管理人の独り言9

ここは管理人しぶーのが日ごろ感じたことや気づいたことを徒然と書き綴るページです。

今できること

ご存知の通り、2011年3月11日14時46分、太平洋三陸沖を震源とする巨大地震が起こり、地震と津波による歴史的多大な被害があった。

幸いにも今いる名古屋地域には大きな被害はなかったが、直接的は被害は勿論、全国的に見れば停電や物資の不足、原発の事故など間接的な被害も含めるとその大きさは計り知れず、一刻も早く犠牲者の安全、安心の確保と復興を願ってやまない。

その日を境に、当WEBサイトの「マグライト最強はどれだ?」のページへのアクセスが急増している。
見ての通りライトマニアの間でよく起こる論争、「ライトは咄嗟の時にどの位武器になるのか?」といった内容である。
一応管理人であるしぶーのは過去に多少合気道の心得があり、護身術に関しては素人ではないつもりであるが、中途半端な技術では実践に役に立つとは考えにくく、やはりライトはライトであり武器ではない、といった結末である。

そのような内容とは裏腹に、恐らく被災された方々や本当に明りを必要となった深刻な方々が検索によってこのページを訪れ、この期待外れな内容に失望していると考えると心が痛む。


被災していな自分が出来うること、募金や節電、物資の買い占めをしないなどは勿論のことではあるが、それ以上のことは何も出来ない。
大自然の災害の前に個人の力など到底及ばないのは歯がゆいばかりであるが、大事なのは残った人々は出来る限り普通の生活を営むこと、一刻も早くこの普通の生活に戻っていただくために被災した方々以上にしっかりしなくてはいけないこと、かもしれない。

今や日本列島あちこちで地震が起こり、明日はわが身と思うべきなのだろう。


誰ですかぁ?

ある日携帯電話の不在着信履歴を見て驚いた。
明らかに見覚えのある番号。
それもそのはず、自分の番号の一桁違いの番号からだった。

その番号の知り合いの心当たりはない。

一瞬、誰かが「自分(しぶーの)に電話をかけるのに間違えた」と思ったが、着信履歴なのでそんなことはありえない。
落ち着け落ち着け、これはどんな状況なのか?
この番号の人がわざわざ一桁違いの人にいたずら電話でもしたのか?
はたまた、試みに自分の電話にかけようとしてミスしたか?

どうもこれはパソコンを使って可能なイタズラワン切りの類らしい。
自分の番号からかかってきたようにも偽装できるらしい。

しかしそんな着信番号を相手に残すことのメリットがよくわからないが・・・。

もし電話に出ていたらどうなっていたんだろうか?


色はいろいろ

「♪男と女にしたって、色はいろいろあるのよ」

アニメ「ストップ!○ばり君」のオープニングの一説。
当時子供だったので好色系の色だとはわからなかったが、最近英語の字幕で「日本ではカラー(色)には男女の嗜好の意味もある」と出ていてようやく理解した。

そんなものをみると、幼少の頃、並んだ絵の具を見ていろいろと疑問に思ったことを思い出した。

きいろ木の色だと思った。
やまぶき色は、よくわからんが「やまぶ+きいろ」と思っていた。
茶色とは言うものの、実際の茶の色は黄色もしくはではないか?
水色という色があるから、水の絵を描かせるとおかしいと思いつつ塗りつぶしてしまう。
ぐんじょう色って一体何のことだ、あい色と違うのか?
たて文字の色名の中に一際目立つのがビリジアン
年寄りの助言「を混ぜて・・・」を真に受けて(本当は茶色)ひどいめにあったことがある。
はだ色は人種差別につながるという理由で現在は使われないらしい。
この色が入ってない絵の具で人物を描く時にはみんな苦労していた。
オレンジに白を混ぜる方法を思いついた時、鬼の首でも取ったような気がした。


中身が同じなのは言うまでもない

今、日本の食品が海外でかなりの人気だとか。
最近特に人気を伸ばしているのが柿ピーだそうだ。

最初はインドのとある日本企業駐在員から始まり、ヨーロッパやアメリカまで広まり、今や日本に来た外国人がまとめ買いをしていくほどの人気らしい。
どうやらあのピリ辛味と、他のスナック菓子に比べヘルシー?なのも人気のひとつだとか。
そんな話をネットで見かけてから、そんなものかと思っていた。

確かに、よく立ち寄るスーパーの菓子売り場を見ると、なるほど柿ピーだけが見事に減っていた。
そこは近くに大きなホテルいくつもあり、よく外国人観光客訪れている店なのだが、大量に確保されていたであろう柿ピーの棚がほとんど売り切れる勢いで減っていた。


何故外国人に売れたと思ったか?


