。

しかしうっかり間違えならともかく、最初から盗もうとしている人には通用しない。


意外と有効なのは持ち手にバンドエイドを巻く。


目印になる上に、なんとなく他人の傷口は触るのをためらうので効果は抜群。

もっともこの方法が広まれば効果は半減してしまうが・・・。


確かに微妙にキモいわ。


偶然浮かび上がったキリスト像・・・ではなく

またまたどこぞの業務用裏方エレベーターの前。

ドアフレームのペンキが剥げたところを見ると・・・。


命名「子守をする侍女」



鎧の腕(よろいのうで)?

とあるホールにて、どこのホールにもよくある極めて普通のリハーサル風景。

コンサートグランドピアノの下にあるものが見える。

蜂の巣のような蓮コラ(検索不推奨!)のようなドームのようなもの・・・。

実は幼少の頃からピアノリサイタルを見つつ、あれは何だろうな?と思っていたものだ。
学校やその辺のグランドピアノにはついていない妙なパーツ。


ピアノの下にもぐってみた。

 

いくつもボルトで外枠に固定され、一本の鉄棒が響板を貫いている。
この鉄棒は響板には触れずに、鉄骨フレームに固定されている。
フレームが弦の張力で上方向にたわむのを押さえたり、高音部の音を外枠に伝えたりと、音色に関わる重要なパーツとのこと。

これはサウンドベルというもので、スタインウェイ社が特許を持っている。
鉄の塊のようだが、中は空洞になっているらしい。

技術者の間では通称「鎧の腕」と言われているそうな。


それは当たり前だ

とある事務所での一件。
稼動しているノートパソコンに電源の警告表示が出た。

「充電バッテリーが尽きそうでなので保存していないデータはなくなるでござる。」

このパソコンはコードレスで使っていたわけではないので常に充電はされているはずである。
誰もがそう思ってあれやこれやと原因を探っておりましたが、判らず。

最後にまさかと思ってコンセントを見たら案の定抜けていた。


取扱説明書に後のほうにある
「故障かな?と思ったら」

電源が入らない。
原因・・・コンセントが抜けている。
対処法・・・コンセントを差してください。

バカにしとんのか!?

と思っていたが、本当にあるんですねえ・・・。

以前同じパソコンで、触れていなのに延々と同じ数字が打たれるという怪現象があった。
テンキーの上に本が乗っていた。


いつの間にやら

しぶーのは一つの気に入ったものをこれでもかと使い倒す習性がある。

つい最近になって携帯電話を新しくした。
これも以前の機種に不満はなかったが(全くないわけではないが)壊れてもいないものを替えるのはしのびなくずっと使っていた。
電話会社のサービスが終了近かったので熱烈な機種変更のお誘いがり、いわば仕方なく替えた。

ごくごく普通の電話なのだが、どんな電話なのか?
これを説明するのに便利な言葉があるらしい。

「パカ」


そんな頃、世間ではよく「ガラパゴス携帯」という言葉を耳にした。

なんだそれは?

移り変わりの激しい現代、変な電話があるもんだねえ・・・と思っていた。
そんな変わった機種なのか、変わった機能なのか、変わったシステムなのか。
流行に飛びついて変な電話にすると苦労するんだねえ。

などと思っていたら、

まさか自分の携帯電話がいつの間にかガラパゴスになっていたとは。


某月某日。天気、雨。

その日しぶーのはコンビニで売られている安物のビニール傘を持っていた。
どこにでも売られているものだけに、傘立て立てようとすると同じ傘がいくつも見られた。
その日は午後になって結構な雨が降り出したのでコンビニで調達した人々も多かったのだろう。

さすがに同じ様な傘ばかりなので間違えないようにと、しずくを切って帯で留めてたたんだ状態で、誰が見ても間違わないようにいちばん隅に挿して置いた。


さて、一時間後に戻って来てみるとその傘がない。

正確にはもとの場所に全く同じ傘が刺さっていたのだが、いかにも今まで使っていましたとばかりに濡れていて帯も留められていない状態。
誰かがほんの少し拝借して返したのか?いや、微妙に古く違う傘だ。
他に残っている傘ももうまばらなことから、明らかに間違いではなく故意にその傘を置いて行ったということになる。