そのすぐ横で、日本人なら誰もが知る有名な新潟の米菓子メーカーの柿の種はたくさん残っていた。


自然治癒するのかよ

しばらく前に車のパワーウインドが壊れて久しい。

後ろの席の右側だったので特に問題はないし、わざわざ修理に出すほどの高級な車でもない。
とりあえず不自由しないのでそのままにしておいたのだが・・・。

ある日何気にスイッチを入れてみると動く。
それまで何度かスイッチには触れてみて、ひょっとすると治っているんじゃないかと期待して「やっぱりだめか」ということを何度か繰り返してはいたものの、まさか本当に動くとは思わなかった。


電気系の故障は、端子にゴミがたまったり半田付けが切れていたりという接触不良が圧倒的に多い。
壊れた電化製品を分解して水で洗って乾かすと治るとさえ言われている。
叩いたら直ったとか、使ううちに熱膨張で接触して一時的に直ったようになるのもこんなことが原因ではないだろうか?

一方、使っているうちに症状が出てくる故障は直らないものが多い。
熱による電子回路の誤動作が原因。


本当は痛くなんかないんだ


ウエイトトレーニングで腰を痛めた。


症状はたいしたほどではなく、トレーニング後も何ともなかったが、家に帰って掃除機をかけてから徐々に痛みだした。
ボキッとやったわけではないので筋を少し痛めた程度、数日で回復すると思われる。

怪我をするたびに思うのだが、痛めた部分が痛いのは当然のことなのだが、どういうわけか全く関係ない部分にまで妙な痛みが出てくる。


どこか痛めているということは体にとって緊急事態で、「無理をせずに治療回復に専念せよ」という脳からの指令が出ているに違いない。

実は痛めた部分が直接痛いのではなく、これ以上無理は出来ないというところで脳から痛み物質が出て動きを阻止するようになっているのではないだろうか?
その痛み物質は全身を駆け巡り、副作用として本来ならば全く無関係な部分までが痛いような錯覚にとらわれる。

まったく新しい説である。


すごく悲しい光景

近所の広い駐車場での惨状


カップ焼きそばの湯切りに失敗して、中身がぶちまかった状態で容器ごと放置されていた。


恐らく、どこぞの若者達が近所のコンビニでお湯を入れて、駐車場でたむろして食する予定だったのだろう。
無残にも散乱した白い麺には、現場をそのままにして去ったことの怒りよりも、これからいよいよ完成という段階で失敗した落胆が痛いほど感じられた。

誰が見ても思い出す、一度は経験したあの絶望感
喩えようのない悲しい光景。


明日の朝は、ちゅんちゅくの大パーティーが待っている。


どうでもいい音楽

料理は好きなほうなのでよくスーパーに買い物に行くが、あの店内にかかっている音楽は実にどうでもいい音楽だ。

いや、けなしている訳ではない。
あのような音楽も作曲や編曲している人々がいて成り立っているし、それなりの技術が必要なのは言うまでもない。

なにせ買い物のBGMであるわけで、そこに芸術性や何らかの主張が認められてしまえば困るわけで、抑揚のない平坦な音楽となっていることが多い。
店内の雰囲気を損なったり買い物の支障になるのではよろしくない。
そして恐ろしいほど脳裏に残らない。
事実、どんな音楽が流れていたのか、思い出そうにもすっかり忘れてしまっていることがほとんど。

幼少の頃の記憶では、よく演歌が流れていた。(店の主人の趣味なのだろうか?)
そこのスーパーのテーマ曲が流れていることもある。
昔、万引き防止のメッセージが入ったサブリミナル音楽が話題になったこともある。
ちょっと高級なスーパーに行ったら、ちょっと高級などうでもいい音楽が流れていた。


差があるほうがいい

選挙というのは、多数決で人選をするという極めて民主主義の理にかなった方法だ。

例えばある国の国王を選挙で選ぶとする。
圧倒的な大差で当選した場合、結果論ではあるが、極めて理想的な選出だったといえる。
つまり群集のほとんどがその人を支持していたという結果であり、当選後はその人によって安泰に国が治められてゆくことだろう。

しかし、仮に僅差で当選した場合はどうか?
考えようによっては国民の中の半分近くは反勢力ということになる。

どちらも同じ選ばれた王なのだが、はたしてその国は本当に安泰なのか不安になったりはしないだろうか?


まさに今、天変地異の最中では?

暦の上ではもう秋。
そんなもの知ったことかといわんばかりに猛暑が続いている。
猛暑で命を落とした人も数多く、炎天下に無防備に外を歩くことは自殺行為ですらあった。

今やどこもエアコンは必需品、日本はもうそのままの自然では住めなくなってしまった。

秋になれば暑さはいささか落ち着くとは思うがそんな中、「さんまが不漁」という話がニュースになっている。
長期的な資源の減少期
に入ったのではという意見もある。

ここ数年、世界中で地震や水害がよく起こっている。
気候の安定期が終わったとの見方もあり、地球規模で何かが起こっている。

気候の変化など数百年数千年規模の話だと思っていたが、まさか自分が生きている時代にここまで劇的に変わってゆくとは思いもよらなかった。


そんなものもあったなあ

ニュースで二千円札の流通がなかなか不順調といわれている。
確かに普段見かけることはほとんどなく、買い物をしてもお釣りが二千円札で来ることはまずない。

たまに財布の中にあると高額紙幣のような錯覚を起こすが千円札二枚分なのだ。
その上、自販機で使えないので不便だ。
個人的には1−5−10式の増え方のほうが馴染みがあるので、二千円には違和感がある。

そのうち自然淘汰されて人々の記憶からも消えてゆく運命なのだろうか?
だとするとそんな歴史的な出来事をしっかりと覚えておきたい。
個人的には、あれは記念お札と思っている。


またですか・・・

最近ニュースで「新商品が発売と同時に予想以上の売れ行きの為に一時見合わせる」という話題があった。
賢明な人ならああ、またかと思われるかもしれない。
例によってないない商法
商品が品薄と見せかけて購買意欲をかきたて、さらに品薄というニュースで宣伝にもなる。

さすがにこのご時世、売る側は必死であり、あらゆる手段を使って広告を打ち出してくる。


しかし裏を返せば製造リスクを負わずに販売の様子を見るようになってしまったともいえる。
売れなかった時のことを考えて、元々の製造量を減らしているのではないだろうか。

同じ様なリスクの軽減として、最近店舗では在庫を持たなくなってしまった。
少し高価なものだったり少々マニアックなもので売れ筋でないものは大抵在庫がない。
時間をかけて取り寄せるのでは、インターネットで買うに等しいという人は多い。


今、明らかに経済の仕組みが変わりつつある。
商品が安く買えるのはうれしいが、そのことによって職を失う人々が増える。


ついに攻略!

気になってはいるものの、なかなか真相を追求しないもの。
追求する気もないが、やっぱり気になるものってありません?

某国民的アニメの1シーン。
休日が間もなく終わる象徴的、恐怖の1コマでもある。

1

2

3

4

5

ジャン!

「テン!」

ああ、すっきりした!


色香に迷う人々

近所の繁華街の一角に新しい店が出来た。
ここのところの不景気の影響で昔からの店が次々と撤退する中、新しい店が入るがなかなか定着せずに消えてゆく。
案の定、その場所は出来てはつぶれという魔の場所のようになってしまっていた。

しかしその新しい店、開店と同時にかなりの客数だ。
しかも最初だけのサクラかと思いきや、いつまでたっても一向に客足は減って行かない。
赤色を基調にした度派手な看板、イヤでもその味の濃さが想像できる看板だ。