なるほど、放置されていたその傘は留め帯がなく、まとめることが出来ない状態の壊れた傘だった。

安物のコンビニ傘ゆえに、犯人は罪の意識などまったくないのだろう。

ただそこは「フェアプレー精神」が基本のスポーツ施設の傘立てだっただけに、少々残念な事件でもあった。


医者に行くのが一番なのか・・・

昨年末から仕事の疲れから風邪をこじらせた。
熱は全くないのだががひどく、仕事はできるかといえばできる程度なのでなお性質が悪い。

昼間はなんとか無理が利いてしまうので仕事になるが、夜になってそのつけが回ってくる。
市販の風邪薬の効き目はせいぜい四時間
飲んだ直後は効いているので「お?治ってきたか?」と思えるが四時間後きっかりに症状がぶり返す。

何がきついって、薬の効き目が四時間では、ちょうど寝る前に飲んだ薬が夜中に切れて夜中にひどい咳で目が覚めるといううことだ。
おかげで満足に安眠ができない。

年明けて一月の半ば、ようやく医者に行き抗生剤と咳止めを貰ってきた。

さすが咳止めはよく効く。
効いているうちに治してしまわねば。


高級なものほど・・・

数年前に家の近所にちょっと高級なスーパーが出来た。
最初はどうせ自分には縁のない店と思い放置していたが、閉店間際になると食品が半額になることを知り頻繁に出入りするようになった。

そこに並ぶちょっとだけセレブな食材は、周りのスーパーよりもほんの少し高い値段。
おかげでしぶーの家のエンゲル係数は上がったはずである。

高い食品はやはり美味いのか?

結論は、やはり美味い

しかし、想像していた世界とは少し違う。
一口食べてみて驚き絶賛する・・・ようなものではなく、地味に美味い

素材の味が生きている、ヘンな味付けがしない、ごく当たり前の味がする。

ああ、これが高級なんだな。

そして高級食品は得てしてナチュラルに薄味である。

がばがば食えてしまうのが玉に瑕。


行く年来る年

2011年は恐らく日本史にも世界史にも残る激動の年だったに違いない。

どこぞの大学入試のカンニング騒動からおせち事件に始まりネット界では連日大祭り、そして世界を震撼させた大震災、原発の事故。
世界各地でも天災に見舞われた年でもあった。

普段は見られないような狂気に満ちた豪華な品揃えのスーパーを眺めつつ、一年を振り返ってみたり・・・。

来年は平穏な年でありますように・・・。


正月はもっぱらこの作業

やしのライブや教室で教材として使う楽譜は出版されていない曲が多い。
あったとしても移調や編曲が必要だったり、出版楽譜をそのままコピーして使うのは色々と大人の事情が○Π△☆□%・・・。

昔はせっせと手書きでがんばったが、後々編曲がしやすいように出来る限り楽譜ソフトで作るようにしている。


クリスマスの風物詩

音楽屋の年末は忙しい。
芸術の秋から始まり、年末にかけてクリスマスコンサートや第九の演奏会があるためだ。

ここ数年クリスマスイブは本番もしくはその練習で埋まっており、毎年帰り道にコンビニのケーキでささやかに祝うのが風物詩になってしまった。
(お仕事をいただけるのはありがたいことな上、コンビニのケーキが結構美味い。)

この時期になるとスーパーやコンビニにはいつもは見かけないような高級食材のオードブルなんぞ並んでいたりする。
普段は焼き鳥が並んでいる場所に、リボンのついた鶏の足があり、惣菜があったところにはケーキがみっちりはいっている。

盆暮れ正月、せっかくのイベントなのでご馳走を、というのは皆考えることは同じで、あの晩に世界中で鶏(七面鳥)が食されると考えるとものすごい量ではないか?

そして大抵のケーキには乗っているイチゴ、各家庭に平均2個から3個あると考えてもものすごい量ではないか?
もしかすると一晩の消費量としては春先のシーズンよりも多いのではないか?

国民1人1つでも1晩で1億個!


北風よりも冷たいもの

2011年冬。
激動のこの年も残すところあとわずか、師走師走の年の暮れ12月16日のこと。
この日名古屋は朝から強い冬型で猛烈な風に見舞われ、時折小雨に混じって雪が舞う寒さとなりました。

街行く人々は今年いちばんの寒さに身を縮めておりましたが・・・。

その日しぶーのは薄い長袖シャツ(ワイシャツのようなもの)一枚で出かけておりました。
その下にTシャツを2枚重ねて着ると寒くないということに気付いたので吹き付ける風など何のその、「風が冷たいな」くらいに感じつつも快適に過ごしておりました。

しかし、吹きっさらしの駅のホームで立っていると周囲からはまるでバケモノを見るような視線
その翌日にようやく上着を出しました。


流行り言葉

遠い遠い昔の記憶。

あれはまだしぶーのが高校に入学したばかりの頃。
クラスの人たちと何のことはない会話の中で、学生服に関する話題で「学ランが学ズが・・・」という話。

そこで「ハア?」

高校はいろいろな中学からの出身者が集っているので、それぞれ流行り言葉に違いがありカルチャーショックを受ける。

学生服は通称「学ラン」。
阿蘭陀の蘭が当てられていて、蘭服=洋服という意味なのだそうだ。
そしてその学生服のズボンは「学ズ」
そのはやはりズボンのズなのか?

なぜならば、しぶーのの出身中学では「学ボン」と呼んでいたのだ。

「なんだそりゃ」「まじかよ」「ありえねえ」「田舎者」
まあ予想通り、大変なことが起こるのですがね・・・。

学ボンも学ズもいい勝負なんだが・・・。


どっちが優先?

満腹の時に運動をすると、思うように手足に力が入らず完全な能力を発揮できない。
体内の血液が消化を優先して内蔵に集中しているため、末端まで充分に行き渡らないからなのだそうだ。

かといってどうしても力を出さなければならない場面もある。
消化に使われていたエネルギーを運動に変換してしまうと、当然消化の方が手薄になり大事な栄養の吸収の効率が落ちてしまう。。
こんな時には人間の体は果たしてどちらを優先するのか?

世の中にはエレベーターの「開閉」ボタンや車の「アクセルとブレーキ」のように相反するものがあり、その2つを同時に操作して戦わせた場合、できるだけ危険が及ばないように出来ている。

例えば満腹の時に敵に襲われたりして全力を出す必要があったらどうか?

命の危険とあれば人間消化どころではなく、逃げたり戦ったりを優先するはず。
力の出なかった者たちは食われたり滅ぼされてきた。


教育の賜?

我が家のオカメインコはあまり言葉を喋らない。


「ぎょー」

インコの類が人の言葉を真似るのは成長期のある時期が最も活発で、その後はあまり覚えてくれなくなる。
その時期にはしきりに人の言葉に興味を示すのだが、喉を絞るように発音する様子を見て、あまりたくさん喋らせるとストレスになりそうな気がしてあえて言葉を教えないようにしていた。


世間の動画サイトでは、芸達者な鳥達の妙技を見ることが出来る。
キ○ンタマを連呼する「禁句インコ」(検索推奨)も、開き直って今では人気者である。

そこで気になったのがセキセイインコとオカメインコでは言葉の覚え方に違いがあるようだ。
言葉を喋るのが得意な種類と、音程を持った鳴き声が得意な種類とがあるようで、オカメインコはどちらかというと歌うほうが得意らしい。

恐らく飼い主が口笛や歌などを聞かせて覚えさせたのが大半だと思うが、ということは飼い主が正確な音程で教えればかなり忠実に再現出来るのではないか?


追い越し車線?

エスカレーターに乗るマナーは地方によって違いがあるらしい。

通常幅の広いエスカレーターの左か右どちらに立つ。
関東では左側に立ち右側を開けておき、関西ではその逆で左を空けている。

そしてここ名古屋地方では、関東と同じく左側に立ち右側を空ける。
並ばない名古屋民でもきちんと秩序があるエスカレーターだが、これがまた微妙に不便である。

開いている右側は、高速道路の追い越し車線さながら、急ぐ人が歩いてゆく。
ただ、事故を防ぐ意味でこのエスカレーター上の歩行は禁止になっているが、すっかり習慣化された今、いくら張り紙があっても守る人が少ない。

たしかに急ぐ時には便利なのだが、エスカレーターの幅は荷物を持った人には微妙に狭く歩きにくい。
たまにこの習慣を知らない人が右側に立ち止まると追い越し車線は大渋滞、せっかちな名古屋人はイライラとする。
急ぐ意思の無い時に運悪くこの追い越し車線に入ってしまうと、後ろから追い立てられて歩かざるをえなくなる。
そしてその急ぐ人は数少なく、多くの急がない人々は左側の車線に入るべく、エスカレーターの前で渋滞する。

そんなわけでエスカレーターの前には大抵人だかりが出来ていて、そこから行儀よく一列になってエスカレーターに乗ってゆく。

すべての人が最初から二列になっていれば、結果として速くなると思うのは気のせいだろうか?