いや看板だけならばどこにでもある。
その店に共通することは匂い
通りに向かっていつも醤油とにんにくの焦げる強烈な匂いを放っている。


名古屋にも屋台の激戦区がある。
数十メートルおきにラーメンの屋台が並んでいる場所がある。
しかし、通りがかりに見てみると客がたくさん入っている所とそうでない所の差が激しい。
トータルではわからないが、あながち場所の良し悪しとも関係がなさそうである。
その差は匂い。
客の多く集る屋台からはやはり美味そうな匂いがしている。


時には自分の心に嘘をつくことも必要と学んだこと

教育の現場においては何かと理不尽な事は多い。
学校の先生とてプロではあるが人間、時には間違うこともある。

ある音楽のテストの話。
題材は宮城道雄の「春の海」
日本の誇る琴と尺八の名曲だが、この曲を知らない人など一人もいない。
なぜならばあたくしの育った市では、毎日朝昼晩の決まった時刻になると市内のいたる所に設置されたスピーカーから流れる広報のテーマ曲だったからだ。

さて問題はここから。

その音楽の筆記テストで、「この曲を聴いてどんな風景を思い浮かべるか?」という問題があった。
たしか3択だった。

1・・・・波が寄せて返す様子。
2・・・・・・・・・・魚が泳ぐ様子。
3・・・・・桜が咲いている様子。

冷静に考えるとこの問題自体が完全に不適切なことはすぐにわかる。
「作曲者はどんな風景をあらわしたと思われるか?」ならばわかる。

どんな様子が浮かぶか?
の質問に対してこのような光景が脳裏に浮かんだ。

縁側から静かな庭園が見える。
しばらく間を置いて、しし脅しの音が響く。
そして池には数匹の錦鯉が泳ぐ。

これだ!
いかにも風流な日本の風景!

ええ、×でございました。
誰もが知っているこの曲の、こんな簡単な問題どうやったら間違えるのか?という雰囲気だった。

それ以上は恥をさらすだけだったので何も言わなかった。
この問題は一字一句克明に覚えていて、上記で間違いない。


何故か笑える?

滅多にない貴重な出来事は、その場に居合わせたことを幸せに感じる。
もちろん事故のような、人や自分に不幸が絡むような事ではたまったものではないが、安全とわかっているからこそ貴重な体験を得した気分になれる。


地下鉄東山線は終点(始発)の藤が丘駅付近は地上を走行する。
趣味の部屋「地下鉄東山線 地上と地下の境目で」参照

最近、エコロジーの観点から、天気のよい日中の地上走行区間では室内灯を消灯するようになった。
観察していると回送電車も室内灯を消していて、無駄をなくす努力があってよい。

電車は、地下へともぐる一つ手前の駅を出るときに室内灯が点る。


さて、この室内灯を点けないとどうなるか?


当然、車内は真っ暗

それはトンネルに入ってから次の駅に着くまでのほんの数十秒間の出来事だった。
乗務員が点け忘れたのか、何らかの電気トラブルなのか定かではないが、車内の電光板の明かりとトンネル内の蛍光灯の明かりのみだった。
停電ではないので非常灯も点かず。

そんな滅多にない状況にかち合った時、そこの居合わせた人々の反応はどうなのか?
トンネル内の蛍光灯に照らし出される人々の顔は皆、笑顔であった。

室内灯は次の駅に着く前に、何事も無かったのように点いた。


そんな中、ポケットにはいくつものライトが入っていたが、皆がこの状況を楽しんでいる中で出すのはさすがにはばかられた。


どのへんが夏の?

毎年この時期になると話題になるのが七夕のお二人。
琴座のベガと鷲座のアルタイルという一等星で、織姫と牽牛の二人に喩えられ、天の川を挟んだ位置にある。
この二つの星と白鳥座のデブを合わせて夏の大三角形と呼ばれている。
いや、デネブだった。

この辺りの天の川は銀河系の中心部方面が見えているので星雲や星団などのM(メシエ)天体が数多く見られる。
双眼鏡で探してみるのも一興、夏の星座にはイベントが多い。

残念ながら日本ではこの時期多くの地域が梅雨真っ只中のため、そのロマンチックなイベントは期待通りにいかない事が多い。
それどころか、実際に天の川を見たことのない人も多いのではないだろうか?