これは焦った

ここは、ある業務用裏方専用エレベーター。

この日しぶーのはエレベーターを待つボタンを押した後、すぐ横に置いてあったあるものを見つける。

それは吸盤工具。

ガラス板のような平面で取っ手の無いものなどを持ち上げる時に重宝するユニークな道具である。

エレベーターが来るまで暫く時間があったので、ふと手に取った瞬間猛烈な好奇心に襲われた。

どこかに貼り付けるつるつるの面は無いか?


というわけでエレベータの扉にペタ。

レバーを握ると吸盤が内側から引っ張られて貼り付ける仕組みで、結構な吸引力だ。
レバーを戻せば何事も無かったように外れるはず。

なんと取れない!

このコントのようなマンガのような展開は完全にお約束

しかし笑えないのは、エレベーターが迫って来ているということだ。
いや、多分レバーを反対側に倒すとか全体を傾けるとかするなど、ちゃんとした外し方はあったのだと思う。
しかし迫り来るエレベーターのモーター音に煽られてそんな余裕は無かった。

しかもその吸着力たるもの半端なく強く、ぶら下がるように渾身の力を込めてもびくともしない。
このまま吸盤ががっちり扉についたままエレベーターが到着して扉が開こうならば大事故につながりかねない。


迫り来るエレベーター、なんとか必死に引き剥がそうとするしぶーの、もはや助けを呼んだり道具を準備する猶予はない。

そしてエレベーター到着とほぼ同時、間一髪吸盤は外れた。


扉が開いた時、吸盤工具を片手に鬼のような形相から安堵の表情へと変わる汗だくのしぶーのの姿はどのように映ったのだろうか?
かくして乗り合わせた人々に、事の経緯を手短かに説明する羽目になった。

たぶん開閉中の扉に衝撃があれば、安全装置が働いて扉の動きが止まるはず。
はず。


さすがマエストロ!

音楽というのは題名がついていたり、歌詞があったりすると作詞者や作曲者の感情が伝わりやすい。
例えばビバルディの「四季」やベートーベンの「運命」のように、題名が大きなテーマを表している。
(作曲家の意図と違って後世になってつけられたものも多いが)

逆にそれらがなかったからといって伝わりにくいというわけでもなく、純粋に聴く人の解釈や考え方によって解釈が変わってゆく奥の深いものです。


ある演奏会のアンコールにて。

この日、用意してあった曲はグリーグの「過ぎにし春(Last Spring)」。

「2つの悲しき旋律」の二曲目、もの悲しく寒々としたメロディーは、短くも儚い北欧の春を惜しむような甘美で叙情的な弦楽合奏曲である。

そのアンコールの演奏の前に指揮台に立つ前にマエストロがこの曲について一言短く解説した中に(要約)、
「私は原語がわからないので、この曲(Last Spring)のほんとの意味はわからないが・・・
過ぎ去った春というのはついこの前の春のことなのか、
それとも失ってしまった人生の春という意味なのか・・・」

なるほど、その発想はなかった。

そう考えるとこの曲は、単純に情景を表した以上に、もっともっともっと深く意味のある音楽だとも考えられる。

実際のところ、グリーグの本当の考えはわからない。
しかしこの奥深さこそ、音楽の楽しさでもある。


騙されている?いや、承知の上です。

風呂場のカビはしつこい。

タワシでごしごしこすっても、そう簡単には落ちない。
なぜならばカビにはがあって、タイルの目地までしっかりと入り込んでいるかららしい。

そんな時にはカビ○ラー!

しつこいカビにシュッと吹き付けて、こすらずに暫く放置すればああら不思議、綺麗さっぱり落ちています。


ちょっと待て。

実はそのカビ、落ちていないのだ。
漂白作用によって見えなくなっているだけで、実はカビ自体はなくなっていないというのだ。

だからどうしたというのだ?