星座は季節ごとに移り変わる。
そう思っておりましたが、大人になってから空を見上げると、季節よりも時間という気がする。
春の星座は春の宵よりも冬の深夜のほうが見やすいし、夏でも明け方には冬の星座の代表であるオリオン座が出ている。

銀河系の中心はいて座の方向と言われています。天の川は冬でも薄っすら見え、オリオン座のすぐ横を通っている。


言葉ではなかなか伝わらない

大昔のことになるが、コイ○ヤのカラ○ーチョが発売された頃のこと。
(調べてみると1984年のことらしい。)

今でこそ知らぬ人はいないほど知名度はあるが、当時はその妙なネーミングの胡散臭さを含め何だそりゃ?という反応が一般的だった。

同級生の友人の一人がいたく気に入ったらしく、しきりに薦めてきた。
残念ながらその時にはまだ実物を見たこともなかったので、一体どんなものなのか想像すらできなかった。


現物や写真がないので言葉で伝えなければ判らない。

「とにかく辛くて美味いので食ってみろ!」の一点張りであった。
その友人はあまりの美味さに興奮なさっていたのか、いかんせん冷静さを欠いていたようで、彼の頭脳の中では辛い美味い以外の表現方法は失われていた。

目を輝かせて説明する彼には大変失礼だが、その辛くて美味い何かが、一体何なのか理解できずにいた。
数日後、スーパーでその現物を目にして理解した。


せめて最初に
「ジャガイモを原料とした菓子である」
と言って欲しかった。


親知らずのその後

親知らずを抜いてからおよそ3ヶ月。
下唇の痺れと歯の感覚の麻痺は少しずつではあるが回復している。

ようやく自分の歯が戻ってきた。
歯自体には感覚はないはずなのだが、歯に触れた感覚が根に伝わり神経伝わる。
この当たり前の感覚がいかに大切なことかよくわかった。

下唇は触ると痺れているのだが、触った感覚は戻ってきた。
触ったものの温度もわかるようになってきた。

神経の再生には長い時間がかかるらしい。
焦っても仕方がない。
この感覚を楽しむしかない。


吸うのか?

「ぶごっ!」

この人たちの鳴きまねをする場合、たいていの人は息を吸いながら鼻の奥を鳴らす。
鳴き声に似たような音を出すのはその方法がもっともベストと思われる。

しかしよく考えれば不自然な鳴き方で、本人達は息を吐きながら鳴いているはずだ。


恐るべし適応能力

(下に行くほど古い記事なので前後します)
およそ一月半ほど前に親知らずを抜いた際、神経まで達したらしく下唇と歯の一部に麻痺が残った状態のしぶーの。
その後徐々に奥の歯から感覚が戻り、感覚のない歯は残すところ4本ほどになりました。

それでも下唇の麻痺はなかなかよくならずに、神経の再生の遅さを実感している。
抜歯後当初、下唇に指で触れてもほとんど判らなかったが、今では痺れとなって触感が判るようになった。


痺れている下唇を上唇で触れると、表面が荒れてささくれているのがよくわかる。
まるで正常な状態に戻ったかのような違和感のなさ。
しかし、指で触れてみるとまだまだ麻痺していて、表面がどうなっているのか見当もつかない。
つまり舌や上唇で触った感覚で、ないはずの下唇の感覚を補っているようだ。

人間の馴れとはすごいものだ。


売り出し期間中!

新商品の食品で、これは美味い!是非とも贔屓するぞ!とリピーターになる。
しかし、しばらくすると馴れてきたのか飽きてきたのか、初期の頃ほどの感動も薄くなる。
そして徐々にその商品を買わなくなり、いつしか店頭からも姿を消す。


それは果たして本当に飽きてしまったのか、味に慣れてしまったのか?