どうせこすっても落ちないのなら、見えないほうがいい

以上。


人なのか獣なのか?

古来から「ケンタウロス」や「人魚」など、人と動物の境界が曖昧な空想上の動物「半獣人」は数多く語られている。
新しいところでは人面魚、人面犬のような都市伝説的妖怪のような生き物もいる。

人面犬はあくまでもであり、人面魚である。
名詞の最後がその正体を現している。


とすると人魚は分類上はであり、半魚人として扱わなければいけない。

ケンタウロスは人頭馬とも半獣人とも半人半馬とも言われる。
人頭馬では人の頭を持った馬だ。
馬頭人ではないし、半人半場では分類に困る。

人頭馬人、これでよし。


思い通りにならない物理

例えばポータブルオーディオプレイヤーなどのイヤホンのコード。
何気に動き回ると必ず何かに引っかかる。
手荷物など多い時に予期せぬ動きをして戸惑うことも多く、なかなか都合よくは動いてくれない。


そして、カバンや楽器ケースについているこの金具。
Dカン金具というものらしいのだが・・・。

理想形




これが現実


好きな匂い

街を歩いているとふとどこからともなく香る匂い。
匂いの好き嫌いも人それぞれなのだが、しぶーのの好きな匂い、それは・・・

冷房で冷やされた刺身とタバコの匂い。

要は悪臭なのだが、旅館や宴会場でよくあるに匂いである。
会場の大広間に案内されると、そこにはすでに善が用意されていて刺身の盛り合わせ含む和食の匂い。
食品が痛まないようにか、冷房がギンギンにかけられて、その空気は長年染み付いたタバコの匂いがする。

そんな風物詩のような匂いが、妙な懐かしさとときめきを感じるのである。
そんな場面、過去に大抵ひとっ風呂浴びて空腹の時だったからなのかもしれない。


雨中浴

2011年7月20日未明。
世間では大型台風「マーゴンちゃん」が接近して荒れる天気の中、露天風呂を満喫するために銭湯へ行っておりました。

子供の頃、雨の中で濡れるのを気にせずに思いっきり遊びたいと思いませんでした?
そんな願望の名残か、露天風呂はあえて悪天候の中に楽しむのがお気に入り。

吹きすさぶ雨と風の中、頭にタオルを乗せて(頭に水滴を受けるのは意外とストレス)見慣れぬ景色の中でくつろぐ。
冬ならば、降りしきる雪の中での風呂はまた格別である。


そんな台風が接近する日に風呂屋に来る奴などいるのか?

驚いたことに、同じ様に露天風呂を堪能しにきた輩が結構たくさんいた。
荒れた天気は人を興奮させる何かがある。


DRYとは?

何故今までなかったのだろう?

減量中の身にしてみれば、通常の砂糖入りのものは当然御法度にしても、甘味料の甘さがどうしてもきつくて、もう少し甘くなくてもいいのではないか?
と常々思っておりました。

恐らくメーカーさんも同じ様なことは考えたとは思いますが、「砂糖不使用でなおかつ同じくらいの甘さ」の再現に力を入れたののではないでしょうか?
それはとっても大事なことではありますが、中には甘くないのがお好きな人もいるのです。


すげえ色黒いけどな。

このメーカーさんのコーラは甘さがきつかったのでちょっと遠慮しておりましたが、これは非常にGOOD!
恐らくたくさん売れればいつものメーカーさんも同じ様なものを出してくれることを期待。

 
ただしカロリーは多少ある。
そしてちょっとだけ量が少ない。


地獄絵図

愛知県は全国でもエビの消費量が桁違いに多いという。
それもそのはず、愛知県で捕れるクルマエビは国内でも有数の漁獲数を誇る。

昔テレビ番組で某タレントが「えびふりゃあ」のことをネタにしていたが、実際にはこのえびふりゃあの消費がそう極端に多いという気はしない。
確かにエビフライサンドやエビのてんぷらを使ったてんむすなどあるが、いちばんの消費の筆頭はえびせんべいではないだろうか?


クルマエビを丸ごと使った贅沢なせんべい。

贈答品にも人気のこのえびせんべい、日常からことあるごとに出てくる。
来客のお茶請けから主婦の井戸端会議まであらゆるシーンで見受けられる。
軽くて場所もとらず保存も利き、ある程度高級なお菓子なのである。


ここまでぺっちゃんこ、冷静に考えるとちょっとグロ。
だけど
非常に美味

名古屋にはこのえびせんべいのメーカー「坂■(←伏字)」を知らない人はいない。


百物語は本当に出来るのか?

夏が近づいてきた。

夏といえば怪談、人は夏になるとオカルトを好む。

怪談といえば日本古来からある「百物語」というものがある。
怪談を百語ると真の恐怖が訪れるという。


一般的な演出としては蝋燭などの灯明を100本立て、一話終えるごとに消してゆく。
徐々に暗くなるにつれ恐怖が増してゆくという仕組みだ。

しかしいくら一話が短くとも、百も話すとなると結構な時間である。
その間に燃え尽きない蝋燭は相当な長さのものを必要とする。
そしてあまり余裕で話していて、下手をするとすぐ朝になってしまう。


そしてなにより、

百本の蝋燭を燃したら暑くてかなわんのではないか?

参考リンク
1カンデラの明るさを体験する

キャンドルスタンドのある生活


設計図?

久々に演奏会を聞きに行った。

知り合いの本番なので、たまにはのんびりと客席で音楽を鑑賞する立場になってみようとて行ったのだが・・・。

いつもよく弾いているあの曲、客席で聞くとこんなバランスになるのか。
いつもは自分たちがステージ上で聞くバランスと、客席で聞くバランスの違いに驚いた。

ステージ上では音楽はいわば「設計図」、ハラワタのようなもので、客席にはそれらが混じり合った音として届いている。

主旋律や伴奏、時にはそのバランスが巧みに入れ替わり、覆いかぶさり混ざる。
ホールの音響も加わって独特の空間を醸し出す。
なるほど、この「混ざった音」こそが本物の音である。

CDなどの録音では何故か混ざらない。
他のパートにかき消されて存在がわからなくなることはあれども、混ざった新たな音ではないのだ。

昔から伝えられている伝統的な音楽であり、演奏会に行かなければ判らない本物の音楽。


考えないほうがいいこと


たまに行くラーメン屋。

いつも行く時間は混んでいない時間なので、たいていカウンターの奥では仕込み(名古屋弁では「まわし」といいます)をやっている。

見ると丸太ほどもあるねぎの束を細かく輪切りにしている。
さすがラーメン屋だけあってその量も半端ではない。

長い包丁を器用に操り、素早く輪切りが出来てゆく。
みるみるうちにまな板の上にはねぎの山、そのうちまな板からこぼれ、テーブルの上にも広がってゆく。

スタッフは淡々とその輪切りをこなしている。

やがてテーブルの上も一杯になり、その端がへとこぼれ出した。

スタッフはあわてることもなく、表情一つ変えずに淡々とねぎを切り続けている


まさかとは思うが、結構な量のねぎが床に落ちていると思うんですが・・・

いや、よそう。

ラーメンは美味かった。


耳にこびりついて離れないポポポポ〜ン!


東北関東大震災の影響によりテレビでは公共広告機構(AC)のCMが多く流れている。
スポンサーが自粛したことによる穴を埋めているにすぎないが、その数がかなり多いので視聴者からはそのことについて苦情が殺到する始末だとか。

そんな中、あるコマーシャルが非常に中毒性が高く、話題になっている。
ぐるぐると回り続けるのは、覚えやすいメロディの影響が計り知れない。


キラキラキラ・・・

脱力系アニメにダジャレの連発、3連符系の3拍子、D→Em→F#m(T→U→V)の和音進行、そして4拍子(12/8の二連符?)のあと再びスキップするような3拍子で盛り上がり、極めつけはポポポポ〜ン!の掛け声。
最初に装飾音のついたピアノの高い音からはじまるのもインパクト大である。
(まさにタケ○トピアノのCMに迫る勢い。)


2連符⇔3連符のように、今までと流れが変わることによる大きな違和感がインパクトとなって非常に印象に残る。
コマーシャルソングや流行歌のクライマックスにもよく使われている。

それにしても、1拍を2(8分音符)や4(16分音符)などで割ることはたやすいが、3連符や5連符でも割り切れてしまう人間の感覚というのは不思議である。

「あいさつの魔法。」譜起こししてしまったよ。


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