過去の経験からすると、明らかに商品がレベルダウンしていると思われる。
つまり、新発売からしばらくすると中のクリームが減ったり具が少なくなり味が落ちる。
単なる気のせいかも知れないが、そう思ったのは一度や二度ではない

 食品の細かいバージョンの変化は常にあるといってもいい。つまり味や分量は常に一定ではなく細かく変化している(夏チョコ冬チョコのように)。それが時代や流行に合わせた仕様変更なのか、原料の値段は日々変動しているのでコストダウンのためかは定かではない。
 新発売の時にはそれなりに力を入れて製造し、そして売れ行きが軌道に乗ったらコストパフォーマンスを優先してゆく。そこでどれほど人気が維持できるのかが、ロングセラーになるか、消えゆく運命なのかの分かれ道かもしれない。

本当に違いがあるのか?そしてどの位違うのか?は「折々のお料理」の今後の研究テーマ。


実は楽器の製作家にもあてはまることが多い。
新人のうちは自分の作品を世の中に認めてもらうために、身分相応だが可能な限り贅沢な材料を使い、労力を惜しまない。
ある意味、新人の作は狙い目かもしれない。


き、汚ったねぇよ!

教材を探してネットをうろうろしていて見つけた。
ディ○ニーのアニメ「白○姫」のワンシーン。

白○姫が、映画の代表曲ともなっている「いつか王子様が」を歌いながらパイか何かを作っている。
周りには小鳥やリスや鹿などの森の生き物達が集っていて、
生地を伸ばす上から小鳥が粉を振りまき、
切れ端をくちばしで咥え
生地を張った器の端に降り立って足型をつけ、
パイの上面にも足で引っ掻き筋をつける。

♪さーんでーい、まいぷりーんす、ういるかーむ

こんなのが乗ったやつ食うんだぜ。

動画サイトYouTubeで原曲名「Someday My Prince Will Come」で検索すると出てくる。


他人に噛まれる感覚?

 半月ほど前、右下の親知らずを抜いた。学生時代に横向きに生えた親知らずが虫歯になり抜いたのを最後に、残りの3本は虫歯になってもなるべく抜かずに温存を心がけてきた。しかしここの所、過去に治療した虫歯が再発していよいよ抜く決心がついた。
 歯医者さんの話では下の歯は上よりも難儀するようで、それ以前に抜いた上の歯は5分足らずであっさり抜けてしまったのとは対照的に、一時間以上かかる長期戦になった。

 抜歯直後は麻酔が効いているので感覚すらなく、唇を誤って噛んでしまっても痛さすらない。しかし数日たっても下唇の痺れがなくならない。まるで麻酔が効いているようだ。痛みを感じることは出来るのだが、指で触れてもまるで他人の一部のような妙な感覚。

 先生の話によると、抜歯の際にアゴに通っている神経が圧迫されて痺れが残っているとのこと。神経細胞は再生が遅いので、完治するまでしばらく時間がかかるらしい。というわけで末梢神経障害の治療薬と頭部外傷後遺症に伴う諸症状の改善という普段見慣れないクスリを大量に貰ってきた。
 そして半月経った現在、今だ下唇と下の歯の一部は感覚がない。

 感覚のない歯で噛んでいるとまるで他人が噛んでいるような妙な気分。よく「入れ歯にすると食が楽しくなくなる」という話を聞くが、こんな感覚だろうか?
 それから毎日クスリを飲み続けているが、はたして効いているのか実感はない。ほんの少しずつではあるが回復しているような気がするが。

 嫁曰く、怒りを鎮める薬だったりして。


あると便利なもの

歩いて1分ほどの近所の公園で桜が満開なので、ささやかな花見を行った。
人を誘って大々的なものではなく、晩飯を外で食いながら桜をめでようと言う魂胆。

何しろ家から近いので料理はお盆に載せてそのまま運ぶという手軽さ。
コンビニもスーパーも近いのでイザとなったら買出しも可能。
それよりも自宅に戻るほうが早いが。

ポットとお湯は必需品、外は意外と寒いのでインスタント味噌汁が美味かった。
食後にコーヒーと甘いものが欲しくなる。
30分ほどしかいなかったがビニールシートの表面は夜露で湿っていた。
地面が固いのでダンボールか座布団が欲しい。
テーブルやお盆のような平面があるほうがいい。
全体に広げると収拾がつかなくなるので食品は中央にまとめたほうがいい。
ゴミ袋テーブルふきんは必需品。
シートに乗ったり降りたりするにはサンダルが楽。

そしてなにより、必要なものをコンテナひとつに放り込んで行ったので撤収が楽だった。


くつろぎまくる人。
近所の公園にて。


近所のスーパーにて

久々に鶏の味噌鍋をやろうと白菜を買いに行ったところ、世間はすっかり春なので白菜もだいぶ青くなってしまっているようだ。

春キャベツといい、スカスカだでかんわ。
(訳:スカスカなのでいただけませんね)


それにしても158円は高い。

しかもこれ1/2ではなくて1/4だと思います。

それ以前に、大根かよ。


本当に滅多に見られない光景


ピアノの黒鍵は羊羹を切ったような直方体というイメージが強い。
上面は小型キーボードのようなカーブではなく平面、角の部分も結構エッジが鋭い印象ではなかろうか?


何故かうちにある黒鍵。

誰もが知る国産の一流メーカーのもの(本物)。


白鍵から飛び出た部分を真横から見ると、直方体ではなく前に向かって高くなっている。
演奏者が手前から眺めると直方体のように見える。


から眺めた様子。


この面が木製の鍵盤に接着されている。
中は空洞。


この鍵盤はプラスチック製ですが、高級なピアノの黒鍵は黒檀で出来ています。


INOVAがういろうになっていたこともあった・・・


時々昔に編集したページをチェックしていると、写真のリンクが全然違っていてぎょっとすることがある。

仕組みは単純で、webサイトを編集した後に、それらのデータは一つのフォルダ内にまとめて保管されるのだが、同じ名前の画像があると上書きされてしまう。
うちのデジカメで撮った画像につけられる通し番号が00000〜10000まであるが、撮影枚数が10000枚を越えてしまったためにカウンターが00000に戻り、全く同じ番号の画像が出来てしまうのだ。

もちろんそのたびに警告は出るので画像のナンバーを変えて保存すればいいのだが、ドサクサ紛れに上書きしてしまうこともあった。

もし、明らかに内容と違う画像など、リンク切れを発見された方はご一報いただけると幸いです。


流星か?

どちらも小学生時代のこと。


ある晴れた日に学校の校庭で遊んでいると、東の空にいきなり光の筋が縦に走った。
白い光はキラリと一瞬だけだったので、空中に飛ぶ蜘蛛の糸が反射したとも考えられるが、それはあまりも明るかった。
ほんの一瞬だったが、真昼間の青空に確かにはっきりと見ることが出来た。

しかしその瞬間、空を見上げていた同士は誰一人おらず。


別のある夜風呂に入っている時、突然外で大きな落雷音が轟いた。
一瞬地震かとも思えたほど、風呂の中で地響きに驚いたくらいだ。
しかしその夜は雲ひとつなく晴れた星空で、遠くの雷鳴が聞こえることもありえない。
一説によると流星が燃え尽きる時、雷鳴のような大音響を発することもあるらしい。
もしかするとあれは流星の音だったのかもしれない。

しかしその時分にコタツでテレビを見ていた他の家族は誰一人としてその音に気付いていなかった。


どちらももし流星なら、かなり珍しい光景に遭遇したことになる。


しかし何がつらいかって、誰も賛同者がいないことだ。 


季節のサイクル

季節というのは地球の公転によってもたらされ、隕石の衝突などの異変でもない限り太古の昔から同じ様に巡っている。

日本では毎年毎年春夏秋冬がめぐり、風物詩となっている。
同じ様な気候が訪れても、一年も経っているので忘れてしまっているが、確かに毎年巡ってくる変化がある。


9月1日、突然空が高くなる。
クリスマスごろは寒くなり雪が降る。
2月の中ごろ、気味の悪いくらい晴れて暖かい日がある。
日が長くなったと感じだしたら確実にもう春。
3月の中頃、再び寒くなり雪が降ることもある。いわゆる名残雪。
桜が咲いて「週末は花見だ〜」その週末はとても寒い。いわゆる花冷え。
その翌週は雨で桜が散る。
桜がすべて散るとようやく温かくなる。そして毛虫の雨が降る。
5月のはじめ、ものすごく冷える。遅霜というやつ。


地方によってその状況は変わるが、毎年の気候変化を記録してみるのも面白い。


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